しばらくブログ更新が滞っていたので、もしや産まれた?と思ってくれていた方もあるのかもしれません。

去る10月31日午後2時25分、2248グラム、身長48センチの男の子が産まれました。

でも、残念なことに産声を聞くことのできない出産でした。



突然のことで何から説明したら良いのかわからないですが、その前日の30日、いつものように妊婦健診のため病院へ。

予定日が迫った37週のその日は、NSTという検査で赤ちゃんの心拍音や子宮収縮、胎動を調べる予定でした。

検査機械をつけても…反応がない?

「ごめんね、私のつけ方が悪いのかも」と看護師さんが機械をつけるお腹の場所をかえながら反応のあるところ探すんだけど…どうも様子がおかしい。

「…チビに何かあったんですか?」

「先に先生に診察してもらおうか。すぐに入ってもらうからね」



すでに胸が苦しくなっていたけれど、深呼吸をしながら一旦待ち合いへ戻り呼ばれるのを待つ。

ソファに座った途端、私の診察番号が画面に表示され、早足で診察室へ。

指示されるままに横になり、いつものように先生がエコーでお腹の中の様子を確認する。

沈黙しながら画面を見ている先生。

とんでもなく長い時間に感じたけれど、逸る気持ちをおさえて先生の言葉を待つ。

「非常に残念なんですが…赤ちゃんの心臓、止まってますね…」

横になったまま頭をかかえて、涙が溢れた。


想像もしなかった最悪の事態。

起き上がって椅子に座り先生の話を聞いた。

原因は今のところ何ともいえないけれど、赤ちゃん自身に問題があるケース、胎盤や臍帯に問題があるケースなどが考えられるとのこと。

でも、産まれてきた赤ちゃんを外見から確認しても原因がわからないことがほとんどだそう。

死んだ赤ちゃんをお腹の中に入れておくと、私の体の中で血液が固まりにくくなるなどの症状が起こりうるらしく、このまますぐに入院する必要があることなどの説明をされた。

診察台にあがり内診も。だけど、もう何をされているのか何が起こっているのかよくわからなかった。



頭の中が真っ白で、起こった事態を飲み込むことができなくて混乱していたけれど、看護師さんに促され連れあいに連絡。

連れあいが病院につくまでの間、看護師さんが私の肩を抱いてずっと背中をさすってくれていた。



先週の健診ではチビは元気だった。

本当の意味で元気だったかどうかは今となってはわからないけれど、心臓がちゃんと動いていたことだけは確か。

その後といったら、特別な過ごし方は何もなくて、出産のための入院準備用品の最終チェックをしたり、チビのおくるみを仕上げたり、インターネットを見たりと、連日家でゆっくり過ごしていただけだった。

何となく胎動が弱くなったように感じたけれど、確かに動いているし、妊娠・出産の本を見ても、市から母子手帳と一緒にもらった冊子にも「10ヶ月に入ると胎動がやや鈍くなる」という記載があったのでそのことなんだと思っていた。

お腹が痛くなることも、出血なども一切なかった。

なのに……なんで?



母親なのにチビの命を守ってあげられなかった。

のんきに縫い物をしたり、家事をしたり、ご飯を食べている間にチビの心臓が止まっていたのかと思うと、自分が不甲斐なくて情けなくて…何もかも嫌になった。

気づいてあげられるのは私しかいないのに。



連れあいが病院に到着してから、改めて先生から説明があった。

子宮内胎児死亡…そう書かれた診断書を渡される。

帝王切開などでチビを出すのかと思ったけど、普通に分娩しなくちゃいけないらしい。

赤ちゃんの命を優先してやむを得ず帝王切開をすることはあっても、母体へのダメージ、今後の出産のことを考えると普通に分娩するのが一番の方法なんだそう。

ただでさえこんなショック状態なのに、更に苦しい思いをして産まなくちゃいけないなんて…なんて酷な話だろうって思った。

死んだチビを産むために、死ぬような思いをして産まなくちゃいけないなんてあんまりだよ。



状況をうまく把握できないままに慌しく入院の準備と処置が始まった。

子宮口を少しずつ開かせるために、ラミナリアという海草を乾燥させた棒状のものを挿入。

いつ子宮口が全開になるのかわからないが、早ければ翌日、そうでなければ翌々日に赤ちゃんを産むことになるらしい。

産みの苦しみとは聞くけれど、それって苦しみの向こうに喜びがあるからこそ頑張れることなんじゃないの?

