安全という…

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「神話」と言い表すのは、それ自体が、欺瞞だ。
安全でないことを知っているか、知らないまでも到底安全と保障などできないことはわかっていて安全と言い張るのは、ただの嘘つきだ。

広島の災害を見てまたそう思った。
原発も、薬も、航空機も、長距離バスも、食品添加物も。

この夏、NHKテレビの録画で日航機事故のドキュメンタリーを見た。
事故が発生してから墜落するまでの数十分の、機内の様子の音声が初めて再生された。
今はキャビンアテンダントというそうだが、当時は、客室乗務員の女性はスチュワデスと呼ばれていた。そのスチュワデスが気丈に乗客たちを励まし、いろいろ注意を与えている声が、断片的に聞こえた。
かつて私のクライアントだったOさんも、この日航機に乗務していて亡くなった。
就職後数年、国際路線に乗務していたが、体がきつくなったのでそろそろ国内路線に戻りたいと希望し、ようやく戻って数回目のフライトだったと、弔問した時彼女の父親が話してくれた。

事故後しばらくして自宅で行われた葬儀には出られなかったので、何日かして、一人で訪問したら、まだ祭壇が座敷にしつらえてあり、事故当時着ていたという制服がきちんとたたんで祭壇のわきに置いてあった。
服はほとんど痛んでいませんでしたと、焼香し終わった私に、わきで見守っていたと父親が言った。事故を起こした会社側の人間だったので、父親は悲しみを表すことも控えめしているのかと思えた。

テレビから切れ切れに流れてきた、乗客を励ますあの声は、もしかしたらOさんの声かもしれないと、勝手に思った。
あの父親はまだ存命だろうか。弔問の際父親とともに応対してくれたOさんの兄はこの放送を視聴しただろうかなどとぼんやり考えた。

あの事故の原因は本気で追究されたとは思えない。
それは、たくさんの事故や事件の原因追究について回る疑惑だ。

私が知っていたころのOさんは、静かで笑顔のさわやかな女性だったが、思い出そうとしてもその笑顔がぼんやりとしか思い浮かばなかった。
録画を見終わった後の私は、やりきれない思いだった。



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往く夏に

我が家の東隣に、ずっと売れない宅地用の空き地があり、その南隣の20坪ほどの土地がSさんの畑だ。
数年間に80歳を超えたSさんは、ほぼ毎日朝夕に手を入れて、季節の野菜を作っていた。
庭を小さな畑にして野菜つくりをしている妻の師匠のように、いつの間にかなっていた。
妻の植えた野菜の育ち具合をちゃんと見ていて、低い金網のフェンスごしにいろいろアドバイスをしたり、自分の植えつけた野菜の余った苗をくれたり、採れた野菜を「婆さんと二人じゃ食いきれないから」などと言って分けてくれたりした。
彼は畑にやる水をポリタンクに入れて家から自転車で運んでいたので、夏などは我が家の庭の自家水道の水を、長いホースでわけたりもした。
遠慮深い彼は、いくら言っても自分からは水を求めたことはなく、妻が彼の姿に気付いて声をかけると、「悪いね」と言いながら隣の空き地に入ってきて、金網越しにホースの先を受け取ってずるずると引っ張っていった。
彼の姿が見えなくなったのは、昨年の秋の終わり頃で、そのことに気付いて私も妻もしばらくは食事の時など話題にした。
Sさんの親戚という人に、地域の集まりで会ったとき様子を聞いたら、腰を痛めて家から出ないでいる、先日見舞いに行ったら整形外科の医師が往診に来ていた、とのことだった。
年が明けて間もない頃、以前から足が悪くてといってあまり出歩かないSさんの奥さんんと家の前で出くわしたので、声を掛けた。
寒いのがいけなくてじっとしてるでけど、緩んできたらまた出るでしょうよ、と楽観的な話だった。お大事にと言っておいた。
野菜に植え付けをするころになって、Sさんが畑に姿を現した。私も声をかけたし、妻も話をした。
妻には、「もうお迎えがそこまできてっだよ」と言ったらしい。「当分用がありません、と帰ってもらいなさいよ」と、妻は返したという。
妻が実家に帰っているときに、庭に下りた私に声をかけてきて、茗荷の苗をくれた。数日後戻ってきた妻に伝えた。
しばらくしてまた、茗荷の苗を妻にくれた。妻が、この間もらったから、と言ったら「あー」とSさんは言った。
もう畑はやんねえから、ともつぶやいたらしい。
いつもよく手入れをしていた畑のごく一角に、なすを何本か植えて、Sさんはまた姿を見せなくなった。
数回、奥さんが草を抜く姿を見かけたが、やがて畑に草が生え始めた。
夏前には、我が家から見える限りでは、Sさんの畑は一面草が茂ってしまっていた。
夏の初めに、一度反対側に回って畦を通ったら、草に隠れて我が家からは見えなくなっていたなすが、実をつけ始めていた。その周囲だけは草を抜いた形跡もあった。
我が家でもなすが取れ始めたころ、もう一度Sさんの畑の畦に回ってみた。
なすの姿は見えなくなっていた。
今、我が家のダイニングから見ると、我が家の隣の空き地よりも、Sさんの畑の向こうに広がる草地よりもひときわ背の高い草が、彼の畑を覆い尽くしている。
外から見る限りでは、Sさんの家は特に変わった様子もなく、玄関先はきれいになっているし、雨戸も昼間は開いている。しかし、ひっそりとしていて中で人の動く気配はあまり感じられない。
我が家の庭も、この夏は実家と息子の家への往来が忙しくて、妻の草取りが進まず、例年になく草が茂っている。しかし、いつも手入れが行き届いていたSさんの畑は、もう足を踏み入れるのもためらわれるほどである。
そして、夏が過ぎようとしている。







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太秦ライ○ライト

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福本清三氏がカナダで開催された第18回ファンタジア国際映画祭の長編コンペティション部門で、最優秀男優賞を受賞したそうだ。
私と同い年か一つ違い。
大仕事とか、人の上に立つとかでなく、何かを一筋にやり続けてきた人が、そのことにご褒美をもらうのを見るのは嬉しい。
一筋にやっている人は大勢いるが、大方の人は、特にそのことをほめられることなどない。
いわんや、万事に程々でいい加減な私には、振り返ってみるとほとんど一枚の賞状もついてこなかった。
もし彼がそばにいたら、よかったねと、肩をたたきたい。

稀に見る秀才といわれ、誰もがその才能を高く評価していたという科学者が、躓いて自死した。
痛ましいとしか言いようがない。

どのように生きても一人の人間にとって人生は一つだなと、改めて思う。
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