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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

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1146 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

 

 

 

 

ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、教えによって理解はできても、覚ることはできないと知り、人間的思考の運動(信⇔疑)を制し、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。何かに依存することは、それすなわちこの無常の世では苦しみだと知り、覚りは、自らの知見によってのみ得られることを知り、自ら真理を知ることによって、そなたは死の領域(りょういき)を乗り越えたの彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。

 

 

 

 

人は、この無常の世において、溺れかかっているが故に、何かにしがみつこうとする。それは、信仰であったり、師であったり、人であったりもする。しかし、それらを手放さないならば、またこの無常の世に生まれ、彷徨うのであるから、修行者は、全てを手放し、依存することなく、自立して、終末を迎え、遂には、彼の岸へと到達するのである。

 

 

 

お釈迦様は、修行者の集まり、そこは、すでにニルヴァーナであるとおっしゃられています。私たちは、自分と他人、自分とその他と言う間違った見方で、今まで過ごしてきました。そこには他人との比較、確執、苦しみしかありません。もし、私たちが、人間的思考の運動(自分⇔その他)を制して、その分けようとする枠を超えた時に、共に苦しみを分かち合い、共に喜び合う世界があるのです。その時に周りの才能は自分の才能として、そして自らの才能をもって周りを活かして輝かせる。人生では、色々な事が起きるかも知れません。自分が嫌になることもあるかも知れません。そう言う自分も大切にしてあげて下さい。そうすることで、周りの人たちにも同じように大切にしてあげて、自我への固執を打ち破って、枠を取り払った時に、この世界の意味と、あるがままに輝く自分と、輝きに満ちた世界が目の前に展開してゆくのです。このブログにたどり着いた皆さんは、いずれその輝きに包まれることでしょう。

 

 

スッタニパータ、アメブロ解説を最後までご閲覧いたたきありがとうございました。

 

明日からは、再び、ホームページでの解説を開始いたします。ホームページでは、スッタニパータ の解説に加えて、具体的な修行方法なども紹介しておりますので、興味がある方はご覧下さい。また、管理者へ直接質問されたい方は、管理者メールにてお尋ね下さい。

 

アメブロの活動はしばらくお休みをいただいて、また、いつの日か、皆さんとお会いできる日を楽しみにしております。