山口富士夫の死の前の週に、
米女優カレン・ブラックが死んだ。
彼女の訃報を新聞で読んだ時、
昔の恋人の死を知ったような切ない気持ちに
なったのはなぜだろう。
彼女の名は、おそらくアメリカンニューシネマ
『イージー・ライダー』や『5イージー・ピーシーズ』と共に
人々の胸に刻まれるのだろう。
どこかいびつで、ゆがんだカレンの顔は、
美人といえなくもないが、
親しみやすさと同時に奇妙な猥雑さを醸し出し、
彼女の放つ色気は、TV画面からも息苦しさを感じるほどだった。
そのせいか娼婦や不貞な妻役が多かった。
その後、世界的大ヒット作『エアポート75’』で、
フライトアテンダント役を与えられたが、
その違和感はなんとも形容しがたく、
共演した別の女優の方がよほどそれらしく見えたのが
笑えてならなかった。
カレンならわがままし放題の落ち目になった
元有名女優といった役どころの方が
よほど似つかわしかったからだ。
というのもカレンは元祖お騒がせ女優のひとりで、
スタジオにチワワみたいな愛犬を連れ込み、
スタジオ中をおしっこだらけにしたり、
少しでも気に入らないと帰ったり、
とにかくやりたい放題の迷惑女優だったからだ。
カレンが一時、アメリカのブリジット・バルドーと目されたのは、
女優として似た路線を歩んだこと以外に
インテリで裕福な家庭に育ったという
共通点があったからだ。
父親は児童文学で何度も賞を受賞した作家で、
祖父はシカゴ交響楽団初のバイオリン奏者といった家系で、
自身、飛び級で15歳にして大学に入学している。
またカレンの印象深い顔は、
ドイツ、ボヘミア、ノルウェーの血が流れているせいだ。
上の写真でカレンと仲良く写っている
ブロンドの少年に見覚えがある人は
よほどの映画通だ。
彼の名は、ハンター・カーソン。
父がL.M.キット・カーソン、母がカレン・ブラック、
『パリ・テキサス』の子役と言えば、
わかるだろうか。
砂漠にまっすぐ延びる道は、
まさしく男の生きた道そのものだ。
振り返れば、遠くまで見渡せる。
過去も未来も現在もまっすぐ続いている。
だが、女の道は違う。
女の道に過去はない。
未来はあっても過去はない。
突然、家族を残し失踪した男にとって、
家族は今も家族だが、
女にとって、男は既に過去。
ふらりと戻ってきた男はただ過去の亡霊でしかなく、
女には何の価値もないのだ。
映画『パリ・テキサス』は、
そんな男と女の生き方の違いを
砂漠という舞台で見事に表現した
ロードムービーの傑作だと思う。
カレン・ブラックの訃報は、昔一緒に過ごした
若く、美しく、魅力的な恋人の死を聞いたようで、
切ない気分になった。
晩年のカレンは、ホラー映画に新境地を見出し、
ホラー映画界の重鎮になっていたようだが、
それは観たくなかった。
私の中では今でも、少し頭の弱い、
田舎のウェイトレスだったり、ナッシュビルのカントリー歌手の
カレンが好きなのだ。
合掌