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私は元気じゃない 派!

本文はここから

「鏡」を見て、あるいはふと「自分の二の腕」を見て、「ああっ、細くなったナァ……」思い驚くことしきりです。

……ちなみに別に『ダイエットに成功した♪』とかそーいう話ではなく、“やつれたなぁ”という感慨の色が強いです

実際に、去年一年間で二十っキロ以上体重が落ちましたし、その内十キロ、去年の夏、大病を患って一ヶ月半ほどで激減しましたから、シャレになっていません。(´д`lll)


正直な話、体力が激減したと日々の生活の中、ちょっとしたコトで自覚させられますし、腹回りが引っ込んだのもそうですが、手足が見るかに細くなり、先にもボヤいた通り、自分の腕を見て「えらく細くなったなぁ……」と思わず驚かさせられるコトがありますモノ┐( ̄ヘ ̄)┌


足の方は……久々に会った親に、実母ですんで、気を許して訪ねて来てくれた時、シャツにトランクスのラフな格好だったんですが、その私の姿を見て「足が痩せ細ったねぇ……」と母から驚いたように言われましたからネェ……(´_`。)


そういう感じで、見た目にもハッキリ出るほど変わりましたし、実際に体力も落ちました

去年から猛暑や檄寒で外出を控えていた上に、体内水分量のコントロールに失敗して水が溜まり、心不全の症状で苦しみましたし、家に篭っていることが多かったですから、たまに用事や買い物で外出しますと小一時間~数時間だというのに帰って来てからバタンキューと寝込んだり、あるいは買い物先で急に動けなくなりその場で立ち尽くしたまましばらく動けなかったり……「体力が落ちたなぁー」と思い知らされるコトもしばしばです。


ですが、『落ちた体重はそのままキープして』できればそのまま体を動かすようにして、少しは体力をつけたいですね。

これから暖かくなっていくのですから(苦笑

愚痴るようですがまあ、たまにはいいでしょう(苦笑



さて、本日はmiyasan@霧隠 さんのブログ『miyasanの寄り道 』から、2015年03月25日の記事「韓国が第二次世界大戦の戦勝国を自称している理屈が分からない 」 から、そこでご紹介されたニュースとネット上の声を読んだ感想と考えたコトを此方で書かせていただこうと思います。


実は、最初は、向こうのブログのコメント欄に最初、感想を書き込もうとしたんですが、書いている内に筆が止まらなくなりというか、えらく長文となりましたので、こちらで書いてUPさせていただくことにしました。


さて、問題のニュースの内容はアチラのブログを見ていただくとして、その記事を読んで思った感想は以下の通りです!




☆嘘で塗り固められた韓国の反日と戦勝国意識!




「日本は敗戦した戦犯国で、韓国はその日本に“勝った”戦勝国ニダッ!♪」

そんな勘違い……というより“捏造”が、日韓の関係を誤らせ韓国の反日を増長させる大きな要因の“一つ”となってるんですよねー┐( ̄ヘ ̄)┌


で、上の記事内で散々、突っ込まれていますが、韓国は「誰がどう見て考えても」敗戦国側であり、無理やり解釈しても(戦前戦中の日本が、軍国主義のナチスドイツ同様の“悪”でならなければならなかった)欧米がカテゴライズ別けした第三国――戦勝国でも敗戦国でもない「敗戦国の被害を受けた国」という扱いで、東南アジアと同じくくりに朝鮮はされたんだよ


……しかしてその実態は、日本の敗戦まで「ウリらは“日本人サマ”ニダ♪」威張り腐って、満州から中国大陸、東南アジアで散々、好き勝手に振舞っていたんだけどナー(棒


だ・か・ら、中国人が日本人を「日本鬼子!」と呼び憎しみながらも同時に恐れているのに対して、「朝鮮韓国人は“高麗棒子(ガオリーバンズ)”と呼んで蔑視してるしねー┐( ̄ヘ ̄)┌


……ちなみに中国人がチョンを「棒子」と呼ぶのは、日本が旧満州を占領統治していた時代、土地の警備に韓国人の保安員が当てられたのですが。
だが韓国人の保安員は日本人から信頼されていなかったため『拳銃が付与されず』警棒しか与えられなかったという。
しかも当時の韓国人保安員たちは、その警棒でしょっちゅう中国人を殴っていじめて楽しんだ
そのため中国人たちは彼らを「棒子」と呼んだのが、この朝鮮人を指す蔑称の元となったんだと。