まるっきり頑張れる自信なんてなかった。



その夜、母も病院に駆けつけてくれた。

二人用の病室を借り切って連れあいも横のベッドで連日一緒に寝てくれることに。

いつものようにエコーでチビに会えるのを楽しみに健診で病院に来ただけなのに、こんなことになるなんて。

順調に10ヶ月まできて、まさか何の前触れもなくチビが逝ってしまうなんて。

自分の身にふりかかった突然の不幸を理解できなかった。

神様なんていない、って思った。



眠れないまま明け方に。

お産に備えて少しは寝ておかなくちゃ、と目を閉じたらそのまま1時間くらいは眠ったらしい。

友達の家に遊びに行って、子供と遊ぶ夢をみた。

どこかの知らないホテルで目が覚める。

ここはどこだっけ?

ホテルじゃなくて、病院なんだとわかったらまた涙が溢れてきた。

昨日の出来事は悪夢じゃなくて、現実のことだったんだね。



前日のラミナリアの処置はあまり効果がなかったらしく、水風船のようなバルーンを挿入することに。このバルーンが抜け落ちる頃には子宮口は5cmくらいに開いていることになるらしい。

病室に戻って少しすると助産師さんが来て、陣痛誘発剤の点滴が始まった。

最初は重たい生理痛のような感じ。

この後の流れを聞いてみると、早ければ夕方から夜にかけて、遅くとも翌日に出産することになるらしい。

陣痛が規則的になりお腹の張りもかなり強くなってきた。

しばらくして経過を確認しにきた助産師さんに、陣痛が強くなってきているのでもう少ししたらLDR室に移りましょうと言われる。

午前中のうちにLDRに移動するのなら、きっと今日中にはチビを産むことになるんだろう。

「死んだ赤ちゃんのためにお産だなんて…、わたし頑張れますかね?」

「大丈夫ですよ。赤ちゃんはちゃんと会いに来てくれますから」助産師さんが優しく言った。



その後LDRへ移動。

陣痛誘発剤の点滴を通常より早いペースで入れているせいもあってか、予定より早く陣痛は強く激しいものになっていった。

バルーンもとれて子宮口はおよそ5cmに。

その頃、道南から向かっていた義母も到着。



子宮口が7cmくらいまで開いたあたりからは、これ以上無理っていうぐらい辛い。

目を閉じたままフーハーとひたすら呼吸に専念する。

どのくらいの時間が流れているのかもよくわからない。

代われるものなら代わってあげたいと母も義母も泣いていた。

ずっと楽しみに待っていた孫を抱かせてあげられなくてごめんなさい。



陣痛から出産までずっと手を握って立ち会ってくれた連れあいも、私のことが不憫でたまらずに泣いていた。

知り合ってから17年。その間に色んなことがあったけど、彼の涙をみたのは今回が初めて。

大事な息子を亡くしてしまってごめんね。

陣痛の痛みに耐えながら、そんな申し訳ない気持ちと、優しい家族に見守られている安心感が交錯していた。

痛みが強く激しくなっていくにつれ不思議と私の覚悟も決まってきて、もはやチビが死んでいるとか生きているとかそんなことはもう全然問題じゃないって、母親になった以上立派にチビを産んでみせるって、その思いしかなかった。

