そして、その日の夜。

蓮の自宅で作る今夜の夕飯の献立を考えながら、撮影スタジオの関係者用入り口から外に出たキョーコは蓮に連絡を取ろうと携帯を取り出した。

そして番号を呼び出し、発信ボタンを押そうとしたのだけれど…

「最上さん」

いきなり甘やかな声に名前を呼ばれ、驚いて弾かれたように顔を上げる


すると目の前には、高級車を背後にした、ピンクの薔薇を抱えた麗しい姿があったのだ。

彼は道行く人々の目線を集めるのもものともせずに、キョーコへ嬉しげに微笑みかける。

「最上さん、会いたかった」

ふわりと微笑む姿は、まるでCMか何かの撮影かと思うほど華やかな絵になっていて…

そんな姿を目にしたキョーコは、突然のことに呆然となってしまう。

だってそこにいたのは、キョーコが朝からずっと会いたいと思い仕事のモチベーションの一番の糧としていた敦賀蓮、その人だったのだ。

「敦賀さん…!嘘、どうしてここに!?」
「仕事が早く終わったから迎えに来たんだよ。お疲れ様、最上さん」

驚いた顔のキョーコにそう言った蓮は、ピンクの薔薇の花束をキョーコへとそっと差し出してきて。

夜の通りにふわりと香る甘い香りに瞳を瞬かせ、キョーコは蓮を驚きの顔で見上げてしまう。

「え、こ、この花束…私が頂いて、いいんですか?」
「勿論、俺が花を贈る相手は君だけだ。最愛の女性を迎えに来るんだから、手ぶらでなんて来れないよ」

そうして蓮は花のように微笑み、何気ない仕草でキョーコの腰に腕を回すと、そのこめかみに慣れた仕草で柔らかな唇を押し当てた。

「会いたかった、最上さん…今日は一日が長かったよ」
「ひゃ…も、もう、敦賀さんてば…」

そんな柔らかな感触に、甘い言葉に、キョーコはぽうっと頬を染め上げてしまう。

蓮とお付き合いを始めてから1ヶ月が経つけれど、キョーコはまだまだ、こういう接触に慣れていない。
けれど逆に蓮は、生まれ育ったお国柄のせいか、この手の接触を息をするかのように簡単にして見せるのだ。

勿論、嬉しいのだけど…

どうしても恥じらいが先に立ってしまうキョーコは、その腕の中でもじもじとしてしまう。

「お仕事はどうしたんです?こんなに早く終わる予定では、なかったですよね?」

時計を見れば、まだ8時半過ぎだ。

まだまだ新人の部類のキョーコに比べ、仕事の量が半端ではない蓮が、こんなに早く仕事を終えられるはずがない。

そう思ったキョーコは、またすぐにお仕事に戻るのだろうかと寂しい思いで聞いたのだけど。

キョーコを抱きかかえた蓮は、その視線に優しく微笑み返す。

「今日の仕事はもうおしまい。君に早く会いたくて、頑張ったんだ」
「…ほ、本当ですか…!?」
「本当です。俺が君を騙すような真似、すると思う?」
「思いませんけど…敦賀さんには前歴があります」

2年前のキョーコはそれこそもう度々と、目の前の蓮に騙され続けてきたのだから。

上目遣いでじっと見上げると、蓮が苦笑を零す。

「それは君が可愛かったからだよ。そういう頃から俺は、君に夢中だったんだから…いつも言っているだろう?」
「…敦賀さんたら…」

艶めいた声に囁かれ、キョーコの頬が更に染まる。

そんな声に、台詞に照れたキョーコは、恥ずかしさからそっと目線を外して…

周囲の驚いたように自分達を見つめる目線に漸く気付き、表情を強張らせた。

イチョウの並木道が連なる撮影スタジオの前の通りには、いつの間にやら、蓮とキョーコを遠巻きに眺める人垣が出来ていたのだ。

「つ、敦賀さん…!私ったらうっかりしてました!こっ、こんなところにあなたが来たら、物凄ーく目立っちゃいます…っ、やだ、どうしよう、昨日の今日なのに!」
「昨日の今日だから来たんだよ。今までは極力人目を避けていたけど、もう解禁だ。大事な彼女のお迎えは、彼氏の、当然の権利なんだからね」

