紅花紅子のブログ-kiss1
クリムト 接吻

2012年今年の『額縁をくぐって物語の中へ』の新作は、
世紀末絵画特集です。

2月6日(月) グスタフ・クリムト 『接吻』

7日(火) クリムト 『ベートベン・フリーズ』

8日(水) フェルナン・クノップフ 『記憶』

9日(木) エゴン・シーレ 『死と乙女』
 
10日(金) アルフォンス・ミュシャ 『ジスモンダ』

日本人にもなじみ深い4人ですが、ここまで時代が下ると
現代人の感覚にかなり近いため、身近な画家さんというイメージです。

この中でいかにも世紀末の絢爛、爛熟、退廃を見事に
絵画に持ち込んだ代表は、もちろんクリムトです。
生家が金箔を扱う家とあって、
ふんだんに金箔を使っていますね。

本物を見たことがありますが、
目に入る中央部分は丁寧に描いていますが、
細部にいたっては、結構雑で、少しがっかりした覚えがあります。
紅花紅子のブログ-vertben1
クリムト ベートベン・フリーズ

ベートーベンにオマージュした一連の壁画ですが、
流れるように順に眺める動きは、まるで日本の絵巻のようです。
クリムトがジャポニズムに影響を受けていたことは明白ですが、
この壁画のうち、様々な煩悩を具象化した面をみると、
地獄草子か、病草紙を彷彿とさせます。
彼が見たかどうかはわかりませんが・・・。

さて、次のクノップフですが、
世紀末画家のくくりの中では、先述したクリムトに影響を与えた人物でもあります。
存命中に、大成功を収めましたが、
その後、全く忘れ去られた時期もありました。
今では信じられませんが・・・。

個人的にクノップフに初めて触れたのは、子供の頃観た
下の『(スフィンクス)愛撫』でした。

紅花紅子のブログ-aibu1
この絵が誰のものかも知らず、
ただただ『なんと美しい・・・。』とため息をもらし、
一度でいいからチーターになってみたいと思ったものでした。

クノップフの描く人物が男女問わず同じ顔をしているのが
不思議でならず、そのアンドロギュノス(両性具有)的な風貌に憧れたものでした。

しかし、後年、彼の描く人物は全て自分の妹の顔であることを知り、
彼の近親相姦的な屈折した愛情を垣間見た思いがしました。

妹への許されぬ愛は、世紀末の戦争へとひた走りする前の
熱病のような時代に、熱狂をもって受けいれられました。
彼の歪んだ愛情は、絵に没頭することで芸術へと昇華したのです。

下は クノップフの『記憶』
紅花紅子のブログ-memory1
7人の女性は全て妹の顔。

こんな人物が幸福な家庭生活を築けるはずはなく、
一度結婚したものの『人間嫌い』だの、『変人』だのと世間は囁きました。
まあ、こんな人物は芸術家に多かったので、さほど珍しいものではありませんが。

そして、その早逝に世界中が涙したエゴン・シーレです。
日本人にとって、シーレとモディリアーニは、共に存命中はそれほど恵まれず、
最後は妻と共に亡くなることで、共に記憶に残る芸術家です。
両人ともに映画化されましたね。

エゴン・シーレも原画を見たことがあります。
美術本や様々な本で見たことがあるので、
原画もそれほど変わりはないだろうと思っていたのですが、
それがとんでもない間違いであることがわかりました。

というのも、本で見たことあるとはいっても、それは単なるコピーに過ぎず、
絵のサイズさえ本では全くわからなかったのです。

実際の原画は、思った以上に小さかった。
本当に小さかった。
ですが、その筆致は、まるで今しがた筆を乗せたようにヌラヌラと妖しく光り、
彼がどこに力を置き、どこで気持ちを抜いたかが、
手に取るようにわかったのです。

複製では決してわからない、作品にこめたエネルギーがオリジナルから発散され、
観る者を圧倒する。
時を超える作品とは、まさにこのエネルギーに他ならないのではないでしょうか。
数千年経て、なおも放つ無尽蔵のエネルギー。
私たちはそのエネルギーに感動し、胸打たれるのです。
ですから、できる限り原画を、本物を、見ていただきたいと思っています。

下が、シーレの『死と乙女』
紅花紅子のブログ-otome1
左の死神がシーレ自身だと言います。

クリムトとシーレは先輩・後輩関係にあり、経済的に恵まれなかった
シーレをクリムトはかなり可愛がったようです。
目指すものは違っていましたが、己の芸術を完成させたいという気持ちは同じでした。

そして、最後は花のパリといえば、この人アルフォンソ・ミュシャです。

紅花紅子のブログ-myusha1
名前は知らなくても、一度くらいは見たことがある有名なポスターですね。
ところが、ミュシャが有名になったのは20代から30代にかけての若き日々。
その後が長かった。

有名になったとはいえ、それは単なる『ポスター画家』でしかなく、
画壇からは一段下に見られるのが、くやしくてならなかったのです。
その後のミュシャは、油彩へ移行し、大画家に転身を図りますが、
世間は、『画家ミュシャ』を全く理解せず、
挙句に、才能はないと言われる始末で、忸怩たる晩年を送ります。

世紀末画家4人のそれぞれの人生ですが、いかがですか?
裕福な家庭に生まれ、そのまま才能を開花させ、時代の寵児になるか、
社会的に成功するものの、家庭的には全く恵まれない人生か、
才能に恵まれているにもかかわらず、生まれるのが早すぎた人生か、
若くして成功するものの、晩年は忘れさられる人生か、
最も幸福に見えるのはクリムトですね。

それでも、彼らの作品は現在芸術として認められ、
後年、若い芸術家や画家を目指す者たちに多大な影響を与えていることを
考えれば、あながち不幸とは言えないかもしれません。

世紀末画家に乾杯。