大和の旅(興福寺) | この美しき瑞穂の国

大和の旅(興福寺)

2010年9月18日、19日に奈良県を旅した。2010年8月の西国の旅のキーのひとつ【神功皇后】の御陵と三輪山を訪れるためであった。


この日は最初に興福寺を訪れた。


興福寺中金堂(ちゅうこんどう)基壇と興福寺のシンボル五重塔。

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興福寺は藤原鎌足の夫人・鏡大王(かがみのおおきみ)が鎌足の病気平癒を願って鎌足発願の釈迦三尊像を本尊とし、天智天皇8年(669年)山背国(やましろのくに)山階(やましな:現京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)を起源とする。


山階寺は天武天皇元年(672年)藤原京に移り、地名をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。


そして和銅3年(710年)の平城遷都の年に鎌足の子である藤原不比等(ふじわらのふひと)が厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し、『興福寺』と名付けた。


興福寺は藤原氏の私寺として隆盛を極め、一大勢力として多くの僧兵を擁した。そのため兵火などにより百回以上もの火災に遭ったがその都度再建された。


しかし亨保2年(1717年)に忍び込んだ盗賊の灯火によって火災が起き、西金堂、中金堂、南大門などの興福寺の伽藍の多くが焼失した。興福寺は火災に遭う度に多額の寄進を受けて再建されてきたが、亨保の火災では江戸幕府よりほとんど再建費用が出なかったため中金堂は再建出来ず、現在に至る。

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そして今年、平城京遷都1300年の記念事業として興福寺の中金堂再建が始められ、今年10月に立柱式が行なわれた。中金堂は創建当時そのままの復元を目指しており、完成は平成27年の予定だという。



興福寺南円堂。

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南円堂の御本尊は不空羂索(ふくうけんさく)観音。不空羂索観音を祀る寺は珍しい。不空羂索観音は藤原氏の氏神春日大社の御祭神の一柱・武甕槌神(たけみかづちのかみ)の本地仏(ほんちぶつ:本来の仏としての姿)とされる。


南円堂にて不空羂索観音真言を唱えてお参りした。


不空羂索観音真言

おん はんどま だら あぼきゃ じゃやでい そろそろ そわか



不空羂索観音は東大寺三月堂の像が素晴らしく一見の価値ありだ。


興福寺東金堂。

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東金堂(国宝)堂内には薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、文殊菩薩、維摩居士(ゆいまこじ)、四天王(してんのう)、十二神将(じゅうにしんしょう)が安置されている。


東金堂は亨保2年の火事を免れた建築物である。東金堂の後方左手には宝物館があり、ここには有名な阿修羅像がある。今回は時間がなかったので宝物館には寄らなかった。



興福寺中金堂が復元されたら今はガランと空いた境内が豪華になることだろう。五年後の完成が待ち遠しい。



興福寺の次は春日大社へ向かった。


(つづく)