*SIDE キョーコ*

「なんだお前、この辺に貰われて来てたのか」

見ず知らずの男の人に突然そんな風に声をかけられて、私は驚いてしまった。

ここは、お家の近くにあるドッグラン。
ご近所の飼い犬の皆さんが多く集まる場所で、今日は午後からジュリエナママに連れられてクオンさんと一緒にやって来ていたの。

思いっきり走り回るのはお家のお庭でも十分なのだけど、あえてこちらに顔を出すのは社交の意味もあるんだってクオンさんが教えてくれたわ。

私達はいろんな犬種の方々とお知り合いになってお友達を作って遊んだりして、ジュリエナママはどこの動物病院にいいお医者様がいるとか、どこのドッグフードが健康にいいとかの情報交換をするんですって。

私もここに連れて来て貰うようになって、チョコレート色のミニチュアダックスフンドのエリさんとイツミさんの姉妹や、真っ白な毛並みがふわふわのパピヨンのチオリさんとお友達になれたの。

ここにモー子さんがいてくれたらもっと楽しいのになーって、いつも思う。
それを言うといつも『なんで私が!!』ってモー子さんに怒られるんだけど…どうしてかしら?

そんな場所で、私は知らない男の人に声をかけられてしまった。

その男の人は私と同じくらいの年齢の、明るい茶色の毛並みをしたトイプードルのお仲間で。
なんだか妙に自信満々な感じの人だった。私を、まるで品定めするみたいに妙な目つきで見てくる。

どうやら私のことを知ってるみたいなのだけれど…
どうしよう、全然思い出せない。

元々私には男の人に知り合いが少ないの。
旦那様のクオンさん以外では、お隣のヤシロさんと、ブリーダーさんのところにいた時からのお知り合いのヒカルさん、ユウセイさん、シンイチさんくらい。

…やだ、もしかして…

これが、クオンさんやモー子さんが気を付けろって言う『不審者』で『誘拐犯』なのかしら!?

『キョーコちゃん、このドッグランにはいろいろな人が来るから気を付けるんだよ。会員制の場所だから安全ではあるけど、もしもってこともある。父さんと母さんは有名人だから、妙な考えをもつ人間もいるし。あと、知らない男にも気を付けて。誘われても付いて行ったら絶対にダメだよ、そういうのを「不審者」って言うんだからね?』

このドッグランでエリさんとイツミさんに会って、クオンさんと分かれて遊びに出る時にそう言われたし、

『最近、有名人の飼い犬を連れ去ったりする誘拐犯がこの辺に出るんですって。あんたはぼんやりしてるんだから、十分気をつけるのよ!?旦那が傍にいない時に怖い思いをしたら、すぐ大きな声で人を呼ぶこと。出来るだけ1人にならないこと。いいわね!?』

モー子さんには怖い顔でそう言い聞かされていた。

エリさんとイツミさんは、飼い主さんが迎えに来てさっき帰ってしまったの。
ああ、走り回ることに夢中になんてならないで、さっさとクオンさんのところに戻っておくのだったわ!

そう思って、私が怖さに身を竦めていたら。

「ふうん、お前、前に比べたらなんか女らしくなったじゃん。今なら、嫁に貰ってやってもいいぜ」

そう、偉そうに言われて…

台詞にもビックリしたけど、なにより、その話しぶりになんだか聞き覚えがあった。

頭の奥の奥に追いやられていた記憶が、一気によみがえる。

『お前、ガキ臭い女だなーつまんねーの!おっ、あっちのお姉さんのほうがずっと美人だぜ!』

そう言ってひるがえされる明るい茶色の毛並み、ふさふさとした尻尾。
私はそのまま1人、その場に取り残されて…

…思い出したわ…!!

「あっ、あなた、ブリーダーさんのところで会ったお見合いの人…!?」

今の生活があんまり幸せで楽しくて、前のことなんてもうすっかり忘れていたわ!

「なんだよ、分かんなかったのかよ?ったく、すぐに気付けよな」

ふてくされた顔をした彼は、いきなり私の腕を引っ張って。

「ま、いーや。とにかくお前、家に来いよ。この間のお姉さんは、なんか堅くて遊びとか許してくんなそうでさーやっぱ、お前くらいにぼんやりしてる女のが楽そうでいいや。飼い主も俺の子供が見たいって言うしさ。浮気してもがたがた言うなよ、浮気は男の甲斐性なんだからな。ほら、早く急げよ」

…な、なにを言ってるの、この人は…!?

言葉の意味が全く分からなかったけど、ものすごく失礼なことを言われているのはよく分かる。

しかも、私をどこかに連れ去ろうとしているわ!!


「なっ、なに勝手なこと言ってるんですか!?離して下さい、私、どこにも行きません!!ここには、私の旦那様と一緒に来てるんですから!」
「はあ、旦那?見栄はんなよ、お前みたいなまだまだガキ臭い女、相手にする奴がいるわけねえじゃん。嫁にしてやるって言ってんだから、ありがたく思えよ」

なんなのなんなの、この人は…ッ!!
全く言葉が通じている気がしない。同じ犬種のお仲間なはずなのに、どうして!?