*はじめに*

*くらやみのなかで*後編(2)です。
そしてまたまた長くなったので(3)に分割…こんなことなら前後編とか言うんじゃなかった…

それでもいいよ!と言う素敵な方、どうぞ♪




*くらやみのなかで*後編(2)


***


レンとセツの真夜中の秘密の逢瀬は、毎夜続いておりました。

泉のほとりで2人は、様々な話をします。

政策として提案する案に悉く難色を示す重臣達のことをレンが頭が固いと零すと、セツは「硬い硬いと思うのなら、柔らかくなるまで煮詰めるのは如何でしょう。どんなに硬い食べ物も、長く煮るうちに蕩けてきますよ。お砂糖を入れれば、甘くもなります」と不思議な返事を返します。

その言葉に、煮詰められる重臣達を想像してレンは思わず苦笑を零します。

そして…
それは、案外深い話かもしれないと思いました。

相手を「頭が固い」と言い切るのは簡単なことです。
けれど、その相手をどうにかしたければ、こちらも何かの行動に出なければいけません。

相手の考えを変えさせるには、煮るのもいいし、砂糖を入れるのも、いい手かもしれません。

セツとの会話はいつもこんな感じでした。

子供の戯言のようでもあり、深い話のようでもあり。

そう言うセツとの会話に、レンはいつしか楽しみを見つけていました。

初めは危なっかしいセツを見守ることに重点が置かれていた夜の訪問でしたが、今ではレンの話を聞いて貰ったりセツの話を聞いたりすることが、一番の理由となっておりました。

夜中に顔を合わせる2人は、話す以外にも様々なことをしてその時間を過ごします。

泉のほとりで寝転がって夜空を見上げ、月の美しさを眺めたり、勉強と称して輝く星の数を際限なく数えたりもしました。
他国から届いた珍しい菓子や、王宮の庭師が管理する花園の貴重な花を手土産に渡すと、セツは子供のような歓声を上げて喜びます。

その無邪気な様子は、『キョーコ』がいなくなって以来、政務に追われることで気を紛らわせていたレンの心に、再び温かな感情を思い起こさせました。

…そんな日々が続いた、ある日の夜。

レンが手渡した鮮やかな色の花束をうっとりと見つめていたセツが、不意にレンを見つめて言いました。

「王様は…毎晩、このようなところにいらっしゃっていて、よろしいんですか?」

ベールの奥に厳重に面を隠し表情を一切窺わせないセツでしたが、慣れ親しむうちに、レンにはその感情の行方が分かるようになっていました。

セツは、レンのことを心配している様子でした。
そんなセツに、レンは困ったような笑みを向けます。

「…私が傍にいるのは、邪魔?」
「まさか、そんな!ただ…ここよりも、王様には行くべき場所があるのではと思うのです。ハレムで、たくさんの美しい方が王様を待っていると聞きました。王妃様を早く持たれてお世継ぎを儲けられることを、国中が願っているとも聞いて…だから」

俯いたセツはしどろもどろになりながら、懸命に言葉を口にしました。

世継ぎのことは、それはもう何度となく重臣達から願われていたことでした。
普通王族は10代の半ばには妃を迎え、20歳を越える頃には、何人かの子供を儲けているのが常だったのです。

けれど、レンには子供はおろか妃の1人もおりません。

重臣達が焦る気持ちも分かります。
同じような言葉をこれまで何度、言われたことでしょうか。

けれど…セツの言葉は、レンの胸に不思議な痛みを伝えます。
他の娘を薦めてくるセツの台詞が、思うよりも深く、レンの心を抉ったのです。

「セツは随分…いろいろな話を聞いてきたんだね。そんな話を知っているのなら…私が『キョーコ』以外を娶るつもりがないことも、君は知っているだろう…?」

その言葉には、自分でも驚くほどの拗ねたような響きが含まれていました。
それに困ったような色を気配に浮かべたセツが、更に顔を俯かせます。

「でも…お1人の王様は、とても寂しそうに見えます。もしも王様が、新しく想いを寄せるお相手を見つけても、その方とお子様を儲けられても…『キョーコ様』は、怒らないんじゃないかと思います。王様の新しい幸せを、願って下さるんじゃないのかって」

その台詞にレンははっとなります。

セツが言いたかったことは、国のためでも世継ぎのためでもなく、レンを思い遣っての言葉だったのです。
『王様』という立場ではなく、レン自身の心をセツは考えてくれていたのです。

