ロンドンの仇をニューヨークで  | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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ノーザン・ソングス 誰がビートルズの林檎をかじったのか/ブライアン・サウソール


前回でも取り上げた「ノーザン・ソングス」をようやく読了しました。面白かった。著作権がらみの用語が出てくるので、すぐには理解できなかったりするところもありますが、ビートルズのデビューから2006年現在までのビートルズ楽曲の所有者がどのように変わっていったかがほぼ分かったつもりになりました。

著作権というものをあまり考えたことのない方(僕もたいして変わりませんが)には理解しがたい事かもしれませんが、例えばポール・マッカートニーが自分のニュー・アルバムの特典ディスクで自身が「イエスタデイ」を弾き語るライヴ映像を収録しようと思った時には、現在であればソニーATVという出版社に申請をし許諾を受けて使用料を払わねばならない。自分が(クレジットはレノン=マッカートニーですが実際は100%ポール作詞作曲)作った曲でありながら、自分で勝手には使えないというなんだか変なこと(法律上何ら変ではないのですが)になっています。



突然 僕はいままでの僕じゃなくなった
暗い影が僕の上にかぶさった
あぁ昨日のことさ 突然に



なぜ、こういうことになるかというと、楽曲を作ったポール自身はその曲がCDになったり映像作品なったりした時や、その曲がTVCMや映画のサントラで使われたとき、また他のアーチストによってカバーされた時などに発生する印税を手にすることができるのですが、どこでどのようにその楽曲が使われているのかを管理することは個人では不可能です。そのためその楽曲の権利(著作権)を音楽出版社に譲渡して管理をしてもらいます。

でビートルズの場合はというと、ホント大雑把にレノン=マッカートニー楽曲を誰が管理しているかをたどると以下のようなものになります。

最初のシングルである「ラヴ・ミー・ドゥ/PS.アイ・ラヴ・ユー」は販売元であるEMI系の出版社アードモア&ビーチウッドの管理となっていますが、次のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ」は元シンガーのディック・ジェイムズの出版社ディック・ジェイムズ・ミュージック(DJM、どこかで聞いたことありますね)に預けられます。

ジェイムズが楽曲を管理するにあたり作った出版社が「ノーザン・ソングス」でした。「ノーザン・ソングス」の株式はジェイムズが50%、残りの50%とエプスタインとレノン、マッカートニーが持つことになります。印税の分配はレノン=マッカートニーが50%で「ノーザン・ソングス」が50%。この段階では楽曲はまだ「自分たちのもの」でした。

英国の高額所得者に対する90%以上の課税に対する対策として「ノーザン・ソングス」の株式公開が行なわれます。

「ノーザン・ソングス」で一儲けしたジェイムズですが69年には解散がささやかれだすと「ノーザン・ソングス」に価値がなくなるのではないかという不安から「ノーザン・ソング」の株式の3%を保有していたATV(アソシエィテッド・テレヴィジョン)というTV放送局に株を売ってしまいます。ATVはさらに株を買い占め、対するレノン=マッカートニーもマネジャーのアラン・クラインに全権を託して抵抗しますが、最終的に株の獲得が難しいと踏んだクラインはレノン=マッカートニーのために(?)ジェイムズの株譲渡額の倍の金額で二人の株をATVに売却してしまいます。



大学でたって 金はすっからかん
未来は見通せず 家賃も払えない
有り金は全部消えちまった
どうすりゃいいんだ・・・・


こうしてATVは「ノーザン・ソングス」の経営権を獲得、レノン=マッカートニーの楽曲の管理は作家本人の手を離れてしまいます。もちろん著作印税は入ってきます(全印税の50%を二人で分配)が、楽曲の使用について管理する権限がないということです。

その後、ATVの親会社であるACC(アソシエィテッド・コミュニケーションズ・コーポレーション)が80年に出資した大作映画「レイズ・ザ・タイタニック」の大失敗により会社の業績は低迷しいつ沈没してもおかしくない状態に陥り、ACCは81年7月に株の過半数を収得したオーストラリアの成金ロバート・ホームズ・ア・コートの手にわたり、自動的にATVもホームズ・ア・コートが所有するものとなります。

