1994年 ハゲワシと少女
撮影ケビン・カーター
前回、『写真には誤読の楽しみがある』と記しましたが、
では、他の手段、例えば、絵画ではどうでしょうか?
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絵画の場合、鑑賞者は最初から
『これは絵だ』とわかっていますから、
『誤読』というよりは、背景知識の有無や感性の違いで
解釈が分かれることになります。
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また、絵画の論争は、ほとんどが猥褻か否かが
論争の的であって、『誤読』ではないのです。
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しかし、写真の場合は違います。
他の手段と異なり、大幅に『誤読』の自由が許される特異なツール、
それが写真なのです。
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理由は、他のツール(文学・絵画・映画など)が
『無から有を生み出す』ものならば、
写真は、被写体という『有からさらに有を掬いだす』
ツールだということです。
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被写体が既に『有』ですから、
鑑賞者はその『有』に惑わされ、写真の世界を『真実』と
思い込む傾向が強くなります。
これが写真の『誤読』です。
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では、その誤読が生んだ悲劇を紹介しましょう。
上掲した写真『ハゲワシと少女』をご記憶の方も多いでしょう。
時のスーダン政府の無策により
国土が飢饉に見舞われ、難民が続出した悲劇を
全世界に訴えるために、NYタイムズが一大キャンペーンのひとつとして
選んだのがこの写真です。
撮影は、ケビン・カーター、32歳。
1993年3月のことでした。
在りし日のケビン
写真が掲載されるやいなや大反響を呼びましたが、
それは、情報発信者が予想したスーダン政府への非難ではなく、
撮影したケビン・カーターに対する非難でした。
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内容のほとんどが
『なぜ、少女を助けなかったのか!』という強い憤りでした。
ケビンは、この写真でピューリッツァ賞を受賞したものの、
あまりの非難に耐えかね、
自ら死を選びました。
誤読の悲劇です。
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情報発信サイドのケビンも掲載したNYタイムズも
いわばプロですから、『写真』の作られ方を熟知しています。
プロは、写真が必ずしも「鑑賞者がイメージする『真実』を
映し出すもの」とは思っていません。
むしろ、イメージと撮影時の真実とは別物だと理解しているのです。
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ケビンの作品を見て、
編集サイドは、こう言ったのでしょう。
「いや~、よく撮れたね。エサでも撒いてトリ呼んだの?」
「ええ、まぁ、うまい具合にトリが来てくれて、偶然でしたが、
良い構図になりましたよ。」
おそらくこんな軽い調子で掲載が決まったのでしょう。
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ところが、彼らプロは、アマたる読者の『誤読』まで
思いが及ばなかったのです。
ケビンは、賞賛されはしても、まさか自分が非難されるとは
夢にも思わなかったはずです。
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結局、論争は『報道と人道』にまでエスカレートし、
最後はケビンが自らの手で論争に
終止符を打つことになります。
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では、読者の『誤読』はなぜおきたのでしょうか。
それは、写真の完成度が高すぎたからです。
写真は、完成度が高ければ、高いほど、
人はそれを『真実』だと思い込みます。
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キャパの『崩れ落ちる兵士』にしても同じことが言えます。
完成度が高かったが故に、
キャパは演習シーンとは言えず、
墓場まで持っていったわけです。
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つまり、写真には二つの真実あるのです。
ひとつは、鑑賞者がイメージする真実。
そして、もうひとつが撮影時の真実。
この二つです。
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写真が厄介なのは、イメージと撮影時の真実が一致する場合と
そうでない場合があるということです。
完成度が高く、訴える力が強ければ強いほど
鑑賞者の眼を惹きつけますが、
それは鑑賞者がイメージする真実と実際が一致する
必要は必ずしもないということなのです。
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それらしいイメージを放つこと
それこそが『写真』には重要なのです。
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プロはそれを熟知していますから、
『ハゲワシと少女』にしても
鑑賞者がスーダンの飢餓状態と難民の悲惨さを
イメージさせるだけで事足りたわけです。
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しかし、この写真は皮肉にも完成度が高すぎた結果
それ以上のイメージを鑑賞者に抱かせたのです。
『この少女はきっとハゲワシに食われたに違いない。』
『なぜ、撮影者は傍観していたのだ。』
『なぜ、この子を助け出さなかったのか!』と。
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この写真の撮影時の真実は、
ここは村の中での撮影で、
カメラを構えた際、母親もそばで見ていましたし、
ハゲワシの飛来も珍しいことではなく、
この村ではよく見られる光景でした。
カメラを少し引けば、
少女の周りには多くの村人がいたのです。
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NYタイムズも写真の説明に、
『少女の母親もそばにいて、
撮影後は、母親が抱き上げました。
親子は現在、難民キャンプで無事に過ごしています。』
と追記していれば、論争にはならなかったでしょう。
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今では、これに懲りて写真には必ず
『これはイメージです。』と注釈をつけるようになったのは
もうご承知ですよね。
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ですから、キャパの写真の真贋論争そのものが
ナンセンスに感じられるのです。
なぜなら、キャパは真実であるかのように思わせる
完成度の高いものを撮影しただけなのですから。
結局、キャパは生粋のプロだったのです。
『写真』はイメージだと知っていたのですから。
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これを逆手に取ったのが
『ホンマタカシ』です。
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彼は、写真とタイトルの関係に注目し、
まったく無関係のタイトルをつける実験を施しました。
ごく普通の住宅街を撮影した写真に
『事件現場Ⅰ』とつけるだけで、
それはおどろおどろしい風景に一変するマジックを楽しんだのです。
まさに『誤読の楽しみ』ではありませんか。
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写真はイメージの産物です。
『誤読』を楽しみましょう。