駅物語『仙台駅』!! 「歴史編」【前編】 | “ Ackee ” の ブログ !! ✒ (b^-゜)

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久々の鉄道関連Blogを書く事にする。

今回は、東北最大のターミナル仙台駅についてお話ししたいと思う。

当地・仙台へ仕事また観光、イベント等でお越しになられた諸氏。

特に新幹線を利用された方はお気づきの事と思うが、

仙台駅近くになると急に新幹線の速度が惰行速度になり、

大きくカーブをしながら仙台駅新幹線ホームに入る事に、

お気づきに成られた事と思う。

また、在来線で長町方(上野方面)、から乗車なされた方も

広瀬川の鉄橋を渡って大きく途中2回もカーブし、

手前の仙台駅でもまたカーブして駅に入線するのを

ご記憶になされている諸氏も多い筈である。

仙台市の地図を見ても確かに駅の前後は、

直線には全く程遠い、線形になっている。

果たしてそれは何故か?

今回は、仙台駅誕生に至るまでの経緯を辿ってみる事にする。

(新幹線、在来線も含め地図を見ると、

この様に駅付近では、曲線が多い事が…。

果たしてその経緯は…。)



駅物語『仙台駅』!! 「歴史編」【前編】


『明治から終戦期』

現在の仙台駅は、明治20(1887)年12月15日に

日本鉄道の駅として開業した。

当初の敷設計画では、多くの都市と同様に市街地端へ線路を設け

(現在の宮城野貨物支線に近いルート)、

当時の宮城郡苦竹村、現在の「仙台貨物ターミナル」駅付近に

停車場を設けようとした。

しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた

地元商人がこれに反対し、

費用負担を申し出て日本鉄道に変更を求めた。

これが仙台区の殆どの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった。

一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、

都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていたが、

最終的には当時の宮城県知事・松平正直も変更を支持し、

地元の費用負担なく現在位置に決定した。

(下行へ続く)

(原案がそのまま通っていた暁には、

ここが仙台駅になっていた可能性もあった。)

<JR 宮城野貨物ターミナル駅>


※…JR宮城野貨物ターミナル駅は、付近にある

宮城野原総合運動公園一帯の整備事業に絡み、

近年中に移転する可能性があります。

(仙台駅を設置するために、線形がこの様な

形にっているのも、地元の思惑によって敷かれた。)


※…上記の地図を参照にして、仙台~長町間の

新幹線車窓(西側)、在来線(運転席)から見た、

動画がございます。線形の向きが微妙に変わる事により、

車窓または運転席からの展望で、改めて線路が敷設

された経緯を確認する事が出来ます。


■…仙台-長町間の在来線は、新幹線と並行しております。


『動画』


【東北新幹線 上り】

※…「Max やまびこ132号」東京行です。

4分13秒まで、徐行運転(JR長町駅付近)が続きます。

高層住宅、一般住宅及び画面左側の右カーブする新幹線高架橋、

画面右側の仙台市のシンボル大年寺山のテレビ塔等

車窓からみた位置等、線形の経緯を検証する事が出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=qZuwHJFY1-w


【東北新幹線 下り】

※…「はやぶさ3号」新青森行です。

1分過ぎから徐々に減速して行きます。

同じく高層住宅、一般住宅及び画面右側の

左カーブする新幹線高架橋、

画面右側から中央左側にかけての

仙台市のシンボル大年寺山のテレビ塔等

車窓からみた位置等、線形の経緯を検証する事が出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=hiiJ_kXVjkA


【東北本線上り】

※…仙台空港アクセス線経由、仙台空港行です。

軌道右寄りの高架橋は、東北新幹線の高架橋です。

仙台-長町間での線形の様子がはっきりと検証出来ます。

4分05秒過ぎから、計画当初の路線だった、東北線貨物専用線

の架線柱と線路が見えてきます。4分55秒から5分04秒に掛けて、

貨物専用線と合流します。

https://www.youtube.com/watch?v=Sl2X3F3ndVE&list=PLCC1426194DE1B771


【東北本線下り】

※…普通電車・仙台行です。

軌道左寄りの高架橋は、東北新幹線の高架橋です。

長町-仙台間での線形の様子がはっきりと検証出来ます。

15秒から28秒かけて、右側に分かれる線路は、

計画当初の路線だった、東北線貨物専用線線路です。

https://www.youtube.com/watch?v=o_uTMhP_Iy8


(上行からの続き)
初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、

幅35m, 奥行き8m, 面積236m²であった。

また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった。

開業当時の鉄道は上野駅- 塩竈駅

(現在の仙石線本塩釜駅東接の旧塩竈埠頭駅<現商業施設>)

間であり、上野 - 仙台間の所要時間は12時間20分であった。

(下行へ続く)