キョーコの荷物を流れる仕草でやんわりと取り上げた蓮は、なんてことないようにそう言って、花束を抱えたキョーコを抱えて歩を進める。

彼と縺れるように歩くこととなったキョーコは、そのしなやかな腰に片腕を回す状態になり、あまりの密着振りに顔に火がついてしまう。

そしてそんな様子の2人を囲む周囲から、歓声にも似たざわめきが上がって…

それに満面な笑顔で手を振って見せる蓮に、キョーコは真っ赤な顔のまま声を潜めて彼に慌てた調子で囁いてしまう。

「解禁って!こんな、人前でくっついてたら、う、噂になっちゃいますよ…っ」
「何か、問題?もう十分俺達は噂になってる。2人一緒に会見をしたんだ、今更だろう?日本中の人がもう知ってる、女優の『京子』は『敦賀蓮』の彼女だって…ああもう、最高の気分だな」

なのに蓮は、更に笑みを深めてキョーコの赤い頬に唇を寄せてきて…

柔らかなその感触に、蓮の腕の中で飛び上がってしまう。

「敦賀さん、こ、こんなこと人前でなんて、破廉恥なことです…っ」
「残念ながら俺は、生まれも育ちもアメリカなんだ。最上さんにはそれにしっかり慣れて貰わなくちゃ、ね?」
「ここは日本、日本ですよ!郷に入りては郷に従うものなんです!!」
「うーん、ごめん。意味がよく分からないな」
「な…っ!今すぐ辞書を引いて下さい、辞書を!本当は知ってるんでしょう!?」

きいぃっと、キョーコは怒って見せるのに。

流れるように車の助手席へとエスコートした蓮は、

「最上さん?せっかく会えたのに今夜の君は、怒ってばかりだね?」

助手席のドアを開けつつ顔を覗き込んできて、何だか拗ねたような顔をして見せた。

その表情をまともに見てしまって、キョーコはひゅうッと息を呑む。

「…そっ、そんな、切ない顔をしないで下さい…!」
「君があんまりつれないから。電話では会いたいなんて、可愛いことを言ってくれたのにな」
「だ、だって…人前なんですもの…っ」
「だからもう今更だって。俺は、大好きな君に会いたい一心で頑張って仕事を終わらせてきたのに…ご褒美もなしなの?」

瞳を覗く蓮に低く囁かれて。

その途端、キョーコの頬は更にぽわんと染まってしまう。

『大好き』

この状況への抵抗心は勿論たくさんあったけれど、蓮のその言葉に、そんなものはあっという間に頭から吹き飛んでしまった。

心が身体が、瞬時に蓮に捕らわれて…

蓮に絡ませた腕に、思わずきゅうっと力を込める。

彼の甘い香りに包まれて、その傍にいることをしっかり実感して、その強い安堵感に吐息が漏れた。

「…わ、私だって、早くあなたにお会いしたかったんです…!」
「本当に?急にここに来て、俺は迷惑じゃなかった…?」

近い距離で心配げに問われ、キョーコは頬をぷくんと膨らませる。

「そんなわけないです、もう、敦賀さんの意地悪…」

詰るように見ると、蓮はくしゃりと破顔して。

「よかった。実は、憧れていたんだ。こうやって堂々と、君を迎えに来ることに」

嬉しげに言う蓮に、キョーコは堪らず表情を緩めてしまう。

いつも大人っぽい彼だけど、最近では時々、キョーコには少年みたいな顔を見せてくれるのだ。

その無邪気な笑顔に、心が優しい感情に包まれ、胸の奥が甘く擽られてしまって。

しかもそんな顔をするのは、キョーコの知る限り自分の前だけで…

心を許してくれている気がして、どうしようもなく嬉しくなる。

だから、そんな彼の希望を叶えてあげたくなってしまうのだ。

やっぱりキョーコは、蓮のお願いにはとてつもなく弱くって。

「…あの、敦賀さん…?」
「ん?何かな、最上さん」
「これが、ご、ご褒美になるかどうかは、分からないんですけれどもっ」


小さな声で名前を呼んで、そんな声に長身を屈めるようにして身を寄せてくる彼の滑らかな頬に右手をそうっと添えて…

「実は私も、憧れていることがあるんですよ…?」

そう、耳元に囁くと…

キョーコは背伸びをするなりその頬へ、ちゅっと音を立てて小さくくちづけた。

「…ッ…!!」

目を見開いた蓮に見下ろされて、肩を竦めたキョーコはふふっと照れ臭そうに笑って見せる。

「こういうの、実は子供の頃から憧れていたんです。外国の女の子がお礼にって男の子の頬にちゅってするの。私は日本人だし、もう子供じゃないから、イメージ通りには行きませんけど」
「…も、最上さん…」
「あ…やだ、ごめんなさい!こういうのって、えーとあの、やっぱり、ご褒美、に、なりません?自己満足ですか…!?」

ちょっと頑張ってみたのだけど、敦賀さんの顔が無表情になっている。

もしかして私、全然あさっての方向のことを、してしまったのかしら!?