まあ……「朝鮮半島出身でも、大日本帝国の一等国民なんだぞ~!」虎の威を借りて好き放題ヤラかしたんだから“嫌われ憎まれる”だけでなく“軽蔑”される」のも『ア・タ・リ・マ・エ』だろう┐( ̄ヘ ̄)┌



なんせ、今になってチョンのヤツラが騒いでいる「名を奪われた!」『創氏』は単に行政手続き上、戸籍を管理区別するために必要だった「氏名」を新設して届け出るようにさせただけで、日本の明治初期の創氏と何も変わらず、それまで『名』だけで『氏名』を持たなかった常人から賎人(白丁や奴婢)に許可……というより“認め”義務付けただけだしねー。

『改名』なんかはもっと露骨、日本統治後、創氏で氏名を得た朝鮮人だったけども「金や朴」といった一目で朝鮮人とわかる『朝鮮人風の伝統の名前』のままでは、半島の外で中国人などから「朝鮮人~w」馬鹿にされ低く見られる
で、半島は日本と併合して、今や日本と一体なのに「元朝鮮人が、日本風の名前を名乗れないのは差別ニダ!」とやらかして、自分たちの名前を朝鮮風から日本人らしく日本風に改名させるよう要求しやがったんだよ。


で、日本側も「確かに内鮮一体の考えの下、今や朝鮮人も同じ日本人。陛下の赤子、皇民という意味ではなんら変わらない」といって、さして問題にせず要求を受け入れ届出だけで『日本風の名前に改名』することを認めたダケなのですから、「創氏改名」が韓国人がいうように「七奪の一つで“日本は朝鮮から名も奪った”のだ!」という主張が『どんなに滑稽でいい加減な言い掛かり』か? よく判ると思います。

……ちなみに同じように日本の統治下に置かれていた“台湾は”「併合した半島と違って、日清戦争で得た植民地」だからということで、半島では届出だけで改名自由だったのが台湾人の場合は、日本風の名前に改名するのに審査と許可が必要『免許制』とされ、明確に差別されていました。


さて、ここで考えていただきたいのは、戦前、日清日露の戦争を勝ち抜いた後の世界で、日本人であるというコト“意味と価値”についてです。


アノ時代欧米列強白人優越の世界で、有色人種の国々でほぼ唯一、自力で独立を守るに留まらず、欧米列強に負けず伍して、列強国の仲間入りを果たした日本人は、まさに『別格の存在』でした。
その日本人と同じと認められ、名乗れる”利得の大きさがどれほどだったかを考えれば、併合によって朝鮮人がどれだけ『優遇』されていたか? この一事をもってしても明快でしょう!



さて、このように事実は明々白日でしたから、なのに朝鮮人が日本の敗戦を機に――戦前、併合以前から事実上の保護国として日本に散々助けられ、日本が身銭を切って世話を焼き支援して来たというのに――日本から受けた恩も借りも何もかもを放り出し、自己の保身に走って手の平を返して、


「日本は敗戦した戦犯国で、韓国はその日本に“勝った”戦勝国ニダッ!♪」


だ、なんて自分勝手なコトを言い出したモノですから、連合国即刻、否定され(当たり前だw)


miyasan@霧隠さんのブログ記事で紹介されたスレッドの中でも突っ込まれていましたが、韓国はサンフランシスコ講和条約に著名すら許されず、それどころか“戦勝国自称して”サンフランシスコ条約会場にノコノコやって来て、一蹴されて追い帰らされて」いますw┐( ̄ヘ ̄)┌

まさにアホか? というか恥知らずと呼ぶべきか……韓国は、このように戦勝国(連合国)としての地位を認めるよう、米国務省に要求したが、アメリカ合衆国やイギリスによって「お前の言ってるコトは妄言だ」の一言で、連合国韓国戦勝国入り一切認めていない


なので、これもmiyasan@霧隠さんのブログ記事で紹介されたスレッドの中のレスの一つだが――



9.名無しさん

※1
日本降伏後に「ウリたちは独立戦争の勝者!」って独立宣言かましたけど、
連合軍に「てめえら勝手な真似すんな」と即刻解体させられてるな。



――と、いう指摘通り、実は日本の敗戦直後、朝鮮半島を統治していた朝鮮総督府は、朝鮮人の将来を慮り一切の統治機構を韓国人の自治組織に引き渡すことを申し出、その事実を総督府の遠藤柳作政務総監の名で、朝鮮半島の統治機構権をすべて韓国人に移譲する発表をしています。

