「あーっモー子さん!!!」
「あっこら、カナエ!お前また、家から抜け出して!危ないからっていつも言ってるだろう!?」

ヒズリ家の門が見えて来た途端、キョーコちゃんが悲鳴みたいな喜びの声を上げて、ヤシロさんが叱り付ける声を上げる。

見上げれば我が家の門の上で、ブルーグレ-の美しい被毛を持った1匹の猫がくるりと丸くなっていた。
暖かな朝の日差しを受けながら浅い眠りの淵にいた彼女は、2人の声にピクリと耳をそばだてる。

「あら、義兄さんにキョーコにクオンさん。もう散歩に出てたの?早いのね」

ふわりと上品に欠伸をした彼女は俺達を見止めて門の上で身を起こし、手足をついてしなやかな身体をぐんと伸ばす。

「危ないって、こんな近所で何かあるはずもないじゃない。ヤシロ義兄さんたら心配性すぎるわ」
「でも、最近は陽気もいいから観光客も車も増えてきてる。本当に気をつけてくれよ、何かあってからじゃ遅いんだから」
「分かってるってば。ちょっと日向ぼっこに出てきただけよ」

そんな会話をヤシロさんと交わすのは、コトナミカナエさん。
端正な顔立ち、シルクのような毛並み、繊細なスタイルを持った彼女は、ヤシロさんの家の飼い猫で、自由気ままが身上のロシアンブルーのお嬢様だ。

犬と猫の関係だけど、義理の兄妹としてヤシロさんと彼女は仲がいい。
冷静沈着なコトナミさんとは何かと話が合うのだという。
その奔放振りには、かなり手を焼いているようだけど。

そして、彼女は。

「モー子さん、モー子さん!ねえ、降りて来て。朝のご挨拶をさせて、モー子さん!」
「もーキョーコ!その変なあだ名で呼ばないでっていつも言ってるでしょう!?なんなの、それ!」
「だって、いつも『もーもー』言うんですもの。ねえねえ、モー子さんてばあ」
「分かったわよ、もーうるさい子ねえ」

呆れた顔をした彼女は、ひとつ吐息を漏らして。
身軽な仕草で門からひらりと飛び降り、キョーコちゃんの前に姿を現す。

キョーコちゃんはそんな彼女を嬉しそうに待ち構えて…

「おはよう、モー子さん!」
「はいはい、おはよう」

もじもじと照れ臭そうにしながら、彼女の頬をぺろりと舐めた。
そして顔を差し出すキョーコちゃんの頬にもコトナミさんの小さな舌がぺろっと舐め返して。

「うふ、モー子さんの舌、ザラザラしててくすぐったい」
「バカね、猫なんだから当然でしょ」
「ふふふ、モー子さん、大好き!」

そう言って嬉しそうに笑ったキョーコちゃんは、コトナミさんのほっそりとした身体に身を摺り寄せる。

そう。
この、美人の彼女が、俺の唯一で最大の恋敵なのだ。

キョーコちゃんがお嫁に来たばかりの頃、1人で蝶を追って庭の奥にまで入り込んでしまい、迷子になって泣いていたところを彼女が助けてくれたのだ。
うちの庭は、コトナミさんにとっての散歩コースになっている。
急にいなくなったキョーコちゃんを探して慌てふためいていた俺の元に、キョーコちゃんを連れ帰って来てくれたのも彼女だ。

それについては、感謝したってしたりないくらいなのだけど。

その日の出会い以来、キョーコちゃんは…彼女にメロメロなのだ。
その美しさに、その知性に、そして初めてだという同性の友達に、完全に参ってしまっている。
意外な面倒見のよさを見せるコトナミさんも、キョーコちゃんのことを可愛い妹のように思っているようだ。

