再掲:幸せの黄色いリボン R.I.P.健さん | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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この週末、松竹映画「幸せの黄色いハンカチ」がTVで放映されていました。家人が他のチャンネルを観ていたこともあって後半の1時間ほどしか観れなかったのですが、いい映画っていうのはそのくらいだけでも充分に感動させられます(まぁ、過去に観てるからなんですが)。

今回あらためて気付かされたことがひとつ。健さんが黄色いハンカチのエピソードを語り、別れた奥さんにハガキを出していることが分かり三人が夕張へと車で向かう場面。車中から撮影される風景の中に黄色い旗や春の野原を埋める黄色いタンポポ、追い抜き禁止の黄色いセンターラインなど「黄色い」ものが多いこと。ラスト・シーンへの布石というか「映画のお約束」なのですが、今頃気付くとはお恥ずかしい。

あとこれがなきゃ映画にはならないのですが、出所後に別れた妻に復縁を迫るようなハガキを昔気質の男が出すか?という疑問。まぁこの映画の中の健さんはかなり身勝手な男として描かれていますからありなのかもしれませんが・・・。まぁ最後に風に思いっきりはためく黄色いハンカチを観るとそんな疑問も吹っ飛ぶのですが。

そんな気持ちを抱きながらFBを観ていたら、「ハンカチ」にふれているお友達がいて、そのコメの中に「ぼくがあの映画を好きになれない理由は、どうしても盗作の匂いを打ち消せないからです。カナダだったかアメリカだったか失念しましたが、どちらかのある作家が、そっくりな短編小説を書いています。偶然同じ発想をしたのかもしれませんが、それが気にかかってしかたありません。」というのがありました。確かにそういう思いを抱いて映画を観てしまえば「感動」はできないと思われます。ある作家はピート・ハミル、短編小説、実際はコラム、は「ゴーイング・ホーム」なのですが、「ハンカチ」はそのコラムというかそこに書かれた「物語」をベースにして作られていますし、そのことはきちんと紹介されています。「盗作」という色眼鏡で見てしまい映画を楽しめないのは残念なことです。

ということで、「ハンカチ」の元ネタについて7年ほど前の2007年10月26日に記事にしていましたので、健さんへの追悼の意味もこめ再掲載させていただきます。

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kiiroi-


NHKのニュースで、最近、日本映画のハリウッドでのリメイクが多くなり、東京国際映画祭でもハリウッドのスタジオ各社のプロデューサーがこぞって東京に買い付けに訪れているというのをやっていました。そしてリメイクの例で山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」がとりあげられていました。紹介されていたハリウッド版「黄色いハンカチ」を僕は知らなかったのですが今年の2月に発表になってたんですね。
高倉健の役をウィリアム・ハート、倍賞千恵子の役をマリア・ベロ、武田鉄矢の役をエディ・レドメインがそれぞれ演じ、日本公開は2009年春の予定とか。(註:結局延期となり12010年6月に公開)

このニュースで気になったのは、映画のストーリー自体がアメリカに昔からあったお話で、それを元にピート・ハミルが71年にニューヨーク・ポスト紙に書いた「ゴーイン・ホーム」というコラムが翌年リーダーズ・ダイジェストに転載されアメリカ中の人々が知るストーリーとなっていたという、もともとはMade In U.S.Aのスト-リーが日本から逆輸入されるということの皮肉でした。

ストーリーの概要は

フロリダでバスに乗った大学生が車中で一人の男と知り合う、男は刑期を終えた元囚人。刑務所を出た男は故郷にいるはずの妻に手紙を送っている。「もし僕ともう一度やり直せるのなら、街の入口の樫の木に黄色いハンカチを一本巻いておいて欲しい。ハンカチが巻かれていれば、そこでバスを降り君のところへ帰る。でも、君が結婚していたり、僕とやり直せないと思うならハンカチは巻かないでいい。ハンカチが巻いてなければ、僕はそのままバスに乗り続けどこか遠くへ行き二度と戻らないよ」。学生と男の会話はバスの乗客みなの知るところとなり、車内は緊張の空気のまま街の入り口へとバスは近づいて行く。