そして、実際に口先だけではなく、朝鮮総督阿部信行陸軍大将は、朝鮮建国準備委員会を朝鮮語新聞・中央日報社長の呂運淳に命じて設立させました

さらに朝鮮総督府などあらゆる公共の建物から、日の丸を降ろし対極旗(太極旗) を揚げさせました。


ところがそうした発表から遅れて半島に入って来た、連合軍のアメリカとソ連は、「朝鮮人に統治能力はない!」とし、改めて日本の朝鮮総督府に命じて「当面、以前と同様に朝鮮の統治管理を続けよとしてしまいました。

結果、対極旗(太極旗)を引き落とし、再び日の丸を揚げるよう連絡するコトとなり、その三年後の1948年8月13日になって初めて、アメリカ政府から大韓民国が独立させられるまで、朝鮮半島の統治権移譲(朝鮮独立)に関しては、朝鮮人はまったく相手にすらされず連合国軍が相手にしたのは日本だった。

この一事をもってしても連合国が、韓国朝鮮人「戦勝国」僭称許すワケが無いコトは明らかであり、そもそも『相手にすらされていなかった』という方が“正・し・い”んじゃないでしょうか?

実際、先にも触れました通り、GHQが分類付け定めた「三国国」という定義、『戦勝国でも敗戦国でもない「敗戦国の被害を受けた国」という扱い』には、実は朝鮮半島、朝鮮人だけではなく、日本が侵攻し解放した――英仏蘭等々からすれば「日本に侵攻され奪われた」アジア太平洋地域の植民地国、東南アジアの諸国も含まれていました。

このことからも朝鮮半島が東南アジア諸国同様に「頭から国として数えられていなかった」コトは明白でしょう┐( ̄ヘ ̄)┌



なんせ欧州諸国は、日本が敗戦したのだから再びアジアへ舞い戻り、宗主国としてそれぞれの戦争開始前の植民地を再支配する気でしたからね~(棒

フィリピンからいったん叩き出されたアメリカすらも“含めて”欧米列強を、アジア太平洋地域から――東南アジア諸国にインドまで!――追い出し、追い落とした“恐ろしい日本軍”は、百倍の生産力の差があるアメリカが、原爆二発落として敗北に追い込み、今やもう居ない……なんて安心していましたからね~。


なんせ、結局、日本人に死兵となって抵抗反発されてはたまらないので天皇制と国家体制の護持はアメリカですら『認めざる』を得ず、手を出せませんでしたから――正直、誤解誤認“常識化”してますんで間違った認識が為されていますが、「無条件降伏」したのは「日本軍だけ」であって、正確には日本政府は日本国は「敗戦を認め受け入れたモノの、無条件降伏などしていません!


この辺は、第一次世界大戦のドイツ帝国と同じです。

もっとも、日本の天皇家と違って、事実上の革命でドイツ帝国はプロセイン皇帝が敗戦前に退位を強いられ、帝政から、民政の政府に移行して同盟国(ドイツ陣営)と協商国(米英仏陣営)の戦争を終わらせるための和睦条約を結びましたが、「厳しい条件を突きつけられながらも」ドイツ側の全権大使と協商国側の使者との間でパリ郊外コンピエーニュの森で休戦協定交渉が交わされ11月7日から11月11日までの五日間に及ぶ交渉の上で休戦が結ばれたのでした。

その後、正式な終戦講和を結ぶため、パリ講和会議が開かれました。

結局、後の第二次世界大戦につながってしまう、苛烈な講和条件のベルサイユ条約が結ばれるワケですが、しかし講和条件をめぐって会議は紛糾しています。



同じように日本も、第一次世界大戦と違ってさらに厳しく「日本軍の即時無条件降伏」を突きつけられましたが、日本国と日本政府としては条件付終戦、せいぜい有条件降伏をしたのです。

ですが、戦後広く思い込まれるようになった「日本は(軍だけでなく、国としても)無条件降伏した」という誤解が広まるキッカケとなったのは、戦後日本に降り立ったマッカーサーのハッタリがキッカケなのでしょう。


と、いいますのも、敗戦後の日本にやってきたマッカーサーは初っ端にイキナリ「日本は文明諸国に地位を占める権利を認められていない敗北した敵であるから、最高司令官(自分)は日本政府に命令するが、交渉はしない」と言い放ち。

「日本は国として、政府として無条件降伏したのだから、私が占領軍最高司令官として出す命令には一切服さなければならない」などとほざきやがったんです。


もちろん、そんな事実はまったくなく傲慢で勝手な言い草でしたから、即座に日本側から当時の外務省の条約局長であった荻原徹が反論した!

