りんごみたいなホッペで甘いアルト・ヴォイスの女の子 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.

取り上げるのが遅れましたが、年始早々にパティ・ペイジの訃報がとびこんできました。

Patti Page, Honey-Voiced ’50s Pop Sensation, Dies at 85

Patti Page, the apple-cheeked, honey-voiced alto whose sentimental, soothing, sometimes silly hits like “Tennessee Waltz,” “Old Cape Cod” and “(How Much Is) That Doggie in the Window” made her one of the most successful pop singers of the 1950s, died on Tuesday in Encinitas, Calif. She was 85.

85歳ということで大往生といっていいのかな。

パティ・ペイジといっても僕なんかは「テネシー・ワルツ」の人くらいにしか知らないのですが、その「テネシー・ワルツ」について拙ブログで取り上げさせていただいたことがありますので、それを再掲して追悼にかえさせていただこうと思います。

「恋するカレンとテネシー・ワルツ」 2010/1/11

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大瀧 ついこの間思い出したんだけど、まぁ来年になってそのぉ『ロング・バケイション』の「恋するカレン」って曲があるんだけど
山下 えぇ
大瀧 出来て、オケ作って、でぇコレはやったと思ったわけよ
山下 えぇ
大瀧 オケ作った段階で周りの顔色とかも違うわけよ、コレはいい作品だよってみんな思ってるわけよ
山下 うん
大瀧 いざ歌いだしたらさ、歌えなかったのよ
山下 はぁ- それはキーの・・・
大瀧 スタジオの中で
山下 キーの設定とか?
大瀧 いやぁ 難しくて
山下 ふひゃひゃひゃ よくありますよけどね
大瀧 あるよね、あるんだけど最初の得点が、自分でいれたのが20点なのよ
山下 へぇー
大瀧 で、頑張って頑張ったんだよ。何日も頑張ったんだけど40点しかでないのよ
山下 へぇー
大瀧 で、お蔵にしようかとまで考えた、あんまり自分の中でひどいから
山下 へぇー
大瀧 あるとき、たまたま60点だったんだけど、はぁ~この程度かぁと思ったのよ (山下達郎SSB 新春放談2010より)

これで60点、自己評価は”この程度かぁ”ですか。大瀧さん自分に厳しすぎますって。この厳しさがあったからあそこまで完成度の高いアルバムになったんでしょうね。第一期ナイアガラの時代だったら40点でも平気で出したんだろうに。ほんとお蔵入りにならなくってよかったです。

最初に『ロンバケ』を聴いた時に心に残ったのは大瀧流ウォール・オブ・サウンドの集大成のようなA面1曲目の「君は天然色」とB面真ん中の「恋するカレン」でしたから、スタッフみんながオケを聴いた瞬間にいい曲だと思ったというのは理解できる気がします。

「カレン」は(だけではなく他の曲もですが)楽曲だけでなく松本隆の歌詞もいいんですよね青春映画のワン・シーンを思わせて。でもこの曲のダンス・パーティーで自分の彼女が別の男とスローなダンスを踊りながらその男と恋に落ちてしまい自分は振られてしまうというシチュエーション、どこかで聴いたことありますよね。

Patti Page / Tennessee Waltz 1950
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テネシー・ワルツ~ベスト・オブ・パティ・ペイジ

テネシーワルツが流れる中 私は愛する人と踊っていた
偶然にも 旧い友達と出会い
友達に 恋人を紹介した
二人は踊りながら恋に落ちた
恋人の心は盗まれてしまったの

テネシーワルツが流れた あの夜のことは忘れない
なんて大きなものを 私は失ってしまったのか
そう 可愛いあの人を失ってしまった
バンドがテネシーワルツを演奏していた あの夜に


言葉のひとつひとつを噛み締めるように歌うパティ・ペイジの歌唱が印象的です。

「恋するカレン」では踊っているカレンは恋人というよりは気の合うガール・フレンドくらいなのかもしれません。僕が歌詞から想像するストーリーは、カレンは”僕”のことをなんでも話せる大事な友達と思っているけど”僕”の方は一人の女性としてカレンを愛してしまっている。いつか打ち明けたいと思うけど振られるのが怖くていいお友達の状態のままで月日が過ぎています。ある日友達の家でパーティが開かれることとなり”僕”はカレンを誘って出かけることに。そのパーティで出会ったのがスポーツ・マンでルックスもいけてるプレイボーイ(古いか表現が)のクラスメイトで”僕”はカレンに彼を紹介する。照明が落とされスローな曲がかかると”僕”はカレンと踊ろうとその姿を探すが、”僕”の目に飛び込んできたのはクラスメイトの肩に頬をうずめて踊るカレンの姿だった。

