引っ越しも終わり 風邪も治り 駅伝も終わり ぼちぼち坂道探険うずうず~
腰の具合ちょっと悪いので 遠出は出来ないから 神宮外苑付近の坂道探険行ってきました
う~ん だけど ちゃんと下調べしてないから 土地カンない場所
やっぱり・・・・迷子さ
四谷 信濃町辺りで 迷子になるとは・・・・・(ノ◇≦。)
方向音痴も ここまでくれば 立派じゃ
最初の 千日坂見つけるまで 30分・・・・
すっーーーごく わかりやすい坂道だったのに・・・・
下調べ大事ですね
最初に探した 坂道のキーポイント
信濃町辺りの 首都高が通ってる辺り
そんだけで 探しました
千日坂
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
この坂下の低地は、一行院千日寺に由来し千日谷と呼ばれていた。坂名はそれに因むものである。なお、かつての千日坂は明治三十九年(1906)の新道造成のため消滅し、現在の千日坂はそれと前後して作られた、いわば新千日坂である
坂上が 信濃町駅
な~んだ こんな所にあったんだぁ~と 汗
神宮外苑から 首都高周辺をくまなく探す
千駄ヶ谷駅 外苑西通り 慶応病院周辺をグルグルしてたから
えっ~こんな所だったんだぁ~と 拍子抜け
だけど 坂道きつ~い
一旦下りて とぼとぼ上がる
坂ダッシュなんて とてもとても・・・・出来ません
上がった坂道をまた下りて
またまた 多分こっちだろ~的に いい加減に走る
今度の キーワードは線路沿い
すぐ見つかると 甘~~く考えてました
左に走ると なんか見た光景
どうも 赤坂御所の裏あたり
権田原の坂道の坂下あたりかな
あれっ?
て また線路探し戻る
凄い 方向音痴だ
なんとか見つかったよ
出羽坂
【標 識】 説 明: 明治維新後、この坂上に旧松江藩主であった松平伯爵の屋敷が移転してきたため、こう呼ばれるようになった。松平邸内には、修徳園とよばれる名庭があったが、太平洋戦争後取り壊された。 設置者: 新宿区教育委員会 設置日: 平成九年三月 |
【この坂について】
新宿区南元町4番の二葉乳児院とJR中央線の線路の間を南西へ向けて上る坂道です。上記の標識の説明では命名の由来がいまひとつ分かりにくいですが、横関英一『続江戸の坂東京の坂』の「土州橋と出羽坂」の章には次のとおり書かれています(因みに、同書の初版(単行本)は昭和五十一年(1976年)刊行)。
現在の松平ホテルのあったところは、昔の永井家(幕末には永井信濃守)の屋敷であって、(中略)明治維新後、幕末の永井信濃守の屋敷あとは、三井家の屋敷となり、これを買収して引っ越してきたのは、牛込神楽坂の松平氏で、これが徳川時代の松平出羽守であったのである。この松平氏が明治になって、ここへ移って来たというわけなのである。土地の人びとは、このお屋敷を出羽様のお屋敷と呼び、その後、そこに新しくできた坂みちを切通しと呼んでいたのを、そのころから出羽坂と呼ぶようになったのであろう。そのことは、いまから二、三十年前、私がこの坂を実踏したときに、土地の古老の口から確かにきいた話である。
松平出羽守といえば、出雲の松江藩主で、十八万六千石の大名であった。明治に生活した人なら、赤坂見附の閑院宮邸が、江戸時代の松平出羽守の上屋敷であったことは、だれでも知っていた。現在の衆議院議長公邸のあるところがそれである。
ここ赤坂御門内の屋敷も、明治二年六月十七日にの版籍奉還とともに、やがて、なくなってしまったのである。同時に「出羽様のお屋敷」は、神楽坂辺へ引き移ったのである。(中略)この神楽坂の松平邸が、四谷鮫が橋の、徳川時代の永井信濃守の屋敷跡へ引き移ったのである。そして、それはいつごろのことであったかよくわからないが、神楽坂に「松平邸」と出ている地図は明治十九年(一八八六)の図であった。
この説明にある「松平ホテル」については、「ホテル松平」としてこのページ
に載っています。これによると、同ホテルは、現在二葉乳児院などがある場所(南元町4番)に位置し、1949年に開業、1960年まで営業していたことがわかります。このページに掲載されている地図において同ホテルの南側にある道が出羽坂になります。
↑ 松平ホテルなんて あったんだ・・・・・
ただ・・・・線路沿いだけで 探したアホです
坂道の左手が線路ね右にカーブすると結構急坂でした
上がって また なんとなく右方向へ
多分・・・・・こっちじゃろ的に
走るが どんどん不安になる
途中 名の無い坂道だけど かなりの急坂みっけ
手すりが 波打ってて かわいい
もしかしたら 名称のある坂道かもしれないと上がるが やっぱり無名坂でした
坂道降りて 左方向に
かなり 迷子
丸正スーパーを越した辺りの 左手の路地に坂道発見
適当に 迷子ランなので 見っけ物坂道じゃ
戒行寺坂
坂上の 戒行寺
標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
須賀町戒行寺の南脇を東に下る坂である。坂名はこの戒行寺に因むものである。別名油揚坂ともいわれる。これは、昔この坂の途中に豆腐屋があり、良質の油揚をつくっていたためこう呼ばれたという。
よたよた 上がって まっすぐ走る
この坂上から すぐ もう一つの坂道があるんだ
暗闇坂(くらやみ坂)
一旦下って 見上げるが 腰が だいぶ痛みだしたので断念
今回は 4坂
とりあえず こちじゃろ的に 暗闇坂から 元来た道に戻る
とにかく 御所に戻れば帰れる
見慣れた 場所に戻ると ほっとするよね
とぼとぼ 安鎮坂(権田原の坂)を上がる
新宿区側の道には ちゃんと標識あるんだね
いつも 御所側ばかり走ってるから 新たな発見した感じ
帰宅して 丁度 1時間のラン 8キロ程度
着替えて 接骨院に直行しました
明日は クリスマス イブ
はい 明日も 接骨院予約しました
イブより腰じゃよ