レンの『新しい幸せ』。

…セツの言う通り、多分『キョーコ』も…
そうなっていたとしても、怒りはしないでしょう。

むしろ、レンが新しく見つけたそんな幸せを、嬉しそうに喜んでくれると思います。

…本当は、レンにも分かっているのです。

万が一キョーコが10年前の殺戮の夜を逃げ延びていたとしても、あれほど幼い少女がこの10年を1人で、情報ひとつ残さず生き抜くことができるはずがないということを。

きっと…
大切なあの幼い姫は、もうこの世にはいないのでしょう。

いつかはそれを受け入れなければならないことを、レンはしっかりと分かっているのです。

…けれども…

『キョーコ』の存在はレンの中で、深くて大きな甘い傷でした。

共にいられた短い時間があまりにも幸せすぎて…
そんな彼女を守れなかった心の傷が、今もレンを苛むのです。

セツと同じく俯いたレンは…声を絞って、言葉にします。

「セツ…私は、1人では幸せになってはいけないのだよ。私が幸せになる時には、この隣には『キョーコ』がいなくてはいけない。私は『キョーコ』が戻って来ない限り…一生1人なのだと思う。それは…大切な『キョーコ』を、あんな小さな姫1人助けられなかった私への、一生の罰なのだと思う…」

レンは、これまでヤシロにも話せていなかった心のうちを、思わずと言うようにセツへと吐露していました。

その言葉には、隠し切れない寂しさが滲んでいました。
セツの言う寂しさは、確実にレンの胸の奥に隠れていたのです。

1人で過ごす10年は、長すぎる年月でした。

そして気付けば…

セツが、思いの外近い距離から、レンの顔を覗き込んでいました。

ベールの奥のセツが泣いているような気がして、弱った心を晒してしまったことにレンは慌てます。

多分、きっと…
セツの中にもレンと同じ、いえ、それ以上の寂しさが抱えられているのです。

彼女こそ、家族もなく友もなく、物心が付く頃からこれまでを、1人で生きてきたのですから。
『何も家族の記憶がない』という彼女こそ、レン以上の深い深い寂しさを、その心の奥にたくさん抱えているのです。

「セツ、すまない、私は」

恥ずかしくなったレンは謝りの言葉を口にしようとしますが、セツは首を大きく横に振ります。

そして、

「…男の方でも…悲しい時には、声を上げて泣いてもいいんですよ、王様…」

抱えた膝に両手を乗せ、レンの顔を下から覗くようにしたセツはそう言いました。

けれどそう言ったセツの方が、ずっとずっと涙声です。

震える指先がおずおずとレンに伸ばされ、触れようとして…
思い出したように慌てて引っ込みます。

「泣いてなんていないよ。泣いているのは、君の方だ」

くしゃりと顔を歪めたレンは、溜まらずセツへと指先を伸ばしました。
1人、ベールの奥で声を抑えて涙を零す少女を、レンは放って置けませんでした。

…けれど、すいと伸ばしたレンの指も寸前で逃げられて…

「…ダメです、触れたら穢れが移ります…それに、私も、泣いていません」

レンから少し離れた場所でとうとう顔を両手で覆ってしまったセツは、篭った声でそう言いました。

「…王様は意地っ張りですね…それは、王様だからですか…?」
「そうかな…俺からすれば、君もいい加減、意地っ張りだなあと思うよ」

セツにつられて涙声の滲む自分に苦笑しながら、レンは言います。

そう言えば『キョーコ』も意地っ張りだったなと、転んでも泣き顔を見せようとしなかった小さな姫を、レンは思い出していました。

そして、『キョーコ』のことを、こんな風に穏やかな気持ちで思い出すことができたのは、この10年で初めてではないかと思いました。
彼女が生きていることの痕跡を探すのに必死で、そして思い返すことが辛いばかりで、レンはその思い出から目を逸らしてばかりきた気がします。


