7月22日月曜から26日金曜まで
Wowow cinemaにて『天才監督ヘルツォークの世界』と
称して、代表映画4作とドキュメンタリーフィルムの1本が
放映されている。
ヘルツォークはジャーマン・ニュー・シネマの旗手として
日本にも一部熱狂的なファンがいるが、
かくいう自分もその中の一人だ。
『ヘルツォークと言えば、キンスキー』、
『キンスキーといえばヘルツォーク』と言われるほどの
名コンビだが、互いの異能、異才、変態ぶりに
互いを嫌悪するほどの親密ぶりだった。
二人の関係は、愛憎悲喜こもごもといった
複雑な感情がないまぜになり、
それが作品に昇華された稀有な例の一つに挙げられる。
キンスキーの狂気は決して演技ではない。
元から備わっていたものがヘルツォークという
良き理解者に巡り合うことで才能が開花したが、
演技の道に進んでいなかれば、
おそらく一生牢獄で過ごした人物だろう。
なにせ、自分の娘、母親、ばあさんに至るまで
性的暴力をしまくった人物なのだから。
このあたりは彼の伝記に詳しいが、
どこまで本当かわからないにしても
長女が父親キンスキーから5歳から19歳までひどい性的暴力を
受けたと告発し、ナスタシャ―・キンスキーも性的暴力とまでいかないが、
『父の抱擁は、一般の父親がするものではなかった』と
後年、述べていることからも伺える。
さて、初めて、彼の映画を見たのが『フィツカラルド』だった。
新聞の映画欄に小さく掲載されたのが、
豪華客船が山を昇るポスター写真だった。
一目見るなり魅了された。
『この映画が見たい!』
心からそう思った。
アート系映画は今でも東京から先に上映されるため、
大阪に来るまで約一ヶ月以上あった。
さて、その前に『テス』という映画が先に日本で上映されていた。
監督はあのロマン・ポランスキーに、
原作はトマス・ハーディ『ダーバヴィル家のテス』
そして、主役を演じたそれはそれは清楚で可憐な女優が
ナスタシャ―・キンスキーだった。
この映画はかなりヒットしたので、
この美しい女優の顔と名前を憶えていたのだが、
同じキンスキーなので、ひょっとして…と思うと
案に違わず、父娘だった。
この父娘は1972年制作の『アギーレ:神の怒り』にも
共演しているが、ツーショットが映画のポスターになっている。
しかし、不思議だ。
おやじは怪物さながらの異相だが、
娘はおやじと同じ顔を持ちながら、
絶世の美女ときている。
この例は他にもある。
ジョン・ボイドとアンジェリーナ・ジョリーだ。
こちらも同じくおやじは化け物顔だが、
娘はおやじにそっくりでいながら
絶世の美女なのだ。
最も醜いものは最も美しいのか?
それとも美醜は表裏一体というわけか。
しかし、映画『フィツカラルド』はすごかった。
ストーリーは、19世紀末アマゾン奥地にオペラハウスを
建設することに取りつかれたフィツカラルドという男の話だが、
この映画で最も有名なシーンが
あの伝説の豪華蒸気船の山越えである。
キンスキーの愛人であり、パトロンでもある娼館のマダム役が
上のクラウディア・カルディナーレ。
伊映画『山猫』に比べれば容色は衰えたが、
美しさと気品は例えようがないほどだった。
しかし、最も気になったのが、
『この映画、どうやって撮影したの?』だった。
本作よりもむしろメイキング映像が観たかった。
何しろ『アギーレ:神の怒り』同様アマゾン河が影の主役なので、
現地住民の方々のご理解と支援なしでは
到底完成しえなかったからだ。
おそらく撮影は難航を極めたに違いないことが
映画を見ていてもよくわかる。
パンフレットの撮影秘話を読むと、
キンスキーになるまで主演俳優がなかなか決まらず、
一度決まった役者もアマゾンの湿気と暑さに病に倒れ、
主役を降り、結局、ヘルツォーク常連のキンスキーに回ってきたという。
しかし、『フィツカラルド』が4年の歳月をかけて、
ようやく完成した末、世界的ヒットとなり、
カンヌ映画賞まで受賞したのは、
やはりキンスキーいてこその勝利だったろう。
それにしてもこの時代の撮影は
全てがガチ!
機材を抱え、悪天候の中の撮影の上に
わがままし放題の問題児キンスキー、
とくれば、我慢も限界。
エキストラたちが『キンスキー暗殺』を本気で
考えたというものあながち出まかせではないだろう。
もちろん、監督との大ゲンカはいつものこと。
このあたりのことは
映画『キンスキー、我が最愛の敵』に詳しいので
一度見ていただければ幸いです。
是非、この機会にヘルツォーク×キンスキーの
名作をご覧いただきたいものです。
ついでに『小人の饗宴』やってくれないかな。
リンチ監督の『イレーサー・ヘッド』がやれるならやってほしい。