【雑記】本の「読みづらさ」の正体 | ほぼ日blog~通勤読書で継続力を高めよう!~

【雑記】本の「読みづらさ」の正体

おはようございます。

昨夜は、池袋の天狼院書店にて、
友人のブロガーたちのイベントが
開催されたので参加してきました。

3人の書評ブロガーそれぞれとの
出会いは全く異なっていて、
日経BPさんのフェアを通じて、
一本線になったメンバー。

それはもう2年前くらいになるので、
まだ続いていること自体が素晴らしい
ことだと思います。
ブログも、人間関係もです。

昨夜はブログについて、
本について大いに語っていただき、
私も気づきがたくさんありました。


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ただ、今日はレポートではなく、
そこで盛り上がった話題の1つを、
膨らませてみようと思います。

「読みづらい本は、どんな本か?」

この質問は、さらっと流すことも
できる反面、かなり深掘りもできる
質問であると思います。

ここからは、個人的な意見です。

読みづらい本と一口に言っても、
良い意味と悪い意味があります。
そして、読みづらさの正体は、
本側にある場合と自分自身にある
場合の両方があります。

それらを踏まえると、

①「悪い意味×本に要因」
②「悪い意味×自分に要因」
③「良い意味×本に要因」
④「良い意味×自分に要因」

のパターンとなります。
これをマトリックス状にして、
各象限について考えてみます。


①「悪い意味×本に要因」
・文章が単調(翻訳本に多い傾向?)
・本の軸がわからない
・ライティング力に欠ける

②「悪い意味×自分に要因」
・本に興味が持てない
・集中力が続かない
・単純に体調(心身)の問題

③「良い意味×本に要因」
・内容が濃い
・抽象度が高い
・古典(文章が読みづらい)

④「良い意味×自分に要因」
・読解力(読書経験)が足りない
・引っかかるポイントが多い
・自分の専門外の分野(知識不足)


上記のポイントが合っているか?
は別にして、単純に読みづらいと
ひと言で言っても、さまざまな要素
があることがわかります。

読みづらさの正体が自分にあるのか?
それとも本にあるのか?
また、その要因を克服してまで、
読む価値があるのかどうか?

読む価値があると思える場合は、
良い意味の読みづらさです。
今の自分には理解が追いつかない。
古い時代の文体で読みづらい。
などの場合です。

例えば古典の場合だと、
読みづらければ解説書を読んだり、
現代語訳の本を読んだりして、
まずは挑戦してみればいい。
専門書も同じです。

そこでエッセンスを得たまま、
終わっても問題はないし、
さらに挑戦して原著を読むのも、
良いことだと思います。

合わないと思えば読むのをやめて、
別の本を読めばいい。
単純に言ってしまえばそうです。
将来必要になったときに、
また読めばいいのですから。

読めない時間をもてあそぶより、
別の本を読んだほうが、
自分にとってもいいことです。


話をブログに戻せば、
ブログも全く同じことが言えます。
絶対にブログじゃなきゃいけない。
ブログは毎日書かなきゃいけない。
ということはありません。

それでも、ブログはツールとして、
とても優れていると思います。
昨日の登壇者と私も含めて、
ブログの恩恵に与っています。

ブログが書けない。
という悩みも、読みづらさと同じ?
なのかもしれないな・・・
などと、昨日のイベントを振り返って
思ったのでした。









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