少しだけやさしく | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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Michael Buble - Try a Little Tenderness


彼女落ち込んでるだろなぁ
若い女の子だもの
いつも同じ毛羽立ち古びたドレスなんか着てたらね
だから 彼女が落ち込んでいたら
少しだけ優しくしてあげたらいい
そうさ

彼女はほんとは待ち望んでるんだ
君が手にすることのないような物を
だけど彼女がそれを待ち望んでいたら
たとえ ダメだと分かっていても
少しだけ優しくしてあげたらいい
君ができるのはそれだけだから


流麗なストリングスから始まるカクテル・ミュージック。マイケル・ブーブレの”そりゃ美しい美しいナンバーさ、オーティス・レディングが歌ってた”っていうMCが無ければサビまで気づかないかもしれない「トライ・ア・リトル・テンダネス」です。

なるほど歌詞の世界を思えばこういうアレンジもありだなと、オーティスとは違った魅力に惹かれます。

Otis Reding /Try A Little Tenderness


コアな「ソウル」ファンや「ロック」ファンから”オーティスの歌をこんな甘ったるい歌にしやがって、ボケか。オーティスの<ソウル>をまったく理解しとらん”ってな風に揶揄されそうなのです。

でも調べてみると「トライ・ア・リトル・テンダネス」って元々は1932年にレイ・ノーブル・オーケストラ(Vo.ヴァル・ロージング)によってヒットし翌年にはビング・クロスビーもカバーその後もフランク・シナトラやクリス・コナーといった有名歌手にも歌われたスタンダード・ナンバーだったようです。

the Ray Noble Orchestra __________________________________Bing Crosby
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レイ・ノーブルのオリジナルはなんとも牧歌的なものですね。ビング・クロスビーも歌詞の一言一言に思いを込めるように歌っていて、どこか冷静に恋のゆくえを見守っているという感じがします。対してオーティスの場合は”彼女困ってんだから、なんとかしろよ、好きなんだろ、ほら”と急かされ、せっぱつまっている男の気持ちが感情むき出しで歌になっているように感じます。この違いがそれまでの歌手たちと「ソウル」や「ロックン・ロール」の歌手を分けるものなんじゃないでしょうか。

言い過ぎを恐れなければ、クロスビーたちの世代の歌手にとっては「感情」は「歌詞」の中にあり、上手く歌うことで如何に「歌詞」を聴衆に伝えるかが問題である、「感情」を極端に表に出すというのは「大人げない」ことだったんじゃないかと思います。対してオーティスたちにとっては「歌詞」よりも、その歌詞を歌う時の感情をむき出しにした「歌声」を聴いてもらうこと、それが問題である、「歌」=「感情」だったということではないか、そんな風に感じました。

この切り替わりは勿論50年代半ばのR&B、R&Rが若者文化として定着した頃に(目に見えて)起こったものと思われます。先ほど「歌詞」より「感情」だというような書き方をしましたが、それが端的に現れているのが元歌の歌詞には無い、その単語だけをとってみればほとんど意味の無い言葉が歌声として付加されていることです。例えばオーティス版の「トライ・ア・リトル・テンダネス」の歌詞をネットで検索すると以下のようなものなのですが、赤字の部分が本歌の「正しい歌詞」にはない部分です。

oh she may be weary
them young girls they do get wearied
wearing that same old miniskirt dress Yeah Yeah Yeah
but when she gets weary
you try a little tenderness
oh man that
un hunh

i know shes waiting
just anticipating
the thing that youl never never never possess
no no no
but while she there waiting
try just a little bit of tenderness
thats all you got to do
now it might be a little bit sentimental no
but she has her greavs and care
but the soft words they are spoke so gentle
yeah yeah yeah
and it makes it easier to bear
oh she wont regret it
no no
them young girls they dont forget it
love is their whole happiness
yeah yeha yeah
but its all so easy
all you got to do is try
try a little tenderness
yeah

僕がオーティスが歌うこの歌を頭で再現するときに強く蘇ってくるのは実は頭の”オ~ォ~”だったり、元歌では1回だけなのに”ネヴァ ネヴァァ ネヴァァ”と3回繰り返すとことか”イェイェイェ~”だったりします。ちなみにオーティスと言えば”ガッタ ガッタ ガッタGatta Gatta Gatta”とか”サキツミ サケツミSuck It To Me Suck It To Me”っていうのが有名ですが、これも歌詞にはない歌詞です。意味が無い言葉なのですがここには歌詞には書ききれていない「感情」がむき出しになっています。だからこの歌が頭ではなくハートにダイレクトに訴えかけてくるのは、この意味の無い言葉たちが歌の肝になっているからだと僕は思います。もちろんそれはオーティスという不世出の歌手の歌の技術があるのは言うまでもないのですが。みなさんはどう思われるでしょうか。

そして、この歌詞には書かれていない意味の無い言葉を白人で最も使いこなしたのがジョン・レノンだったんじゃないかと僕は思います。その件は書き出すと長くなるのでまたの機会に。

ところで、話は最初のマイケル・ブーブレに戻ります。このパフォーマンスについて僕は”コアな「ソウル」ファンや「ロック」ファンから”オーティスの歌をこんな甘ったるい歌にしやがって、ボケか。”と言われそうだと書きましたが、もちろん僕はマイケルをボケとは思っていません。オーティスの歌い方というのは子供の頃にビング・クロスビーやフランク・シナトラを聞かされてきた60年代の若者たちからすれば非常にクールなものだったのでしょうが、それから40年「感情」をあらわに歌うことが特に特別なものではなくなってしまった今はクールというよりはポピュラーなものになってしまっています。マイケルのような若い世代からしたら今やポピュラーではないシナトラのように歌う方がむしろクールに感じるんじゃないか、そんな風に思ったりもします。マイケルはヴァン・モリソンのカバーなんてのも歌っていたりもしますし、基本的にソウルやR&Bが好きなんだと思うしオーティスやヴァンのようにも歌えるのかもしれませんが、あえて今のようなスタイルを選んでいる。

もはやロックもソウルもジャズもレゲエも何やかやもすべて同価値の選択肢でしかないということがいえるのかもしれません。

Michael Buble - Crazy Love (LIVE)


シナトラのようではないですね(笑)