建長寺 | この美しき瑞穂の国

建長寺

本日は神奈川県鎌倉市山ノ内の鎌倉五山一位・巨福山(こふくざん)建長寺(けんちょうじ)を訪れた。


建長寺はJR北鎌倉駅から徒歩15分ほどである。






建長寺は臨済宗建長寺派の大本山であり、正式名称は建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)である。






建長寺仏殿



仏殿では建長寺の御本尊地蔵菩薩を祀っている。この地蔵菩薩像が経年劣化も相まってとても味わい深い像容である。仏像は真新しいものよりも永年祀られてきて金箔などの塗装が剥げ、劣化してこそ真の良さが出てくるように思う。


仏殿では地蔵菩薩真言を唱えてお参りした。


地蔵菩薩真言


おん かかか びさんまえい そわか




仏殿の傍らには可愛らしいフクロウの像があった。



このフクロウさんはちびっこに大人気だった。ちなみに仏殿の真後ろにある法堂(はっとう:御本尊千手観音)にもフクロウの像があった。




仏堂をお参り後、方丈へ向かった。方丈の前には国指定文化財の唐門がある。



きらびやか且つ重厚な門構えが日光東照宮のようだと思っていたら、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の正室・お江(おごう)の方の霊屋の門として作られたものが後に建長寺へ譲られたものとのことで、なるほど東照宮風の門構えなはずである。


方丈には上がることが出来、見事な庭園を眺めることが出来る。




方丈庭園は鎌倉時代中期に中国から渡来した臨済宗の僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)作といわれており、かつてはもっと大きかったそうである。


やや色合いに乏しい庭園ではあるが、それゆえに心を鎮めるのに相応しいのかもしれない。そんな庭園を見つめていたら突然色鮮やかな鳥が視界に飛び込んできた。なんとこの方丈庭園には翡翠(かわせみ)が棲んでいた。


まさかここで渓流の宝石といわれるカワセミに会えるとは思わなかった。思わず興奮してデジタルズームで撮ろうと思ったのだが、カワセミは翔び回ったり松の木の影に隠れたりと撮影させてくれなかった。こうなったらスマホの外付けズームレンズを入手してリベンジしよう。



方丈庭園で癒された後は建長寺で一番好きな半僧坊(はんそうぼう)へ向かった。



建長寺では半僧坊までちょっとした山登りも出来るのが良いのである。



半僧坊本殿まであと少しである。本殿までの階段では十二体の天狗たちが迎えてくれる。約15分ほどの登山で半僧坊本殿に到着。





半僧坊本殿



半僧坊とは後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)が元(中国)での修行を終えて帰国の際、嵐に遭って船が波に飲み込まれそうになった時に突如現れて救い、博多へと導いた白髪の老人だという。


そして無事に帰国した無文元選禅師が遠江国の浜松に方広寺を建立すると、この老人は再び禅師の元に姿を現して弟子入りを懇願し、禅師から『汝は半ば僧形である』と云われたことから半僧坊と呼ばれる。半僧坊は薪を採ったり水を汲んだりして禅師にまめまめしく仕えたという。


そして禅師が遷化されると半僧坊は姿を消し、半僧坊大権現として山と寺を護ったという。余談だが浜松の方広寺はNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の井伊家とゆかりの深い寺である。



建長寺で浜松の方広寺の半僧坊を祀っているのは、今から五代前の住職霄貫道(おおぞらかんどう)老師が夜の山中で修行中に白髪の老人と出会い、『私を関東のいずれかの清浄な所に招いて下さるなら、その所いよいよ栄え、ありがたいことが絶えることがない』と告げて姿を消す霊夢を観たことに由来する。


霊夢を観た霄貫道老師はこれぞ半僧坊の真姿で建長寺の鎮守に相応しいと早速遠州浜松の方広寺に出向き、半僧坊大権現を建長寺に勧請したという。なんとも神秘的な由来である。




半僧坊本殿では半僧坊真言を唱えてお参りした。



半僧坊真言

おん  なんの  ちりちり  そわか




本殿お参り後は山の上から辺りを見渡した。山の上からは富士山を望むことが出来る。




そして天狗を前にして見る由比ヶ浜が実に美しい。



写真には写らなかったが遥かかなたのウインドサーフィンもよく見えた。



絶景かな絶景かな、この絶景を観るためにここを訪れる価値は十分にある。やはり本日建長寺を訪れて良かった。



本日は良い天気に恵まれて絶好のお参り日和であった。


いずれ半僧坊の勧請元である浜松の方広寺にもお参りしよう。