![岡村ちゃん](https://stat.ameba.jp/user_images/b5/cc/10001290395_s.jpg?caw=800)
「あぁ...やっぱり...」
彼を知る人達(特にファン)は一様に、哀しい納得感に包まれたに違いない。
2005/7/17
警視庁渋谷署が5月20日に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いでミュージシャンの岡村靖幸容疑者(39)を逮捕していたことが16日、分かった
スポニチ・アネックスより
岡村のこの事態から、その昔、尾崎豊が逮捕された一件を連想した方も多いだろう。
ミュージシャンとドラッグ。
いつのころからか、二点は切り離せない哀しい因果で結ばれてしまった。
ビートルズが『LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS』で幻想的な世界を歌い、ボブ・マーリィは『ONE LOVE』とピースフルな世界への祈りを歌った。
神経中枢に刺激を与え、通常時をはるかに逸脱した発想力を引き起こすドラッグの効能は、音楽だけでなく多くのアーティストに影響を与え,新たな文化の創出を演出した。
しかし、今やドラッグはその効能を果たさない。
画一化され肥大した音楽ビジネス...
評価され続けるプレッシャー...
多くのアーティストが、ドラッグを自己防衛・逃避の道具として利用してしまう悲しい現実がある。
岡村靖幸の音楽はコンプレックス(劣等感)の塊だ。
モテたいヤリたい、でも踏み出せない。
ジメジメとした欲望と純粋過ぎる青春性。
そんな世界観を、「FUNK」というジャンルに歌謡曲テイストをMIXし、ポピュラリティを獲得した開祖であり、真の天才である。
いつまでもモラトリアム。
それが岡村の音楽・存在の魅力でもあった。
親友であり盟友であった尾崎豊・岡村靖幸・吉川晃司。
昔は3人でジャンケンをし、
尾崎が勝てば → ナンパ
岡村が勝てば → ディスコ
吉川が勝てば → ひたすら酒
と無邪気な遊びに興じていた想い出を、時折吉川は懐かしく語る。
三者三様の音楽性とキャラクター。
違うからこそ、友人で有り得たのかもしれない。
岡村は自身の楽曲の中で登場する、男として羨み憧れる存在としての、『アイツ』のモデルが吉川晃司である、と話していた。
岡村にとって吉川は友人でありながら、憧れの存在でもあったのだ。振り返ると、吉川はデビュー当時から、少年でありながら一本筋の通った「男」であった。
吉川にモラトリアム感は漂わない。
そこが、吉川と岡村の違いで、岡村が憧れた部分かもしれない。
岡村ちゃん
そろそろモラトリアムから抜け出てみないか?
一人の男でありながら、少年の瞳をした素敵な人を、君は知ってるじゃないか。