長いけれど、数回に分けてしっかり書きます。
「徒者ではないおじいちゃん」のつづき。
その後、夫とおじいちゃんは長い間 話をしていた。
私はご家族と思われた女性と、
その2人を見ながら話をしていたが
なんとそのおじいちゃん、
写真家さんだというではないか
ご家族と思っていた方は
実はお弟子さんで、
おじいちゃんは師匠だという。
そうなんですか!
実は私は今、こういう仕事をしていて
とお話すると、
「まあそうなんですか!」
という話になった。
実は、普段皆さんも使っていらっしゃる
「定点撮影」という言葉、
このおじいちゃんが作ったそうだ。
(ご存知の方は、このおじいちゃんが誰かもうお分かりですね)
カメラを一点に据えて、
なにかが移りゆく過程を
時間を追って撮影するわけだが、
それだけではなく
そのコンセプトは、
毎日同じ場所でシャッターを切ることにより
写るその全体を見て
「さて、これでいいのか。
これがここにあることで
そのものの周辺が、街が、どう変わってゆくのか。
それは、それで本当にいいのか。
ではその先どうするか」
などを検証するためのものであるという。
ただそのものの成長や 移り変わりを記録するだけでなく
そのものを含んだ 全体の
この先の進化 の検討材料として
使われるものなんだ
と恥ずかしながら、はじめて知った。
その言葉、コンセプトを作ったのが
このおじいちゃんである、と知った。
その後、戦時中から現在に至るまでの貴重なお話、
お仕事への情熱、伝えることへの思いなどを伺い、
感銘を受けまくった。
「キミ、素晴らしいお仕事しているね。
キミ、頑張りなさい。
そしてこの心を、頼みますよ」
そう言われた。当然
ぐっときた。
最後にもう一度、別れ間際に
「これだけは忘れないで。
写真には必ず日付と文章を入れること。
いいね?」
記録というのは、後世に今ここにある現実を残すこと、
そして、それを見た人は
それを知り、
いろいろと考え、気づき、
”今を吟味”する。
写真はそのための手段。
だから、いつどんな状況でこれを撮ったか、
文章を添える必要がある。
もちろん取材とは違うので
一語一句先生のお言葉ではないが、
こういうことだと、私は受け止めた。
そして大変共感をもった。
私が写真集を作ろうと思った、その思いの背景には
それを見て、そのときを感じると同時に
”今”を感じてほしいからだ。
先生は、
「いやあ、今日はありがとう。いい日だった」
そういってくださった。
本当に嬉しかった。
私たちは熱い握手をして、
互いの出会いに歓喜して、
別れた。
さて、このおじいちゃんの正体(?)は…
つづく