それにしても噂どおりお産って辛いものなんだね。



痛くて辛いだけに7cmから全開になるまでがすごく長く感じられた。

いよいよいきみを逃しきれなくなって助産師さんにそのことを告げた直後に破水。

二人の助産師さんがパタパタと手際よく準備を始め、応援の言葉を私に投げかけて母と義母は部屋から出ていった。

やっとここまできた、もうすぐチビに会えるんだ。

子宮口が全開になったとき何度かおもいっきりいきんで頭が出た。

2時25分静かにチビを出産。

病室を出る前に助産師さんに一言弱音を吐いたけれど、この泣き虫の私が一度も涙を流すことも泣きごとを言うこともなくチビを産んだなんて自分でも驚きだった。

きっと母親になった自覚が自分を強くしてくれたんだ。

チビを産んだ直後、となりのお部屋で助産師さんがチビの体をキレイに拭いてくれて、やっとやっとご対面。

チビを胸に抱いたとき、初めて涙が溢れ出た。

元気に産んであげられなくてごめんね。

そして、産まれてきてくれてありがとう。



例にもれず親バカかもしれないけれど、まるで眠ってるみたいに安らかで可愛い顔の男の子。推定体重よりちょっと軽めだったけど、今にも泣き出しそうな立派な赤ちゃん。

その愛しくて可愛い顔をみるたびに、なんで?って思いが繰り返しこみあげてきちゃう。



精神的にはボロボロだったけれど、産後の私の体の回復は順調だったので、その二日後にチビを連れて退院しました。

たった一晩だけだったけど、我が家でチビと一緒に過ごせたの。

写真を残したい気持ちもないわけではなかったけれど、可哀そうで撮れなかったので、下手っぴだけどチビの似顔絵を残しておくことにした。

翌日、チビにお別れを。

小さな小さな棺桶に入ったチビのほっぺにポトリと落ちた私の涙の粒が、いつまでも流れ落ちずにキラキラ光って丸い粒のまま凍っていた。

何度もキスをして、たくさんのお花を入れてあげる。チビのために作ってあったお人形と私たちの髪の毛も一緒に。

火葬場に向かう車中、雨の切れ間に虹を見た。

私の大事なチビは、天使になって虹の橋を渡り、お空に飛んでいきました。



チビを火葬してから一週間。

シャワーを浴びて空っぽのお腹をみたり、チビを迎える準備がととのっていたおっぱいを目にしては涙が溢れ、朝目が覚めてチビのいない一日がはじまることに虚ろな恐怖を覚え、家のあちこちでチビのために準備していたものを見ては胸に空いた穴から何かヒヤっとしたものが流れ込むのを感じる、そんな毎日。

なかなか寝付けなかったり、泣いたりの繰り返しでやたら頭は痛いし、まだまだ元気とは言えない状態だけど、時間とともにきっと少しずつ元気なれると思うので。

こんなに優しい人だったっけ?っていうぐらい連れあいも良くしてくれるし、家族にも甘えてゆっくりさせてもらってます。辛いのは私だけじゃないんだけれどね。

美味しいものを食べてゴロゴロして、こんな生活続けていたら妊婦の時より太ってしまいそう。気をつけなくちゃ。

こんなときでもちゃんとご飯を食べられる自分には半ば呆れちゃうのです。



こんな出来事をブログに書くのは決して本意ではないのだけれど、ついこの間まで私のお腹が大きかったことは周知の事実だし、いずれ報告しなくちゃいけないことだから。

読んでいて気分のよくない思いをしてしまった方がいたらごめんなさい。

それでも、こんなことが起こってからなんとなくインターネットで検索をしてみると、私と全く同じ経験をされた方のブログなどにいくつかいきあたって、こんな辛い思いをしているのは私一人じゃないんだ、その苦しみを乗り越えて今は幸せな日々を送っている人がいるんだ、と思うと少し明るいほうへ考えもシフトできるような気がしたので、いつかそういう人が私のブログに辿りつくこともあるかもしれないと思いここに書いて残しておくことにしました。



本当はみなさんに良い報告をしたかったのだけれど、こんな結果になってしまってとても残念。

こんな悲しい結末を迎えるために何ヶ月もチビをお腹に抱えていたのかと思うと、とてつもなく切なくなるんだけど、じゃあ最初から妊娠しなかった方が良かった?って聞かれるととその答えは明らかに「NO」です。

少なくとも妊娠してお腹にチビを感じている間は毎日が幸せだったし、辛くて痛いお産だったけど、それを経験できたのも本当に良かったと思ってる。

チビは私の腕の中にはいないけれど、胸の奥には確かにいて、私は母親になれたんだから。



今回のことがあって夫婦の絆みたいなものも強くなったような気がしています。

この人が横にいてくれたらきっとこの悲しみを乗り越えられる、優しい家族や思いやりのある友人達の存在も本当にありがたいものだって感じました。

天国にいるチビのためにも、少しずつゆっくりと元気な自分を取り戻したいって、そう思っています。