$雑食食堂

★★★★★

「オアシス」「シークレット・サンシャイン」のイ・チャンドン監督が、アルツハイマー症に冒され徐々に言葉を失っていく初老の女性が、一編の詩を編み出すまでを描いた人間ドラマ。釜山で働く娘に代わり中学生の孫息子ジョンウクを育てる66歳のミジャは、ふとしたきっかけで詩作教室に通い始めるが、その矢先に自分がアルツハイマー型認知症であることが発覚する。さらに、少し前に起こった女子中学生アグネスの自殺事件にジョンウクがかかわっていたことを知り、ショックを受けたミジャは、アグネスの足跡をたどっていくが……。2010年・第63回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。(http://eiga.com/movie/55848/から)

若干ネタバレアリ

イ・チャンドンは好きな映画監督の一人だが、本作もこれまでの作品に勝る弩傑作。そして今年のトップクラスの映画だと思う。

主演のユン・ジョン(ミジャ)が素晴らしい。おばあちゃんなんだけどどこか乙女チックで恰好も言動もとても愛らしい。ぶりっ子なのかと思えば筋金入りのお人好しで、その性格が災いして周りの人間が無意識/意識的に関わららず彼女に面倒事、トラブルを持ち込まれ、心底悩む。僕自身も他人からの要望を断れない気の弱い性格なので、周りに翻弄される彼女に心底共感できた。

その気の弱さもあってか、時には現実を受け入れられず逃げ出してしまうのが悪い癖だ。

彼女が通う詩作教室の講師は始めに林檎を取り出し、「(詩を書く為に)大切なのはものをよく見る事」と言う。
幼い頃詩人になりたいと思っていた彼女は帰宅してしげしげと林檎を眺めるが、最終的には林檎を剥き出して食べ始めてしまう。「林檎は食べるのが1番」と言いながら。

この序盤の一見何の変哲もないシーンは実は結構象徴的で、後々から発覚する「辛い現実を直視できず逃げ出してしまう彼女」を上手く表現している。
現に女子生徒が自殺した理由が孫を含む6人組の男子達による数ヶ月に渡る強姦だったと初めて聞いた時、彼女は会合の席を外して外の花の様子を詩作のネタ作りの為にメモを取り始めてしまうシーンに繋がる。
孫がおぞましい事をして少女を死に追い込んだ現実を受け入れられないのだろう。

しかし彼女にとっての現実逃避が「詩作(のネタ作り)」なのがこの映画の素晴らしい部分で、詩作は先述したように「よく見る事=現実を直視する事」がとても大切なのだ。否が応にも現実を直視しなければいけない事を講義を重ねて行く毎に彼女は理解し(たかは観客の受け止め方によるが)、少女が身を投げた川にかかる橋や、強姦の現場となった中学校の実験室に足を運ぶようになる。

一方で加害者と言える他の男子生徒の保護者達を見る彼女の目を通して、閉塞的な田舎社会の醜さを浮き彫りにする。

まず先述した事件の加害者の保護者達が示談に持ち込もうとする部分では、田舎が抱えている保守的な考えが描かれる。
示談と言えば聞こえは良いが、実際は金で遺族の口を封じ込めようとしているだけだ。それも貧困層である遺族の母親(シングルマザー)につけこもうとする保護者の魂胆が見え見えで心底嫌な気分になる。
保護者だけならまだしも狭い世間での評判を下げたくない為、教師も結託して示談金の金額を決める始末だ。
「死んでしまった少女よりも未来ある子供たちの事を考えましょう」なんて言いながら教育者として加害者達を指導する素振りも見せず、寧ろ被害者の担任に口止めをさせマスコミが嗅ぎつけないよう警察に協力を仰ぐ体たらく。

そんな感じで世間体しか考えていないような大人達は、ミジャの経済状況も知っているくせに(彼らの口から生活保護を受けていることや、娘が仕送りもせずに孫の世話を押し付けて釜山にいる事が明かされる)均等に示談金を分けて500万ウォンを払えと言っては、彼女が借金の申し出をしても返す当てもない事を知って問答無用で断る。挙句の果てには唯一の女性保護者である彼女に「女性同士の方が話しやすいから」ともっともらしい理由を付けて遺族の母親の元へ示談に応じるように説得させようとする。

さらにヘルパーの仕事先でも被介護者の脳梗塞の男性に肉体関係を迫られたり、病院での検査でアルツハイマーだと分かるなどととことん気の毒な彼女。
この設定も実に絶妙で孫の強姦事件とヘルパー先の男性は「性欲」でリンクする。被害者の少女の写真を食卓においても一向に反省の色が見えない孫に乱暴された少女の「現実」を直視する為、ある決断をするシーンは本当に胸が痛む。

果たして示談金を集める事は出来るのか。彼女はこの辛い現実の中でどのような詩を書き上げるのか。
地味な話だがグイグイと引き寄せられて、中にはショッキングなシーンも交えつつ、ラストは冒頭で少女が身を投げた川のせせらぎをBGMにエンドロールが流れる。(奇しくもこの川は冒頭で身投げした少女の死体が流れてくるシーンにも使われる)
ネタバレになる為あまり書けないが、ラストシーンのお陰で忘れがたい映画になった事は間違いない。
映画に移される要素すべてに一切無駄が無い完璧な構成の映画だ。
前作に引き続きカンヌの賞を獲得した事も頷ける。

補足
作中に出てくる強姦事件は実際に起こった事件をモデルにしているのだそう。(あまりに現実に起こった事件が凄惨過ぎるので着想を得た程度だろうけど)→密陽女子中学生集団性暴行事件(Wikipedia内の当該記事に飛びます)
センセーショナルな事件だが敢えてジャーナリスティックな映画にせず、一人の老婆の視点から本作を描いた事は素晴らしいと思う。
因みに密陽は監督の前作、『シークレットサンシャイン』の舞台になっている。