昨夏に訪ねるはずだった滋賀県竹生島に
ようやく今年1月8日に行くことができた。
さすがに滋賀県北部は寒く、
山間だけでなく、市街地の民家の屋根にも
雪が少し残っていた。

湖面に浮かぶ霊域は古代から信仰が篤く
神仏を信じなかった信長も訪れた。
今回は、55mmレンズで撮影。

竹生島 
驚くのはこの小さな霊域に
国宝2点
重要文化財16点
が集約していることだ。
極楽橋4
国宝 宝厳寺の唐門を一歩くぐる

見事な木彫と当時の鮮やかな塗りが少し残っている。
しかし、しかし、それより何より、何やのこのステッカー!?
国宝に何すんねん!
と思いきや、これらのステッカーは江戸時代後期のものらしい。

江戸中期おそらく文化文政期に日本中に旅ブームが起こった頃と
自分の名前と生国をデザインした『千社札』を
参詣した神社仏閣に貼り付けるのが始まった頃とが
どうも同時期だったようで、ここに旅した人々が
記念に自分の名札をペタペタ貼った名残のようだ。
住職も野放しにしたわけではないだろうが、
それにしてもヒドい。
極楽橋3 
唐門の木彫のひとつ 魔除けだろう。
この迫力を堪能してほしいが、柱の高いところまでステッカーが貼ってある。
何もそこまで・・・と思うが、
札が貼られている間は、
参籠(=宿泊)したのと同じ功徳が得られると考えられたため、
日帰り客が札を張り出しのがきっかけとか。
なるほど、柱によじ登ってまで貼り付けるわけだ。

極楽橋2 
唐門をくぐるとお迎えしてくれる。やや不気味なのもご愛嬌。
ここから右に回ると観音堂がある。
撮影不可だったため諦める。

極楽橋1 
宝厳寺観音堂横のミニ社殿 ここから船廊下が続く

宝厳寺唐門が国宝に指定されたのは、昭和28年。
しかし、これまではっきりした来歴が記されることがなかった。
ところが、数年前にオーストリアの古城エッゲンベルグ城で
豊臣大坂城を描いた屏風の片隻が発見されたことから、
唐門が元々は豊臣大坂城から豊国廟、
そして、竹生島に移築されたことが明確になった為、
国宝の来歴が冊子に載るようになった。

移築の際、柱を切り詰め、観音堂に合うよう修整されたことも
付け加えておこう。
気になるのは、オーストリアで発見された屏風のもう片隻の行方だ。
どこぞの貴族に買われていったのか、
それともバラバラに散逸したか、一度調査してほしいものだ。

極楽橋5 
観音堂から船廊下を望む
ここを渡ると国宝都久夫須麻神社本殿に出る。
船廊下の天井には、秀吉が朝鮮出兵の際に使用した御座舟『日本丸』の
船底骨組みが使われている。 
窓は竪連子で桃山様式が見て取れる。

竹生2 
国宝 都久夫須麻神社本殿 美しい。

極楽橋8 
ご利益があるのだろうか?
お金が貯まるといわれる玉をかむ大蛇のご神体。
水の神の化身でもある。

極楽橋7
ここから願いを書いたかわらけを投げる。
白く見えるのは投げられたかわらけの残骸。
水平線の向こうに伊吹山が見える。

極楽橋6
同じ場所にあった大しゃもじに書かれた願いごと

少し前までかわらけではなくしゃもじに願い事を書いていたのだろうか?
中には漫画風もあり、どんな願いか気になったものもあった。
願いは叶ったのだろうか?
お気に入りの一枚。

竹生1-1
宝厳寺頂上から港を望む
広角レンズを使えば、もっとドラマチックになっただろう。
階段のラインが美しい。最も気に入ったアングル。

長浜2 
JR長浜駅降車すぐに出会った猫ちゃん

竹生島散策を終えると長浜市街へ。
昨年の大河ドラマの影響もあって、長浜はすっかり観光地と化していた。
観光地はあまり好きではないので、
適当にスルーして、面白いところばかりを撮影。
長浜1
このフィルムの最後の一枚は、舟底を民家の壁面にしたもの。
ノミで空けたような穴が船底の証。
漁民が多かった街の人々は、
最後まで舟を大事にしたことがよくわかるひとコマ。
美しい。

琵琶湖周辺には戦国時代の城跡が多く、
山城の宝庫です。
次回は長浜市内です。お楽しみに。