大和の旅(檜原神社) | この美しき瑞穂の国

大和の旅(檜原神社)

2010年9月18日神体山から下山した後、狭井(さい)神社から北方約2キロほど離れた所にある大神(おおみわ)神社摂社・檜原(ひばら)神社へ山の辺の道を歩いていった。


この美しき瑞穂の国-201009181458000.jpg


この美しき瑞穂の国-201009181501000.jpg

狭井神社より徒歩20分ほどで檜原神社に到着。

この美しき瑞穂の国-201009181512000.jpg



この美しき瑞穂の国-201009181510000.jpg

檜原神社は本殿、拝殿等の社殿を持たず、ただ三輪鳥居と神籬木(ひもろぎ:御神霊が降臨する宿り木。)がある。


檜原神社の御祭神は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
(神社の表記では天照大神だが、伊勢内宮神前祝詞では『天照坐皇大御神』とお呼びするのでこのように記す。)


第10代崇神(すじん)天皇の御代、国中に疫病が蔓延して国民の半数が亡くなった。これは宮中にお祀りしていた天照坐皇大御神と倭大国魂神(やまとのおおくにだまのかみ)の不仲によるものと考えた崇神天皇は、天照坐皇大御神を宮中から出して皇女・豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に託し、大和国の笠縫邑(かさぬいむら)で祀らせた。その伝承地に比定されているのが檜原神社である。


天照坐皇大御神は豊鍬入姫によって笠縫邑で33年間祀られていたが、神託により丹波国の吉佐宮(よさのみや:籠(この)神社が比定地)に巡幸された。その後、倭国、紀伊国、吉備国、と巡幸され、六度目に倭国の御室嶺上宮(みむろのみねのうえのみや:大神神社が比定地)に遷座されたところで豊鍬入姫は年を取りすぎて御杖代(みつえしろ)のお役目を果たすことが出来なくなった。


そのため御杖代のお役目を倭姫(やまとひめ)に託した。そして倭姫がお役目を引き継いであちこちに巡幸され、最終的に天照坐皇大御神は伊勢の地にお鎮まりになられた。これが(伊勢)神宮の始まりである。


(関連記事)

(2009年10月1日『大和神社』)

(2009年10月2日『古墳巡り 前編』)

(2009年10月5日『古墳巡り 後編』)

(2009年11月16日『倭姫命御陵』)


元伊勢の始めである檜原神社にて四礼八開手一礼のお参りをし、天照坐皇大御神の御稜威(みいづ)が弥栄(いやさか)えに栄えますように祈願した。


檜原神社は元宮とはいえ清浄なる雰囲気が漂っていた。



この日は春日大社で『平城遷都1300年奉祝万燈籠』が行なわれたため奈良駅付近に宿を取りたかったのだが、奈良、天理では宿が取れなかった。しかし辛うじて明日香村に宿を取ることが出来たため、宿のある岡寺へ向かった。


(つづく)