「そんなことはない。日本は国際法上、条件付終戦、せいぜい有条件降伏をしたのである。何でもかんでもマッカーサーのいうことを聞かねばならないという、そういう国としての無条件降伏をしたわけではない」と抗議したのでした。


するとマッカーサーは烈火のごとく怒って、あの生意気な条約局長を左遷せよと命令し、結局、この圧力と脅しに屈した日本政府によって条約局長は左遷されてしまいます!?


結果として、日本政府はアメリカの横暴を認める格好になってしまったのです。

さて、そしてこれ以降、このマッカーサーの「日本は無条件降伏した国なのだから、何でもかんでもわしの言うとおりにしなければならない」という姿勢に対して、日本国民と政治家の多くはそういうものかと信じてしまいました。

そしてこのようにして、日本では政治家も一般国民も、“日本無条件降伏説”の前に、無力感にうちひしがれて占領権力に抵抗できなくなりました。

それが占領軍(GHQ)の押し付けた憲法(日本国憲法)でも6・3・3制の教育制度でも、アメリカ的なものの考え方でも、戦勝国の歴史観でも、何でも受け入れる素地をつくったのであり。


さらに、ここに、反日売国サヨクのマスゴミから、教育界、学会のプラス・マルクス主義のドグマや色が加えられて、戦後日本を永らく縛り、今だに呪い災いを与え続ける『自虐史観』が生まれ、日本に流し込まれていったのであります。



以降、日本でネットが普及、広がり、サヨク勢力によって「触れず教えず伝えず」といった戦後永らく伏せられて来た近現代史の歴史と事実が安易に知ることも知らせるコトも、公表した記録を残し誰でも見ることができるようになってようやく日本社会と日本人を縛って来た『自虐史観の呪縛』から逃れるコトが、目覚めるコトができるようになったんです



……さて、ここいらで話を今日の本筋に戻させていただきますが――なにせマッカサーのGHQ統治からサヨクの自虐史観とネットの逆襲を触れ始めますと、また話が長くなりますからね。

この辺の話もまた機会があれば改めてしたいと思います。


で、話を戻しますが、日本をアメリカに叩きのめし押さえ込んでもらい安心してアジア太平洋地域に戻ってきた欧州諸国は、宗主国として再びこの地域を植民地支配する気で、自信マンマンでした。

ですから「戦前のままの感覚」で植民地だった国々を「国としてすら見ていません」でした┐( ̄ヘ ̄)┌


ところが、戻って来た欧米列強は驚きうろたえます。

白人世界以外で、恐れるべき唯一の存在だったニッポンが消えて、後には数百年も支配してきた無力で無学な黄色人種のアジア諸国が在るダケのハズだったのに、そうした国々に独立への機運と、それを充分に支えるにたる軍事教練と、白人たちが教えようと、学ばせようとはしなかった行政能力を得た、独立の“種が”撒かれていたのです。


欧米諸国は、今さらながら「日本軍と日本人はなんという事をしていってくれたんだ」と歯噛みしたことでしょう。


インドネシアなど350年の長きに渡ってオランダに植民地支配されて来ましたが、その間、何度も蜂起し立ち上がりましたが、宗主国オランダの軍事力の前に蹴散らされその支配から逃れることはできませんでした。

しかし、日本は、たった三年半の統治の間に、インドネシアの現地民にオランダが決して与えることも、与えようともしなかった「民族の誇り」を取り戻させ、行政能力に軍事訓練を施し独立に必要不可欠な人材と組織的能力、そして何よりも経験と自信を与えてしまっていたのです!


なにせオランダ統治時代には禁止弾圧していた国旗掲揚・国歌斉唱を許可し、民族運動の指導者(スカルノ・ハッタなど)を釈放し民族統一に向けた全国遊説を許可するなど、その他にもインドネシア民族の行動の統一、感情の統一一が図られ。

初等教育を実施し、校庭も作り体育を重視。あわせてインドネシア人の教師養成のための師範学校も設置したダケでなく、農業、漁業、造船、工業、医学などの専門、訓練学校を設置し、僅か3年半で当時600人しかいなかった知識人(国家エリート)を最終的に10万人育成した上に、ジャワに中央参議院(最高諮問機関)、各地に州参議院を設置し、インドネシア人を積極的に高級官僚に登用、行政能力を培ったのですから、日本人は国造りが、国造りに必要な現地人間の人材育成が上手すぎます!?


