仁淀川町観光ガイドの学校/3回目(1)☆谷山地区へ | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

仁淀川町の観光ガイドの学校も3回目になりました!


今回は


天界集落エリアを目指します。谷山地区だ!(旧仁淀村エリア!)


仁淀川町の上の集落は普通、なかなか行くことはありません。

ましてや、今回の参加者は仁淀川町での吾川、池川の方々なので他国に来たようなものです。


参加者も各人の都合というものがありますから、皆勤というわけには行かないですね。

今回も初参加のメンバーです。


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川渡地区の神社によりながら、谷山地区を目指します。


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ここも長州大工の匠の技が見られる神社。五所神社。いい雰囲気です。

目の前には仁淀川支流・長者川が煌めくのだ。


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コマイヌさんが入り口でデカイ口を開けています。


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谷山地区へ着きました!


谷山地区は平家落人の里とも言われている。

平家落ちの時、安徳帝のお供してきた人の墓もあり、谷山の元祖をでもあるという。

彼らの霊が祀ってあるエリアは古来より立ち入りを禁じられており、ミステリーな集落だ。


今回は谷山集落はスキップして、峠にある一本木大師堂へ直行しました!

谷山地区にはいろんな神事や伝説が残っています。

しかも、


日本最大のニヨド・オオカミ

頭骨も保管され、その伝説もありますが、まあ、これはまた次回詳しく書くことにします♪






ここは、一本木大師堂であり、この大師堂の傍らはの道は、

藩政時代からの街道沿いにあたる場所なのである。


今ではここに

街道があったなんてまったく想像できんくらい

僻地なのだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


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人の往来も多く、明治初年まで堂の傍らに


茶店


が2軒もあったという! ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ  


旅人の憩いの場だったのであろう。とっても見晴らしも良く、風光明媚な地なのである。



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一本木道の名前の由来にもなったというこの木は、「ドウネリ」という木らしい! ↓


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今もここでお茶のお接待をしているとか、していないとか?






谷山地区とは、いまでもこの


火まわし


という行事を行っている仁淀川町でもスーパーなエリアなのだ。

いわゆる「谷山の火まわし」ということで伝えられている。これは8月のお盆の時期に行われる。


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松明をふたひろもある籐のかずらの綱を付けて、松明の両端に火をつけ、石垣の端で調子をつけて振り回す。

真っ赤な炎の円は夜を彩り、夢か幻か、一大美観を呈す。


家内安全、疫病退散の祈願なのだ。


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ここから回すんですね  ↓


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歴史のタイムスリップ度合いはこの、谷山地区は未知数で、こんごももっと調べたいエリアです。



この第回はさらにつづきがあります♪


これまでの活動



◆スタート会 11/20 http://ameblo.jp/sup2410/entry-11085230669.html


◆第1回ガイドの学校 12/2 http://ameblo.jp/sup2410/entry-11095733899.html


◆第2回ガイドの学校 12/8 http://ameblo.jp/sup2410/entry-11101593991.html



SEE YOU!