日本の博物館の始まり

明治期に始まった常設博物館施設

今日のような博物館の原型は江戸末期によく行われた全国物産会でしょう。常設ではなく、随時挙行されました。


初めのうちは博物館は権力者即ち殿様や豪商たちの財宝誇示の場所にすぎませんでした。しかし近代的な施設へと変化発展していきます。日本では幕末期によく行われた諸国物産会が嚆矢と言えましょう。幕藩体制下では、諸国間の物産移動には制限がありました。知識・情報の伝達も同様です。各地に局在する事物の情報を把握し、実物をも入手しようとする、ここに全国民的な経済活動の本質があります。我が国はここに初めて近代国家としての体裁を樹立し始めます。最初に作られた常設の施設は教育博物館(一八七七)でした。国立科学博物館の前身です。初期の文部官僚田中不二麿の指導の下、国民を「教育」するための博物館でした。「教育」に関するものではありません。他でも述べますが、博物館は教育施設なのです。文化財を収蔵・展示する施設としての博物館は一八七七年に創設された東京国立博物館が最初のものです。尽力したのは、田中芳雄や蜷川式胤で彼らが日本最初の博物館専門家なのです。

*平賀源内(一七二八~一七七九)

好事家、戯作者(風来山人)

本草家でもあり、著書に博物誌の「物類品隲」(一七六三)があります。

*蜷川胤(一八三~一八八二)

にながわのりたね明治初期の文部官僚、考証家。勧業博覧会の挙行、国立博物館の設置に尽力しました。

著書 観古図説(一八六七)最近復刻版刊行開始(一九九〇)

*田中芳男(一八三八~一九一六)

*田中不二麿(一八四五~一九〇九)

日本最初の文部高級官僚 旧尾張藩士、文部大輔、晩年に司法大臣