もちろん軍事教練を施しただけでなく、祖国防衛義勇軍(PETA)を創設し、インドネシア人による初めての軍隊を作った。

これは後の連合軍との独立戦争の指導的役割を果たし、又インドネシア国軍創設の立役者となりました。



と、まあ、こうした独立の基礎造りを、人材と組織面の両方で指導と教育、そして実地での経験を積ませ、「たった三年半!」しか時間がなかったにも関わらず、オランダ三百五十年の呪縛・支配を打ち破る“力と自信”を日本は与えてしまいました。

そしてそれはインドネシア以外の、植民地として欧米列強の支配に屈していたアジアの国々対して同じで、たとえ日本軍が破れ去った後も、一度追い出した欧米の植民地に再びならない為の力を授けていったのでした。


その上に、『人材と組織、そして経験と自信』というソフト面だけでなく現実に『戦う為に必要不可欠な要素』である、最後の一ピースでもある重要なモノを日本軍は残していきました。

そう! 欧米列強と戦うために必要な大量の武器・弾薬です!

敗戦後、日本軍は連合軍の目を盗みインドネシア側に大砲や銃器、砲弾弾薬といった武器を密かに引渡し残していきました

それは、もちろんインドネシアだけではなく、アジア各国にです。

しかも、実は日本兵士が現地に留まり、イギリス・オランダとの独立戦争に参加し戦争指導を行いました。

インドネシアだけでも約2000名が留まり、その半数……約1000名が戦死し、現地の独立の為に命を落としています



このようにして、日本は戦後の多くのアジアの国が独立を勝ち取り、そして欧米の支配者が去ったその後も、統治や行政の空白を埋め、後のアジア各国の自立と発展発達の基礎を造り残しました。


さて、一方で、日本の手が届かなかったアフリカが、アジアと同じ欧米列強の植民地支配に置かれていたインド以西の国々がどうだったか? 思い返して見てください。



日本のように、軍はもちろんのこと、国を支え統治する行政や産業の人材を育て、職能を与える事無く、欧米に愚民政策を施されたまま独立したアフリカや中東の国や地域を見れば判りますように、少数のエリートや上位層が国の権力と富を独占する独裁国家や、それ以前の国として纏まる事も統治を頤使し続けるコトもできず内戦の絶えない国々が多いです。

まさに戦後、発展を遂げてきたアジア諸国と内戦と紛争の地アフリカで大きく差がついています。



そして、韓国は、せっかく日本が関わり育て支援してきたアジアの国々の中でも(台湾、満州と中国東北三県を除いてですが)、一番多くの力を入れて国造りを助け、支援され助けられて来たにも関わらず、「反日」で自分から全てを台無しにしようとしています┐( ̄ヘ ̄)┌


愚かとしかいいようがありませんが、今回の記事を書くキッカケとなったmiyasan@霧隠 さんのブログ『miyasanの寄り道 』での、2015年03月25日の記事「韓国が第二次世界大戦の戦勝国を自称している理屈が分からない 」 で紹介された論議、感想で浮き彫りにされていますように、韓国は『嘘で塗り固められた戦勝国意識!』を、信じ込もうと、世界にその嘘でも、嘘を突き通して事実とスリ替えようとしています┐( ̄ヘ ̄)┌


無論、そんなコトは“不可能”なのですが、欧米を始め、日本や多くの国では歴史とは「人の営み社会の推移を伝える記録」であると同時に「歴史は繰り返すモノであり、過去に起こったことは同じような経緯をたどって再び起こりえる」という考えから、重要な教訓や哲学のテーマともなります。

よって、客観的に起こった事実や記録に資料に当たって調べ編纂することが当たり前であり、そういうものであります。


ところが中国や韓国では、歴史は時の権力者の勝者のモノであり、ある程度、事実が残り即していれば自分の都合のイイように改竄し、残すべき歴史的事実も人為的に選別し、作り上げるコトも許される権力の道具の一つに過ぎません。


ですので、中韓と『歴史認識』で、まともな対話、討論しようと期待しても無駄です!

