*SIDE クオン*

俺の朝は、毎日幸せに満ちて始まる。

「クオンさん起きて、朝ですよ。ねえ、クオンさんたら。もう…ちゃんと起きていること、私知ってるんですからね」

可愛い声が聞こえて、俺は苦笑を浮かべて瞳を開いた。
すると、目に飛び込んで来るのは愛しい相手の愛らしい顔で。

「おはよう、キョーコちゃん」

身を起こして頬にちゅっとくちづけると、キョーコちゃんはやや拗ねた顔をして見せる。

「もう、クオンさんてば…今、寝た振りしてたでしょう」
「まさか、そんな。さっき起きたばかりのところだよ」
「本当ですか?」
「本当ですよ、奥さん」

今よりずっと早い時間に起きてしばらくキョーコちゃんの寝顔を眺めてから、優しく起こして貰いたくて寝た振りをしていたなんて話したら、恥ずかしがり屋の彼女はなかなか俺に寝顔を見せてはくれなくなってしまうだろう。

だからこれは、愛しいキョーコちゃんにも内緒の話だ。
夫婦といっても、少しの秘密は必要だと思う。

キョーコちゃんはくりくりした瞳で俺を探るように窺い見たけれど…

そのまま、小さく溜息を漏らした彼女は俺の頬にキスを返して。

「まあ、許してあげます。おはようございます、旦那様」

そして、表情を綻ばせて朝の挨拶をしてくれた。
疑惑は残るけれど、それについては見逃してくれたようだ。
俺の大事な奥さんは心が広い。

そのまま、俺とキョーコちゃんはそっと唇を重ね合わせる。

俺の朝は、毎朝、こんな風にして始まるのだ。



「はい、クオンはこれでOK。更に男振りが上がったわ!次はキョーコちゃんよ、いらっしゃい」

2人の時間をしっかりと楽しんだキョーコちゃんと俺は、寝室から出てジュリエナ母さんに挨拶をしに行く。

そうして始まるのが母さんによる俺達のブラッシングだ。

クー父さんは2日前から仕事で家を出たまま帰って来ていない。
母さんの仕事も似たような感じなのだけど、今は休暇中なのだそう。
それに合わせて父さんも今の時期は仕事をややセーブしているらしい。
だからきっと、今夜にも帰って来るはずだ。

「キョーコちゃん、今度は君だって」

母さんの座るソファーから降りた俺は、リビングの棚の写真をうっとりと眺めているキョーコちゃんに近付く。

「あ、はい!今行きます」
「キョーコちゃんは、その写真が随分気に入ったんだね」
「だって…とっても、幸せだったんですもの」

頬を染めたキョーコちゃんは、はにかんだ笑顔を浮かべてそう答える。

綺麗なフォトフレームに入れられたその写真は、先月撮られた俺達の結婚式の写真で。
2人で写ったこの写真が、最近のキョーコちゃんのお気に入りだったのだ。

白いドレスを着て幸せそうな顔で写真に収まっているキョーコちゃんは、思わず人に自慢して歩きたくなる衝動に駆られてしまうほど可愛らしくて、この写真は勿論、俺のお気に入りにもなっている。

2人一緒にソファーに戻ると、そこでは母さんがキョーコちゃん用のリボンを前にして思案顔だ。

「キョーコちゃんの今日のリボンはどれにしようかしら?どれも似合うから、困っちゃうわね」
「今日はこれがいいと思うよ、母さん」

俺はたくさんのリボンの中から、赤の地に黒のチェックのリボンを銜えて母さんに差し出す。
赤い色はキョーコちゃんの焦げ茶の毛並みに綺麗に映えて、可愛らしい彼女にとてもよく似合うのだ。

「あら、クオンはこれがいいの?キョーコちゃんはどうかしら?」
「ふふ。私のお気に入りです、このリボン」
「あらあら、キョーコちゃんもこのリボンがいいみたいね?じゃあ、今日はこのリボンでお散歩に行きましょうね」

そう言って手にしたのはキョーコちゃんと俺の散歩用のリード。
朝起きてから1時間ほどの散歩をするのが、俺達の日課となっていたのだ。

家の外に出ることを考えて、俺はそっと溜息を漏らす。

散歩は楽しいけれど…
実は、それに纏わる少々の心配事があり、それが最近の俺の小さな悩みとなっていたのだ。


「やあ、おはよう!クオン、キョーコちゃん。いい天気だねー」

いつもの散歩コースを歩き家の傍まで戻って来ると、横道から穏やかな声に挨拶を受ける。
振り返るとそこには、黒い瞳に怜悧な光を湛えた、同じく散歩中の一頭の柴犬が立っていて。

キョーコちゃんと俺はその姿に瞳を和ませる。

「おはようございます、ヤシロさん」
「ヤシロさん、おはようございます!本当、いい朝ですね」

彼はお隣に住むヤシロさん。
ほんの子供だった俺がヒズリ家に貰われて来た頃から知っている、古くからの年上の友人だ。

「キョーコちゃん、ここに来てから結構たったけど、どう?新しい環境にはもう慣れた?」
「はい!パパもママもクオンさんもとっても優しいし、他の皆さんもよくして下さるから大丈夫です。心配して下さってありがとうございます、ヤシロさん」
「いやいやそんな、お礼を言われるほどのことじゃないよ。それにしてもよかったな、クオン!こんな可愛いお嫁さんが来てくれて」
「はい、毎日が幸せですよ」
「やだ!もう、クオンさんたら」
「あ、キョーコちゃん、照れてる」
「もーからかわないで下さい、ヤシロさん」

真っ赤になったキョーコちゃんは、唇を尖らせて笑顔のヤシロさんを見る。

面倒見のいい彼は、俺が紹介したキョーコちゃんとあっという間に親しくなってくれた。
家族以外ではまだまだ知り合いの少ないキョーコちゃんにとっては、心を許せるいいお兄さん的存在になっていたのだ。

飼い主2人が立ち話を始めたのをいいことに、俺達も話を始める。

「今、そこの公園まで行って来たんだけど、去年植えられた桜が咲いてたよ!キョーコちゃん、桜は知ってる?俺の生まれた国の樹で、ピンクの花が咲くんだ。綺麗だったよ」
「本当ですか!?私、見たことないんです。ジュリエナママにお願いしたら連れて行ってくれるかしら、クオンさん」
「大丈夫。さっき母さんが明日は公園まで行ってみようって言ってたから、見れるはずだよ」
「わ、嬉しい!じゃあ明日さっそく見て来ますね、ヤシロさん。すごく、楽しみです」
「うん、2人で行っておいで。桜は散る時も綺麗なんだ、ぱあっと花びらが雨みたいに降って…あっという間に散っちゃうから、毎日見ておくといいかもね」
「わあ、花びらの雨なんて素敵…散っちゃうのは寂しいけど、それも、見てみたいです」

ほわんと夢見るような顔をしたキョーコちゃんを前に、ヤシロさんと俺は目線を交わして笑みを零す。

こんな可愛い要望には是が非でもお応えしなくてはならない。
しかも、まだ生まれて1年も経っていない彼女は、見るもの全てが初めてのものなのだ。

これは明日から毎日、上手く散歩コースを誘導していかなくては。

そう、俺が考えていたら。