【書評】鈴木宣利の気になるマイ本392冊「SHARE( シェア)」 | 【ビジカン!】鈴木宣利のビジネス感性研究所

【書評】鈴木宣利の気になるマイ本392冊「SHARE( シェア)」


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〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略

著者:レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース
発行:NHK放送出版協会

車の維持には、最低でも毎月数万円の
固定費が必要だ。

車を購入した場合、
車両費、諸経費、保険代、駐車場代、
車検費、ガソリン代・・など維持するための
経費がこれだけあるからだ。

一方、カーシェアリングした場合、
入会金、月会費、車利用料、ガソリン代
などになる。

これだけ見ればお分かりのように、
圧倒的にカーシェアリングのほうがお得となる。
まあ、車の場合、個人差により使う頻度が
違うと思うが、週末ドライバーの場合は
明らかに車所有はムダになるだろう。

すでに個人が何でも所有しなければならない
大量消費時代は、行き詰まり感が漂ってきた。

そうでなくても、今後米国や日本のように、
中国、インドなどの人々が何でも所有する
ようになると、当然供給が追いついて
いかない状況が予想できる。

イコール、エネルギー争奪戦に発展する
可能性もあり、新たな火種が隠れている。
結局、消費社会での経済モデルは、誰もが満足でき
ない社会であるということがすでに見えて
きてしまった。
今後、社会や経済のシステム、ルールが
変更され、〈共有〉経済社会のモデルが
確立されていくかもしれない。

明日を占う1冊として、「シェア」を読んでみた。

それでは早速、気になる3点をみてみよう。

○地球が5個分必要なる未来の世界

1980年以来、人類はすでの地球の3分の1を
使い果たしたされる。

鉱物や原油などの天然資源、また森林などの
伐採による環境破壊だ。

平均的なアメリカ人は、ひとりあたり平均250万リットル
の水、1000本の木、2万1000トンのガソリン、
22万キロの鉄、80万ワットの電力を諸費するという。

イタリア人の3倍、ブラジル人の13倍、
インド人の35倍にもあたる。そして、この地球人類
全員が、アメリカ人のような生活を望んだ時には、
地球が5個分必要になるというから驚きだ。

消費社会、使い捨て社会は、便利さと引き換えに
私達の未来の損出につながっているのだ。
そろそろ、シェアしあう社会に地球号が
舵を切らなければ間に合わないかもしれない。

○コラボ消費社会で価値を共有しあう

私の家の中には、すでに使っていない
オーディオ機器やパソコン、読まなくなった
本など大量なお荷物を抱えている。

ある時期は、レンタル倉庫などに保管
していたが、それも明らかにムダだと
感じ、一切処分してしまった。

誰もが現在使っていないモノや1年に
数回しか使わないモノがあるはずだが、
捨てられずにいる。そうであれば、その資源
をシェアすることで、他人の幸福にも力を
貸すことが可能になるのだ。

著者は、ちょうど今の世代は、資源をシェアし、
オープンにすることで、個人の利益と
コミュニティ全体の利益のバランスを保ちながら、
どうやったら価値を創造できるかを、もう一度
学び直しているという。

すでに私達は、物々交換の時代を経験したし、
互助精神の本能が元々備わっているはずであるが、
どうも忘れてしまったようなのだ。

○プロダクト=サービス・システム(PSS)の時代

ある製品を100%所有しなくても、
その製品から受けたサービスの分だけ支払うと
いうシステムに世の中は移行しつつある。

つまり、「所有」から「利用」への転換だ。

このコンセプトは、プロダクト=サービス・システム
の基本であり、これまで築いてきた産業を
破壊しつつあるようだ。

確かに私が活用しているサービスでも、
利用するシーンが多くなっている。
家のケーブルテレビやITでのクラウドサービス、
さらに家電製品や本、衣服、DVDなどの買い取り品
としての提供もしている。

すでにあるモノを、再配分することで、
資源を最大限に活用でき、さらに他からも提供される
ことで、自分たちにも見返りがあるコラボ的な
ライフスタイルが主流になっていくのだろうか。

さて、いかがでしたでしょうか。

これらのプロダクト=サービス・システムは、
すでにお分かりのように、ソーシャルネットワーク
が発達したことで、ネットを通じたシェアリング
がはじまったということだ。

今までであれば、所有者もわからず、また
貸すにしても共有された情報空間がなかった。
シェアできる情報空間が出現したことで、
見ず知らずのものがリンクされ、持続可能な
経済環境が突然、出現したということだ。

コラボ消費が今後の世界を救ってくれるのでは
ないだろうかと期待している。


それではまた、スズセンでした。