「モー子さんも私達と一緒にお散歩したらいいのに!気持ちいいよ?」
「いやよ、なんで猫の私が首輪つけて散歩しなきゃならないの。リードなんて大嫌い」

尻尾をふりふりと振って彼女を見上げるキョーコちゃんに、彼女はそっけない様子でそう返す。

その、冷たくも見える態度が堪らないのだとキョーコちゃんは言う。
…俺にはとても真似の出来ない芸当だと思う。

キョーコちゃんに友達が出来たことは喜ばしいし、女の子同士が仲がいいことは微笑ましい光景だ。

けれど。

「おーい、クオン…顔が怖いぞ」

ヤシロさんに言われて俺は、瞳を閉じて長く息を吐く。

「…女の子相手にまでやきもちを焼くなんて、嫉妬深い男だと思ってるでしょう」

俺のそんな問い掛けにヤシロさんは、肩を竦める仕草をしてそれを返事に代える。

しっかり掴んだはずのキョーコちゃんの心が、コトナミさんを相手にしている時だけ、確実に俺から離れてしまっている気がするのだ。

そんな対象じゃないのは分かっているけど…不安になる。
これほど一人の女の子に心を捕らわれた経験は、生まれて初めてなのだ。

どうしていいのか、どうしたらいいのか。
分からなくなるほど、キョーコちゃんに恋焦がれていた。

他の誰かに瞳を輝かせる彼女を見ると、置いて行かれてしまうような心細さを感じてしまう。

「だから、出来たら会わせたくなかったんだけどな…」

俺の唯一は彼女だけなのに。

完全な俺のエゴが、キョーコちゃんを縛りたがっている。

だから君も俺だけにしてと、やきもち焼きな俺が言いたがっている。

それでも…
コトナミさんと楽しそうに話をする、幸せそうなキョーコちゃんを見ていると俺も嬉しい気持ちになる。

彼女の幸せは俺の幸せなのだ。
それが揺らぐことは、この先一生、ないだろう。

だから俺は、今の状況を…受け止めようと思う。
不本意だけど。

「…クオンて、本当にキョーコちゃんにべた惚れなんだなあ」

俺の心の動きをどこまで読んでいるのか、改めて感心したようにヤシロさんにそう言われ、今度は俺が肩を竦める番になった。

そんなことは言われなくても、もう十分に理解していることだ。

「惚れたほうが負けなんだって、最近つくづく思いますよ」

爽やかな朝の光の中。

きゃあきゃあと楽しそうに戯れあう女の子達を眺めながら、溜息混じりに俺は真理を口にした。



…そうして一日が過ぎ、眠りに就く時間になって。

同じベッドの中で寄り添うように丸くなった俺の腕の中で、キョーコちゃんはとろとろとした眠そうな声で一日の出来事を俺に話す。
これも、俺達の間で習慣となっていることだった。

「今日は、朝からモー子さんに会えて嬉しかったです…お家にも、遊びに行けちゃいましたし。でも、モー子さんたら一日の半分は眠ってて、尻尾で適当にあしらうんですよ。尻尾と遊びたいんじゃ、ないのに」

眠りに落ちる前の、いつもよりもずっと幼く聞こえる甘い声が俺の耳を優しく擽る。

あの後、コトナミさんに懐くキョーコちゃんを微笑ましく思ったお隣さんが、俺達を家に招いてくれたのだ。
今日はコトナミさんへのキョーコちゃんの愛着振りを存分に見せつけられた1日で、内心ではやっぱり面白くない気持ちが募っていたのだけれど。

今日も1日、可愛いキョーコちゃんが見れたからよしとするか。

俺は自分にそう言い聞かせて、笑みを見せる。

「コトナミさんが寝ていた間は、俺と遊んでいただろう?俺で、我慢して」

頬に唇を寄せて囁くと、キョーコちゃんはふわりと瞳を細めて。

「私は幸せ者ですね…優しいパパとママに出会えて、大好きなお友達はお隣にいて、親切にしてくれる人達もたくさんいて」

それから、と続けたキョーコちゃんは俺にぎゅっと抱き付いて、

「何より、一番大切な旦那様が隣にいてくれて、私のことを見守ってくれてます。凄く、贅沢な毎日だわ…」

耳元に、そう囁いた。
柔らかな舌が、俺の耳をぺろりと舐めて…そのまま、体重が俺の腕にかけられて。

慌てて顔を覗き込むけれど、腕の中のキョ-コちゃんはもうすでに深い眠りの中に落ちていた。

けれど、寝言で嬉しいことを言ってくれる。

「ん…大好き、クオンさん…むにゃうにゃ…好き…」

俺は残されたベッドの中で1人、勝手に緩んでくる口元を押さえる。

ちょっと萎み気味だった俺の心は一気に大きく膨らんで、胸の奥に温かな色の火が灯ってそんな心を明るく照らし出して。

一番だって。キョーコちゃんが俺を、一番大切で、大好きだって…

俺は、随分簡単な男だと思う。

こんな言葉1つで、今日のもやもやとした鬱屈が全て帳消しになっている。
心が、もう簡単に浮き立ち始めている。

彼女の影響力は大きい。
一言でも俺を、こんなにも喜ばせてしまうのだから。

「俺も大好きだよ、キョーコちゃん…また、明日ね」

俺も瞳を閉じて、穏やかな眠りに身を委ねる。

そうして。
俺の1日は更けて行く。

幸せの源である、大切な可愛い妻を抱き締めて。

ふわふわ、もこもこの心地いい彼女の温かな身体は、俺を幸せな夢の中に引き入れてくれたのだった。



DOG LIFE5≪COOKIE PANIC編≫に続きます。


やきもちクオンさん。


モー子さんには勝ててるのか勝ててないのか…

無邪気なキョコわんは、結構無自覚な小悪魔ちゃんだなあと思います。


ほんと、惚れたほうが負けですね♪頑張って頂きたいです、クオンさん^^


ではでは、また明日★