今日はいい朝~!

最近はあさいちの日の出をちゃんと見れていなかった気がします


今日は見れて、よかったなあ




最近、できるだけゼロの自分を心がけています


ゼロというのは、


まっさらな自分、からっぽの自分、


言い換えると、


ニュートラルな自分、どんなふうにでもなれるけど、どんなふうでもない自分、

中庸な自分、

偏らない自分、こだわらない自分、とらわれていない自分です



私が見て、感じることは、

「あくまで自分の感覚」なのだと、

できるだけ自覚的になれるよう、意識するかんじです



無意識に、いろんな自分の価値観や、経験や、仕入れてきた知識みたいなのを通して

ものごとを認識していることが多いと思うのです



私は、うつわがちいさいので

自分の価値観でしか、ものが見れないことがありました



自分の思うように物事が運ばないとき

「なんでなんだ~」

「なんでうまくいかないんだ~」

「もー、あれがこうなったらもっといいのにー」

とか、思ったりします


当然、あんましうまくいかないですし

自分も結局エネルギーを消耗して、がっくりします


悪いことばかりではなく、

嬉しすぎることとか、楽しくて興奮しすぎるようなことも、です


ポジティブな気持ちだと自分が思うとき、

それはいいことだと勘違いしていましたが

行き過ぎた感情のときは、

やっぱ冷静ではないですよね

興奮しすぎて、まわりがちゃんと見れていなかったりして



そういうときは、

よくよく見てみると、

何かや誰かに期待してしまっていたり、

求めてしまっていたり、

自分がなにかをぎゅーっと抱えて離さなかったりするときです


当然、こうなるべき!絶対これがいい!と、

コントロールしようとしちゃってるんでしょうね



・・・ということが、最近

ちょっと分かってきました


おそいですよね



起こることには、いいも、悪いも、ないのですが


それにいい、わるい、という価値を押し付けているのは、自分であり


自分のフィルターを通して見える世界にすぎないんだなと




やっと、なんかわかったんですよね



岡田さんの教えてくれた、般若心経には

そういうことが、書かれていたのに

ほんと意味がよく分かってなかったなあ



般若心経をざっくり表現すると


「世の中、空である」

「いいもわるいもない」

「なんにもない」


そんな、なんにもないって、なんなんだ?と思いました

どうしたらいいんだと思いました


なんにもないって、つまらないんじゃないか?

って思いました


なんにもないって、個性はどーなるのか?

自分はどーなるのか?

そんなん、おもしろいのか?




でも、やっと少し、分かりました



何事にも、とらわれない自分っていうのが

実は、もっとも自由でいる瞬間なんだということが・・・




でも、分かるってことと

できるってことはまた別で(笑)




そこが理解できて実践できたら、

それこそ「悟り」の境地ですもんね~





ここは一生気をつけるしかないと思います




長くなってきたので、このへんで切ります