どんなに客観的な事実、それを裏付ける記録、資料、証拠を揃え突きつけても「韓国に対する愛はないのかー!?」ですからネェ┐( ̄ヘ ̄)┌

いやいや、歴史研究に「愛」は、「恣意的な思い込みや感情的な損得」は関係ないでしょう?


と、欧米から日本、そしてその他多くの国でも真っ当な研究者、歴史学者に、一般の歴史好きの愛好家まで客観的な資料や記録、証拠を研究し歴史の事実を明らかにするコトは当たり前のコトです。


ですが中韓(プラス北朝鮮)といった国々では、それが『違い』ます┐( ̄ヘ ̄)┌

彼らにとって歴史は『政治の権力の道具』であり、歴史の事実は『真実でなくて構わず、むしろ権力者の思惑や権威、権力の邪魔』になります『真実』など。

ですから、自分たちに都合が悪ければ、歴史上の記録から抹消抹殺しますし、都合が良ければ起こってもいないことを、無かったことを捏造し、あるいは捻じ曲げてでも平気でデッチ上げます。



ですから、中国や韓国が言い、認めることを日本に強いてくる『歴史認識』彼らにとって都合のいい物語、創作であり歴史ブツではありません!

その歴史的事実を捻じ曲げ捏造し、恣意的な創作を埋め込み都合のいいように作り変える作業を現在進行形でせっせと努力しているのが「韓国が戦勝国である」という僭称の押し付けであり、執拗な主張なのです。

他にも中国の『南京』、韓国の『慰安婦』なども同じようなモノです。


もっとも日本に対する「反日からの歴史創作」は、日中韓以外にも欧米をはじめ世界中にそれに反証する資料がありますし、研究や論議、記録の閲覧を中国や韓国が止められえるハズもありませんから、彼ら特亜の思うとおりにはいっていないようですが。


オマケにここ最近、日本も反論、自己弁護を「おかしいと思ったらちゃんとする」ようになりましたしねっw


しかし、中国国内など、言論統制や「知らせない、報じない、隠蔽歪曲する」をある程度徹底できる国では、今の一時的なものかも知れませんが歴史の操作がつい最近のコトでも行われてます。

中国で「天安門事件」が全然知られていない、四半世紀――二十五年以上が過ぎて、今の中国の若い者の中には、自分たちが生まれる前に起こった悲惨なこの大事件のことを「そもそも、あったコトすら知らない」世代も出て来ています。


そういう意味では、中国国内で「歴史の恣意的な捏造、抹殺、隠蔽が」現代でも当たり前のように行われ、進められているという証拠となるでしょう。



さて、本日は「中共や韓国が『戦勝国を名乗る』のはおかしいんじゃないか?」という事と、日本に『歴史認識を認めろ!』執拗に要求し迫って来ているが、彼らが日本に認めさせようとする「日本は、絶対悪で戦犯」というレッテルを日本自身に認めさせ、世界に喧伝して、中韓が日本を押さえ、思うように利用、強請る為に、『反日』という便利な道具? を失わない為に必死なだけじゃネーノ? とか。


まあ、色々と考えるキッカケとなりました――今回、何度かご紹介させていただいているmiyasan@霧隠 さんのブログ『miyasanの寄り道 』での、2015年03月25日の記事「韓国が第二次世界大戦の戦勝国を自称している理屈が分からない 」 で紹介された記事はなかなかにお勧めです!



もし興味が、おありがあれば一度覗いてみてくださいませ。



……さて、今回は(先にも書いた通り)色々とmiyasan@霧隠 さんの紹介してくださった記事、議論を読んで、考えたことや感じたコトを書いてみました。

しかし、思ったコトは、「朝鮮、韓国の歴史捏造は許せない!」という事実と、「あまりに愚かであからさまな嘘、事実の捏造、捻じ曲げ」当たり前のようにできる人種や国が現実に存在するという怖さですかね?


単純に今回の話、皆様はどう思われましたか?

また、皆様の感想も楽しみにしています。

そして、日本が自虐史観と反日捏造の嘘を打ち破り、普通の国としての誇りと自信を取り戻せる日が早く来ることを願いますね。


もちろん、日本国内の在日や反日売国サヨクといった、日本を蝕み、貶める寄生虫を退治して!

本当に、そう思いますネェ……







タイトル鬼子っ











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