ホームズ・ア・コートは「ノーザン・ソングス」を含むATV音楽出版部門が管理する楽曲をATVから切り離したうえで85年8月マイケル・ジャクソンに4750万ドルで売却。アルバム『スリラー』などの大ヒットで巨額の富を得て、有効な活用を模索していたマイケルに楽曲の著作権を買うことの有効性を友人として説いたのは他ならぬポール・マッカートニーで、ポールからするとマイケルの「ノーザン・ソングス」楽曲の買収は「飼い犬に手を噛まれる」ようなものでした。

ATV楽曲の権利を手にしたマイケルはその管理を自身の契約先のCBSレコードの出版部門CBSソングスに受託しますが、そのCBSソングスをSBKエンタティンメントが買収し、さらにSBKが88年にEMIに買収されることでビートルズの楽曲の管理はEMIのものになります。CBSレコードも88年にはSONYに買収されソニー・レコードとなります。

いったんはソニーとの契約を解消しようとしたマイケルでしたが、破格な条件を提示したソニーと再契約、その後95年にマイケルの持つATVとソニーの持つ出版資産を合体させマイケルとソニーが50%ずつの株式を持ち合う合弁会社「ソニーATV」が発足されます。これにより、ソニーはビートルズ音源の管理を行うことになります。この際に数年前にすでに有名無実化していた「ノーザン・ソングス」という会社名は消滅しています。一部の楽曲を除くほぼすべてのレノン=マッカートニーによるビートルズ楽曲の出版社の正式クレジットは「ソニーATVミュージック・パブリッシング」となります。

その後もマイケル様々なゴシップなどで最盛期の人気はなくなり、ネバーランドの維持など増え続ける出費のため窮地に陥ったマイケルですが、2006年4月にソニーはマイケルの2億7千万ドルの債務を保証する見返りとして「ソニーATV」の経営権とマイケル保有の株の50%の株式(全体としては25%分)を優先的に購入する権利を得ているとされています。つまりソニーはその気になれば「ソニーATV」の75%の株を保有できるということで、実質的にレノン=マッカートニーの楽曲のほぼ全てはソニーが持っているということになっているようです。



「ノーザン・ソング」って歌を聴いて
ぼくたちビートルズのハーモニーが
ちょっぴり陰気で音も外れてると思うなら
そいつは違うんだな
だって、誰もいないんだぜ
ビートルズはそこには誰もいないんだ・・・


本を読んでいて一番面白いというか、こういうことがあるから事実は小説よりも奇なりなんていうだろうなと思った場面があります。それはマイケルが持つビートルズの楽曲をソニーがなんとか自分たちのものにもしようとした時に交渉の中心にたったのがリチャード・ロウというソニー重役だったということ。

>「他のソニーの重役たちもニューヨークに行って彼と対面したがっていたと思うが、彼の宿泊先のホテルのスイートに夜の十一時半にいたのは私だけだった。マイケル・ジャクソンと彼の弁護士に対して、私がひとりきりで膝を交えるというのは、人生の中での栄光の瞬間だったよ。
 ビートルズの楽曲を持っているというのは彼にとってとても大切なことだった。私は身の引き締まる思いで座っていた。」とロウはいう。
 「その晩は彼の歌に対する思い、出版ビジネスにかける意気込みを聞かせてもらった。EMIより大きくなりたい。それがあの晩、彼が口にした最終目標だったよ。『僕はEMIよりビッグになりたいんだ。音楽出版でナンバー・ワンになりたい。』と言っていた。

 ジャクソンが歌とポピュラー音楽の歴史について語ってるうちに、ロウの父親の話題になり、ビートルズを却下しブライアン・プールと契約した話になった。

 「どうやら例のエピソードを知ってたみたいなんだ、ブライアン・プールの初ヒット「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」のことを話してるうちに彼はあの曲を歌い始めた。
 私はもう腰がぬけそうになった。一介の会社員に過ぎない私がいるホテルの一室で、マイケル・ジャクソンが「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」を唄っている。それがまた素晴らしい歌いっぷりで。」




僕は 今 踊りだしたい気分さ


そうリチャード・ロウは「ビートルズを蹴った男」としてロック史に汚名を残すデッカの重役ディック・ロウの息子だったのです。全ては結果論でしかないのですが(だって「ラヴ・ミー・ドゥー」よりは「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」でしょ)、ビートルズをものにできなかった男の息子が33年後にニューヨークでビートルズ楽曲をものにしている、まさに「江戸の仇を長崎でうつ」っていう浪花節的エピソード。泣けてきます(笑)