今から42年前に新日本プロレスは旗揚げした。

メインイベントで闘ったのは、創業者であるアントニオ猪木とカール・ゴッチ。

二人ともオレのプロレスに多大なる影響を与えた人。







あれはオレが中学生の頃だから…今から30年程前。
アントニオ猪木はオレのヒーローだった。
そしてもう一人。
カール・ゴッチはプロレスの神様と評されていた。



プロレスに入門した頃、まずオレがやったことは「アントニオ猪木に近付くこと」だった。
それは選手として越える越えないではなく、単純に近くに行きたかった。
近くにいたら、なんかすげ~モノが盗めるんじゃないかと思っていた。

当時は先輩レスラーに「技は教えてもらうものじゃない。盗むものだ」と教えられていた。

だから19歳のコゾーながらに「どうせ盗むならスーパースターから、一番上から盗みたい」と思っていた。

運よく側に行き、短期間ではあったが付き人までやることができた。

あの頃、スーパースター・アントニオ猪木からたくさんのモノを盗んだ。

相手を倒す技はモチロン、
手や目の動き、
立ってる時の佇まい、
ジリジリと相手にセンチ刻みで近付く方法まで。
とにかく様々なコトを盗んだ。

目に着いたものを片っ端から形を覚えた。
そして全てのコトにたいして「なぜ?」と疑問を付けた。
時には自分で仮説を立て、セコンド業務をしながら答えを探した。
どーしてもわからない時、本人に直接聞いたこともある。
答えてくれた時もあったし、ほったらかしの時もあった。

そうやって「なぜ、この人はアントニオ猪木なのか?」を自分で解剖した。




それから時は経ち…
23歳の時に神様と呼ばれた人に出会った。
スクワットやプッシュアップはもちろん、
相手に組み付き倒す方法…
制圧の仕方…
嫌がらせの仕方…
極める、そして壊すやり方…
トレーニングをするための心…
闘いに行く時の心…
生きるために何をすべきか…まで、
様々なコトを手取り足取り教えてくれた。

いつしか「この人からたくさんのコトを盗もう」と考える様になり、
結果たくさんのコトを盗んだ。


そしてまた「なぜ、この人はカール・ゴッチなのか?」を解剖したのだ。



アントニオ猪木さんからは、オレが新日本に入り辞めるまでの2年間…
カール・ゴッチさんからは、出会って亡くなるまでの15年間…

様々なコトを貰い受けた。





そして今日の新日本プロレス旗揚げ記念日と題された大田区体育館大会。

オレは第一試合で生え抜きの若手2人とタッグマッチだった。



ココでオレはやりたいことがあった。



いつもの自分のスタイルに加え、
あの頃アントニオ猪木から盗んだもの、
あの頃カール・ゴッチから盗んだものを出したかった。

結果的に、たくさん形にすることができた。


それは「延髄切り」「卍固め」「ジャーマンスープレックス」という彼らの代名詞ではなく、
オレが盗んだ「ワザの組立」「目線」「気持ち」といった一見わからないようなモノたちであった。


もちろんオレ流にカスタムしてね。


ま、記者もレスラー達も誰も気が付かなかったらしい。


ハハハッ

オレは誰かとは見るところが違うからな。
凡人には理解出来なかったようだ。





最後に…
フィニッシュの流れはアレンジすることなく、完全にゴッチさんから教わり盗んだものだった。



バックを取り、フルネルソンから相手を回転させてのダブルリストロック(ゴッチさんはアームロックのコトをこう呼んだ)からグラウンドのダブルリストロック。
そして組手を変えてグラウンドで回転させてからのアームホールド。





公式記録に「チキンウイングアームロック」となっていたが、
あれはゴッチ邸の外の芝生で教わった「アームホールド」が正解。

あえて名前を付けるとしたら
ゴッチ式アームホールド
こんな感じ。




今日という日に自分で意味を見付けて挑んだ一戦。


誰がどう思ったかわからないが…
オレはオレで新日本プロレス旗揚げ記念日という日に、
あの頃のアントニオ猪木とあの頃のカール・ゴッチを鈴木みのるが連れてきた…
こんな風に捉えていた。







こんなの…もう…




オレしか出来ないだろ?





















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