今回は、自分の意識の記録。なんと自分の本音を初めて検出できた日
朝8時半からのウォーキング2回目。
いつも夕方に行っているウォーキングのコース、河川敷まで。
今日、2回目にして、朝は、草の香りが立つことを知った。
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真面目で、人に迷惑をかけないように、嫌われないように、人一倍気にしてきたから、
他人からされることで、変だな?、とか、
どうしてそんなことをするんだろう?と思うことにも、
自分なりに解釈をして、納得をして、何も言わずに済ませることが多い。
それは、アタリマエのことすぎて、
「こうしてほしい」という望みが自分の中にあることすら、気が付かないほど。
イヤだと思う相手の言動を、
自分なりに解釈して納得して飲み込んで、何も言わないのは、アタリマエ。
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でも、ロボットじゃないから、ため込んだ感情はいつか爆発する。
それが、逃げられないほどの隙のない論理で、相手を責める、
というやり方だったと、最近わかった。
だから、ちゃんと「意見」を言っているようには見えるけど、
それは「望み」じゃない。
ゆがんだ形で出てきた、本音からは遠いもの。
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今回も、ちょっとした行き違いを、「責める」という方法で解消しそうになった。
私はすごく怒っていた。
だから、責めそうになった。
それまでには、相手の意図を、いつものように、
自分で考え、自分で納得させ、飲み込もうとする期間があった。
そして、「責め」に転じるポイントに来ていた。
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けれど、唯一違ったのは、カウンセリングを受けるようになっていたこと。
このままだと、いつものパターン。
本音は違う、きっと違う。
もっとシンプルに、本当に自分が思っていることは何?
怒っている外側の自分は、全然納得していなかったけれど、本音がポロン、と出てきた。
「いつも、返事が欲しい。」
なんだそれ。
自分でも呆れたけれど。
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迷ったけれど、それを正直に、相手に伝えた。
伝わった、というか、理解してもらったと思う。
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そして、今朝のウォーキング。
気持ちが軽かった。理解してもらったのがうれしかったから。
…のもあったけど、もっと嬉しかったのは、自分の本音が”検出”できたこと。
その出し方が少しわかったこと。
外側の自分って強固。強敵。
これからも、本音が抑え込まれることはあるだろう。
でも、経験したことは大切。
これからは、相手を責める言葉が出てきたら、思い出せ。
本音が別にあることを。