そう思ったキョーコは、慌てたのだけど。

「…この、小悪魔が…本気でだるまやに帰せなくなったら、どうしてくれるんだか。大将に睨まれるわけには、行かないって言うのに…」
「? 敦賀さん、何ですか?大将が何か…て、わ、わわわ…っ!?」

何やら呟く蓮に、どうしたのかと首を傾げていると…

気を抜いた隙にその腕に抱え上げられ、あっさり助手席に納められてしまった。

「つ、敦賀さん!?」
「君は俺のものだって、世間の皆様に見せびらかしたかったんだけど、それはもう終了。早く今すぐ、2人きりになりたい」
「お、俺のもの!?今すぐ2人きりって…!!あ、だめだめ、敦賀さん!お夕飯の買い物してから帰らなきゃ!」
「うん、でも、一食くらいは抜いても、罰は当たらないよね?」
「…罰は当たらなくとも、私の雷が落ちます…!!」

瞳を三角にしたキョーコに笑いながら、蓮は運転席に乗り込み、滑らかに手を伸ばしてキョーコのシートベルトをかちりと締めて。

「君の可愛い雷なら喜んで受けるよ、最上さん」

そしてその言葉と一緒に、キョーコの唇をそっと掠め取って行った。

「…ッ、敦賀さん…!!」
「これくらいしても、君の攻撃に比べればまだまだ足りないくらいだよね?」

…真っ赤になったキョーコと、それはそれは楽しげに笑う蓮を乗せて。

蓮の運転するポルシェは、唖然と見送る周囲の目線を振り切って、滑るような静かな動きでその場から走り去って行ったのだった。




やっぱりと言うか、当然と言うか。

…翌日、そんな蓮とキョーコの様子は、目撃者の一般の方からネットに乗せられあっという間に世間に広まってしまって。

『敦賀蓮・京子 交際会見後のラブラブデート!』と銘打たれ、その週発売の週刊誌にも、蓮がキョーコを抱き寄せる様子やキョーコが蓮の頬に唇を寄せるところ、そして車内でキスをしているところが写真つきで載ってしまったのだった。

「…まあ、仲がいいことはめでたいことだがな。外ではほどほどにしろや、お前らは自分らが思うよりもずっと目立つんだからな」
「ホント、やりたい放題だなあ、蓮~。うんうん、仲がいいことは、いいことだ」

と、社長と社にニヤニヤ顔で言われてしまって、蓮と一緒に社長室に呼び出されたキョーコは、大変恥ずかしい思いをしてしまうのだけど…

まあ、今までみたいな極秘のお付き合いならば、こんな報道はとってもまずいけれど。

もうすっかり、私達が真剣な交際をしていることは日本中の人が知っているのだから、いいわよね?

恥ずかしいし、照れ臭いけれど…

敦賀さんは私のものだと宣言できているみたいで、実はこっそり嬉しかった。


…そんなふうにキョーコが思ってしまうのは、随分と蓮に、影響を受けてしまっているのだろうか…?


その後、週刊誌を見ただるまやのご夫妻に少々渋い顔をされて、困った顔をして弁明している蓮をその隣で苦笑気味に眺めながら。



キョーコはそう、考えていたのだった。



*END*


『告白が成功してこの世の春を謳歌する敦賀さんと、何だかんだで敦賀さんのお願いに弱いキョコ』でした。

原作での、敦賀さんのキョコへのお願い成功率の高さにはびっくりします。

『時間と身体をくれ』と言えば若い男の一人暮らしの部屋に簡単に来るし、本当の思惑は違うけれど『膝枕して』と言えば案外抵抗感なくやってくれるし、『マウイオムライスが食べたいと』言えば、夜遅くに2人きりのお買い物にまで付き合うし…キョコたん、ちょっとは危機感持って~><

このお話の2人は完全なピュアぶりなので、キョコを華麗にお持ち帰りしたところで、先の進みようがありません。


ふふ、残念ですね、敦賀さん♪

それでは~