つづきです。
長州大工の建造物である
仁淀川町大野地区にある
河嶋山神社!
圧倒的な存在感ながら、ひっそりと森の中にたたずむ感じである。
先日の高知新聞でついに、世に出た。
(っていうか私は前からかなりブログには書いていますけど(^∇^))
外部はこんな感じである 前々回のブログ
内部はかんな感じである 前回のブログ
さらに内部を見せてもらおう♪
彫り物が特徴であり、その迫力が目立つが、このような繊細なものもある。
中央部分上部には、山内家家臣の深尾家の家臣が彫り込まれている。
家紋も立体的になってるところが
がスゴイ!!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
これって、どうやって作るの、どうやって設計するの?
たらーーーー。。。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ すごい、すごすぎる!!
ここで、長州大工に関する資料からひとつ!
これは旧池川町(現仁淀川町)の町史からですが
長州大工の建造物で判明している中で、土佐最古はここ、仁淀川町の安居土居地区の地蔵堂であると言われる。寛政12年というから1800年であるとのことでる。江戸時代も後期に入った時期と言えるかな。
以後、大正期に至るまで東は高知県の大豊町、西は十和村(現四万十町)までの旧19町村にわたって活躍した足跡が見られるとある。
ふーむ、、、、なるほど
周防大島の東和町の資料によれば、土佐での建造数は
(以下、旧町村名で書きます)
本山町 2
土佐町 3
大川村 6
吾北村 22
池川町 44(現仁淀川町)
吾川村 31(現仁淀川町)
仁淀村 33(現に淀川町)
佐川町 5
東津野村 10
梼原町 13
十和村 2
土佐山田町 1
土佐山村 1
鏡村 1
本川村 3
伊野町 1
越知町 8
葉山村 1
大野見村 1
となっており、
全185のうち、
108が仁淀川町
にあるのだ!
約6割弱が仁淀川町にあるのはすごいことだ!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
どれほどの長州大工さんらが来ていたのか?
どうやって生活をしていたのか?
地域住民とはそのように接していたのか?
木々の切り出しや製材、その他建造まではどんな過程だったのか?
周防大島までは帰ったりしたのか?
いったい神社建立までにどれぐらい日数、費用はかかったのか?
うう~疑問と興味があるのだ!
しかも、この芸術的な彫刻、この山里でここまで華美なのはなぜなのだろうか?
人魚の彫刻まであるのは、ジョークなのかな~???
かわいいな♪
仁淀川町には108の
長州大工の建造した
社寺があるのだが、これの1部しか、私も見たことがない。
せいぜい、10ぐらいだ。
これは、今後が楽しみだ! 探しに行こうか♪
この最大級の社寺、河嶋山神社はとにかくすごい!
SEE YOU!