2013年8月14日 山口富士夫が死んだ。
長らく患っていた病ではなく、
アメリカ人に暴行されて死んだ。

今年からライブ演奏も精力的に
活動し始めた矢先のことだったのに
運命はなんと皮肉なことか。

だが、病で死ぬより、
よほどロックギタリストらしいと
妙に納得したのも不思議だ。

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『村八分』時代の山口富士夫。
グループサウンズブームがしだいに陰り見せ始めた頃、
好きな音楽をやりたい連中が京都に集まり、
ブルースロック系をやり始めたのがそもそもの始まり。

集まった連中もとんでもない奴ばかりで、
ほとんどが若くして亡くなった。
その中でも生き延びて、活動していたのが
山口富士夫だったんだ。

この後に続いたのが『ウエストロード』やらの学生バンドで、
日本にブルースブームの火をつけたのは有名な話。
つまり、『村八分』がけん引したことで、
京都は日本のブルースブーム発祥の地となったわけだ。

紅花紅子のブログ-fujio1
晩年の山口富士夫。
もうどこの国の人だかわからない。
元々どこの人かわからなかったけれど、
さらに拍車がかかった感じ。

薬物依存やらアルコール依存やらと
とにかく依存症に苦しんだが、
その行動の裏には、彼の無軌道ぶりを期待する周囲に
応えようとする哀しいサービス精神があったような気がする。
もう期待に応えなくていいんだよ、富士夫ちゃん。

一度も生を見たことがなかったけれど、
一度は観たかったな。

1つだけ知っているエピソードは、
京都の磔磔でのこと。

山口富士夫はひどく酔っていた。
磔磔は酒蔵を改造したライブハウスだが、
すでに傷みがひどく、床のあちこちが腐食していた。
トイレ前の床にも危ない箇所があったが、
皆、そこんとこはよくわかっていて、
踏まないように歩いていた。
しかし、その日の山口富士夫はひどく酔っていた。

そのせいか床が危ないこともすっかり忘れていたのだろう。
トイレから出るとまもなく腐食した床板を踏み切り、
身体ごとズボッと落ちてしまったのだ。

これが一般人なら大爆笑になるところだが、
そこは酔っていても『山口富士夫』
発する言葉にも期待がかかる。

なんと言うかと固唾を飲んで見守る周囲に向かって、
『おい、おい、なんとかしてくれよ。』
と優しく言ったという。

このコメントにファンはもとより磔磔のスタッフも
しびれたという山口富士夫のエピソードである。
ちなみに、山口富士夫で知られているが、
これは通称名だ。

『グループサウンズ時代、山口さんというマネージャーが
富士山の見えるところで彼を拾ったから』、
という本当か嘘かわからない話が元ネタ。
本名は親族以外誰も知らない。

富士夫ちゃん安らかに…
合掌