1月4日仕事は始めの日に。。。。
Bスタイル事業の一環の調査として、和紙や紙幣の原料でもあるミツマタやコウゾのことについて、仁淀川町の百ケ内地区の地元の方を訪問していろいろお聴きしました。
仁淀川町は特に尾崎製紙所にも見られるように、手漉き和紙の製造を今も長年の技術を継承しながら家業として営んでいる会社もあるが、数多くあった手すき和紙の製造を行う人や組合などは、今はない。
過去の遺物となりつつある。
仁淀川町の旧池川町史より ↓
百の生業づくりをするために始まったBスタイル事業、このまま、この産業を衰退させていいものか。
特にミツマタ(三椏)はコウゾ(楮)に比べて栽培面積は少なかったらしいが、確実なる現金収入となっていたのだ。それは、紙幣の原料として、いわゆる「局納」されていたのだ。
これは、もっと、現状と今後の市場性を調査しないといけない。
百ケ内地域の某所。地元の竹森さんのお宅周辺でも盛んに楮・三椏の栽培、紙すきをやっていたようだ。
畑のすみっこにポツンとある三椏(ミツマタ)
三椏の花。。。。まだ、ツボミかな。
煙突をそなえたカマ。ここで楮や三椏を蒸すのである。
今は、家の中のオブジェのようだ。
これも昭和の30年代のものらしいが、まだ、使える。
天井には滑車のような巻き取り機?
これで、なんなく、コシキ(むすための被せる樽のようなもの)を上げ下げしたのだ。
帰りに、別の地域にも寄ってみると、ここは細々と楮の生産を行っていたが、周囲には人の影はなく、ひっそりとしていた。これは屋外型ですね。
楮の皮を剥がれた「かじガラ」がある。これは焚き物になる。燃料ですね。
すべすべの白い、ほぼ真っすぐな楮の木。
この山間で行われていた産業、先人達の知恵と勇気。
現代人に蘇らせたい。ここは最高の楮、三椏の産地なのである。
ミツマタ栽培と局納で地域の活性化をしているところもあると聞く。
調べよう、知ろう、検討しよう、実践しよう!
SEE YOU!!