 (旧 日本鉄道 塩竈駅舎) <現在は解体>


(明治20年(1887)年、仙台を経て塩竈まで開通した。
これは、開通の前年(明治19年)東北線の建設のために、

塩竃の開港場(通称 けえこば)の先に船で運ばれた

建設資材の荷揚場を造成のために作られた。

現在の岩切(いわきり)駅から塩竈線(現東北線海ルート)に入り

現在の陸前山王(りくぜんさんのう)駅から、塩竈線(廃止)を

経て塩竈駅(当時)まで至っていた。

仙台から以北は、現在の仙台から2駅目の岩切駅から

利府(りふ)駅を経て、山線ルート(廃止)を経て、

現在の東北線・愛宕(あたご)駅と品井沼(しないぬま)駅間を並走し、

品井沼駅以北からは、そのまま青森まで延伸した。)

(東北線・山線ルート<廃止>で唯一あった、旧松島駅舎。

現在は、松島町の国保診療所として、使われている。)



(2代目 仙台駅、空襲で焼失するまであった。)


(上行からのつづき)

明治27(1894年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、

中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407m²という、

当時としては大きく立派なものとなった。

この駅舎には増・改築が重ねられたが、

昭和20(1945年)の仙台空襲により焼失した。

この間、明治39(1906)年に日本鉄道は国有化され、

国鉄東北本線となった。

大正14(1925)年に仙台地区では初の直流電化路線である

宮城電気鉄道(後の仙石線)が西塩釜駅まで開業し、

昭和4(1929)年には仙山東線(後の仙山線)が愛子駅まで敷かれた。

所要時間は大正15(1926)年に上野 - 仙台間が8時間弱となり、

乗降客数は1928年に1日平均9,649人を数えた。

この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客を捌いたが、

貨物では青森駅・塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった。

明治42(1909)年の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、

麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、

陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した。


コーヒーブレイクタイムコーヒー


【鉄道豆知識一口コラム】


『乗車券硬券』一口アラカルトヘ(゚∀゚*)ノ


硬券(こうけん)は硬い厚紙で作られた乗車券の事で、

鉄道などの乗車券として古くから用いられた。

予め発駅と着駅とが印刷された券を準備しなければならず、

非常に沢山の種類の券を準備する必要があった。

需要がそれほど見込めない駅に対しては、

幾つかの着駅を券面に予め印刷しておき、

その駅の直下部を切り落として発券する、

準常備式乗車券もあった。

切符は着駅ごとに1枚ずつ順番に番号をふり、番号順に発券した。

日付は駅の出札口に置かれた印字機を通して打ち込まれた。

残っている券の一番若い番号を調べ、

前日の番号と対比することで発券枚数を把握した。

(旧国鉄、私鉄、第三セクター、JR民営化後も

一部で見られる乗車券の硬券。)


1836年、イギリスのニューカッスル・アンド・カーライル鉄道の

ミルトン駅駅長であった「トーマス・エドモンソン」が

上記の発売方式と共に考案した。

当時は合理的な方式であり、

1840年代からイギリスを始めヨーロッパに普及していった。

ロール紙に印字する自動券売機の普及により殆どが廃れたが、

その後も記念乗車券・入場券などにおいて稀に用いられ、

鉄道ファンに珍重されている。

また地方の私鉄では現在でも日常的に用いられている例もある。

日本ではサイズは通常はA型、B型、C型、D型の4種類である



『硬券のサイズと用途別』


「A型券」 3cm×5.75cm 

イギリスのT・エドモンソンが硬券を考案した際に採用した

サイズ(1. 3/16 インチ × 2 .1/4 インチ)の乗車券で、

別名「エドモンソン券」とも呼ばれる。

乗車券の大きさとしては最もポピュラーなもので、

現在でも自動券売機用として広く使われている。


「B型券」 2.5cm×5.75cm

戦前に用紙節約のために考案された。

比較的短区間の乗車券や

入場券(共に硬券の場合)などに使われている。


「C型券」 6cm×5.75cm

現在は殆ど使用されていない。


「D型券」 3cm×8.75cm

現在では一部の私鉄での往復乗車券や

記念乗車券・入場券などに使われている。

昭和40(1965~74)年代~50年(1975~84)代頃には

座席指定券や寝台券などにも使用されていた。


※…昭和40(1965~74)年代の都市部のデパート内にあった

大食堂の食券もこの硬券スタイルが採用されていた。

(昔の乗車券発売の窓口は、この様になっていた。)



※…駅物語 『仙台駅』 !! 「歴史編」【後編】は、

   次のページになります。

http://ameblo.jp/superexpress-inuwashi/entry-11843153309.html





JG7MER / Ackee