…レンとセツの間には、触れ合うことのない物理的な距離が相変わらず横たわっていましたが…

心の中の距離は、実は密かに…
でも確実に、近付いているのかもしれない。

雲に翳った月を離れた場所で、2人一緒に見上げながら。

そんな感覚を、レンは覚えていたのでした。


***


ある日の朝、レンは泉の淵へと足を急がせておりました。

夕刻から急遽行なわれた議会が思いのほか長引き、夜を越えてしまい、そのまま朝を迎えてしまったのです。

セツと顔を合わせるようになって以来、こんなことは初めてでした。
彼女はそんなことも知らずにあの場所で、レンをずっと待っているはずです。

誰かに伝言を託そうかとも思ったのですが、それは無駄なことだと分かっていました。

セツはレンの前以外には、その姿を現そうとしません。
暗闇の中、気配を消すことに長けたセツを見つけることが、伝言を託された者にできるとは思えません。

その事実はまるで野生の獣を懐かせたような感覚に似ていると、レンは苦笑気味に思います。
そしてそれは、レンにくすぐったい想いを抱かせるものでした。

あの日の夜から…

2人の間には、通じ合う何かが生まれていました。
『キョーコ』を想うものとはまた違うセツへの感情が、レンの中には生まれていたのです。

『キョーコ』のことを思い返す度に感じていた胸の痛みは…
確かに今も心にあるけれど、それは少し、形を変えているようにも感じられました。

贖罪ばかりを胸に抱えたレンの心を、セツが緩やかに変えてくれていたのです。

…セツを王宮に召し上げることができたら、これまでの生活は一変するかもしれない。

泉に急ぎながら、レンはそんなことを考えていました。

その考えは、実は暫く前からレンの胸の中で思い描かれていたものでした。

セツはレンの中で、いつの間にか大きな、そして欠かすことのできない大切な存在となっていました。

『キョーコ』を愛しいと思う気持ちと同じ心を、セツへそのまま向けることはできないかもしれないけれど…
人の心には、相手に応じた愛情の形がそれぞれにあることを、レンはセツとの逢瀬を重ねるうちに彼女から教わったような気がします。

『キョーコ』以外を愛しく思い、1人、違う幸せを求めることに対しては、いまだ強い罪悪感を感じますが…
自分を醜い醜いと卑下し続けるセツを、レンは放って置くことができないのです。

『醜い』と言い、顔を一切見せようとしないセツですが、レンは特に気になりはしません。
醜かろうが美しかろうが、セツであることには変わりはないのです。

その無邪気さで、素直さで、レンの傍にいてくれるのであれば、他には何も求めはしません。
見た目のみが美しい者と、心の美しい者のどちらを選ぶかを考えれば、それは自明の理なのですから。

隠す必要などないと思うのですが、本人が望むのなら、ずっと顔を隠したまま生活をしても、それはそれでいいと思います。

心を開き、レンにさえその全てを見せてくれるのであれば、何の問題もありません。

…こんな話をセツにしたら、彼女はどんな反応を見せるでしょうか。

それを思うとやけに心が逸ります。
逃げることが上手な彼女をどう捕まえるか、どんな手を使ってうんと言わせるかを考えると、楽しくて仕方ありません。

そうして弾むような足取りで泉に近付くと、その畔にある木の根元に、黒いベールに包まれたものが丸くなっているのが見えました。

セツです。
レンを待つうちに、そのまま眠りに就いてしまったのでしょう。

朝露に濡れた草を静かに踏みその傍に近付くと、穏やかな規則正しい寝息が聞こえてきました。
微笑んだレンはその傍にそうっと座り込むと、その寝姿を繁々と眺めました。

こんな機会がなくては、素早く隠れるセツの姿をまともに見ることなどないと思ったのです。

隠れる闇のない朝の光の下で眺めるセツは、とても細身の娘でした。
そして暗い色のベールは光を通し、その下に隠された手足を透けて見せています。

ほっそりとした手足はとても優美で、以前に見た白い背中と同じく、その美しさをレンに伝えてきます。

やはりレンには、セツが醜いとはどうしても思えません。

レンの中に、セツの顔が見てみたいという、小さな好奇心が湧き上がります。
セツは顔を枕にした両手で隠すような体勢で眠っていて、その面をベール越しに透かして見ることは叶いません。

心をもっと開かせてから、彼女自身にレンになら顔を見せてもいいと思わせたい気持ちも大きかったのですが…
今のこの機会を、逃すこともできません。

どうするべきかと、レンが1人、泉の淵でかなり本気で悩んでいたら。

「ん…うぅん…」

和えかな声を上げたセツが、不意に寝返りを打ったのです。

その動きに応じて纏っていたベールが動き、そして、顔部分が覗けてしまうような、僅かな隙間ができました。

驚いたレンは、とっさにベールを押さえてしまいます。
女性が見せたくないと頑なに隠しているものを、勝手に暴くような真似は、やはりできないと思ったのです。

しかし、レンがベールに触れた、その途端。

目の前で不思議なことが起こりました。
セツの纏う暗い色のベールが、まるで意思を持ったようにするりとその身から落ちたのです。

それはまるで、敵からの攻撃を完璧に退けてきた強力な鎧が、安堵の吐息とともに崩れ落ちたかのように見えました。

ころんと草の上に転がっているセツは、そのベールの動きによって、今まで頑なに隠していた身体の全てを、朝の光の下に晒してしまったのです。



≪3に続きます≫


3(最終話)は明日更新予定です★