ハンカチはあるのか無いのか

そこで彼らが見たものは、樫の木いっぱいに巻かれた無数の黄色いハンカチ。男も学生も乗客も運転手ですらおもわず大きな歓声をあげていた


山田洋次が映画化したきっかけも賠償千恵子から面白いよと渡されたハミルの短編集「ニューヨーク・スケッチブック」の中で読んで興味を持ったということのようです。(ウィキでは「男がつらいよ」の撮影現場で倍賞が口ずさんでいた「幸せの黄色いリボン」を聞いた山田監督が「それは何」と尋ねたことがきっかけとされています。いづれにしても、倍賞がきっかけではあるようです。)

それほどにアメリカではポピュラーなストーリーですから公開されても誰もリメイクとは思わないんじゃないでしょうか。

長々と書いてしまいしたがこの感動的なストーリーはポピュラー・ソングとしても大ヒットしています。そうトニー・オーランド率いるドーンの「幸せの黄色いリボンTie A Yellow Ribbon 'Round The Ole Oak Tree」です。



僕は我が家へ向かう 刑期はもう終わり
君の心がまだ僕のもとにあるのか 僕は知りたい
僕が帰るという手紙を読んだら
何をしたらいいのか分かっておくれ
いまもまだ 僕を愛しているのなら

いまもまだ 僕を愛しているのなら

そう あの古いカシの木に一本の黄色いリボンを巻いてくれ
3年は長かったけれど
まだ愛してくれているだろうか?

リボンがカシの木に巻かれていなければ
僕はそのままバスで行く
僕のことは忘れていい
僕が悪かったんだから
リボンがなかったら

運転手さんお願いです 僕の代わりに見てくれませんか
何が見えるのか怖くて耐えられないんです
僕の心はまだオリの中にいます
彼女の愛それだけがオリをあける鍵なんです
ただ一本の黄色いリボンが僕を自由にするんです
この思い彼女に届きますように

そう あの古いカシの木に一本の黄色いリボンを巻いてくれ
3年は長かったけれど
まだ愛してくれているかい?

リボンがカシの木に巻かれていなければ
僕はそのままバスで行く
僕のことは忘れていい
僕が悪かったんだから
リボンがなかったら

暗く沈んだバスから 今 歓喜の声がする
信じられないものを 僕は見たんだ
100本もの黄色いリボンがカシの木で揺れているのを

僕は家へ帰ってきたんだ


アーウィン・レヴィンとラッセル・ブラウンによって書かれドーンによって73年4月全米NO1に。ピート・ハミルのコラムではハンカチだったものがリボンに変えられています。頭の「刑期を終え」の部分はI've done my timeと具体的ではないし、途中I'm really still in prisonという歌詞がありますが、これも比喩ととれなくもないし、受刑者という男のプロフィールについてはほとんど説明のない歌詞になっていますが、ストーリー自体がポピュラーになっていたのでこの歌詞でも、十分にリスナーに伝わり、感動を生んだと思われます。

この曲のヒットがハミルのコラムが書かれた後だったことで、ストーリーを広めたハミルからすると自分の創作物が盗用されたとしてレヴィンとブラウンに対して訴訟を起こしたようです。ハミルはこの話を口頭伝承として伝わっており、それを自分がコラムという形で固定化したので著作権は自分にあるとしました。しかし訴えられた二人に雇われた民族研究家がハミル以前に書かれていたこの逸話を伝える記事を探し出し、結果ハミルの訴訟は却下されたそうなのです。(民族研究家を使って探させないと原典が見つからなかったいうことからして、二人は本当のところではハミルのコラムを参考にしたのだと思われますが・・・。)

歌の内容に反し軽快なテンポで歌われるこの曲ですが最後の♪Now the whole damned bus is cheerin' And I can't believe I see♪でテンポをぐっと落とし 何が見えたんだろうと気を持たせて♪A hundred yellow ribbons round the old oak tree♪と明るく歌うところがやっぱりこの歌のキモですね。

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ドーンといえばこの曲も忘れてはいけません ドン!ドン!ドン!「ノックは無用」、あっそれは大信田礼子、いや横山ノックか。



・・・しかし黄色いハンカチってどこ行ったら売ってるんでしょう。