ほとんど「テネシー・ワルツ」そのままの世界です。違うのは「テネシー・ワルツ」の私は友達に恋人を盗まれてしまったこととその時「テネシー・ワルツ」が流れていた悲しい想い出をたんたんと歌うだけなのに対し「カレン」の”僕”は最後にみせかけの魅力に惹かれカレンに”ふられた僕より哀しい そうさ哀しい女だね君は・・・”と怨み節を歌っていること。ただ最後の「・・・」には”こんな怨み事をいってもしょうがないことは分ってんだけどね、でもグチらずにいられないんだよね”という思いが含まれていると思います。情景だけを歌っていた「テネシー・ワルツ」に物足りなさを感じていた松本が歌に心を加えようとしたということかも知れないですね。今回の新春放談風に言えば念を込めたといったところかな。

最後のバースで大滝は”Oh! KAREN 誰より君を愛していた 心を知りながら棄てる Oh! 振られた僕より哀しい”までは思いを込めるように強い語気で歌っています。”心を知りながら~”の前には思い余って”ムウゥー”という言葉にならぬ呟きを発しているくらいです。しかし”そうさ哀しい女だね君は・・・”のところではまるで風船がしぼむ様に語気がトーン・ダウンしていきます。先ほど書いた諦めの気持ちが心によぎるかのような歌い方です。そして最後の”君は・・・”は”きぃみぃぃはぁあぁ”とフェイドアウトしていきます。「・・・」が上手く表現されているように僕は思うのですがひょっとするとこの部分に大滝は満足できなかったのかもしれないですね。


中西保志 「恋するカレン」


最後のバースの歌い方についてはカバー・バージョンと比べて貰えれば大滝がいかに苦労をしているかがわかるのじゃないでしょうか?中西保志は上手い人なのかもしれませんが上手さに頼って最後を何の工夫もなく歌っているように僕には思えてしまいます。やはり60点でも大滝さんの方がずっといいです。

PS 「恋するカレン」には「テネシー・ワルツ」の他にポール・アンカの「あなたの肩にほほうめてPut your head on my shoulder」も入っていると思います。

Paul Anka / put your head on my shoulder
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ゴールデンボウル~ポール・アンカ・オリジナル・グレイテスト・ヒッツ

ふと眼があうたび せつない色の まぶたを伏せて 頬は彼の肩の上

ところで大滝師匠のいつもの変な符割のせいでこの部分 ”太目がぁ 浮かび・・・”と聞こえるのは僕だけ?




「テネシー・ワルツ考」 2010/1/12

昨日の続きというわけではありませんが「テネシー・ワルツ」についての余談です。

Patti Page /Tennesee Waltz


テネシーワルツが流れる中 私は愛する人と踊っていた
偶然にも 旧い友達と出会い
友達に 恋人を紹介した
二人は踊りながら恋に落ちた
恋人の心は盗まれてしまったの

テネシーワルツが流れた あの夜のことは忘れない
なんて大きなものを 私は失ってしまったのか
そう 可愛いあの人を失ってしまった
バンドがテネシーワルツを演奏していた あの夜に


「テネシー・ワルツ」は1950年に上に引用したパティ・ペイジの歌で全米NO1のヒットとなっています。みなさんはこの「テネシー・ワルツ」の歌詞を読みながら疑問を感じませんでしょうか?ダンス・パーティで恋人を盗まれた時にバンドが演奏していたのが「テネシー・ワルツ」なのに、その「テネシー・ワルツ」はその時の情景を元にして書かれるまでは存在しなかった曲、つまり”今”出来た曲なのに昔の思い出の場面に流れているのはおかしいだろうということです。矛盾ですよね。ずっと気になっていたのですが答えはこういうことのようです。

「テネシー・ワルツ」は元々カントリー&ウェスタンのピー・ウィー・キングという人がビル・モンローの「ケンタッキー・ワルツ」に刺激され1946年に作曲し自身のステージのオープニング・ナンバーとして歌無しで演奏していたようなのです。その後ピー・ウィー・キングのバンド、ゴールデン・ウェスト・カウボーイのヴォーカルであったレッド・スチュワートという人が曲に歌詞をつけ歌付きの「テネシー・ワルツ」が出来上がります。

つまりはインストルメンタルの「テネシー・ワルツ」が先にありピー・ウィー・キングのライヴではその曲にあわせ踊っていた人たちがいたわけで、そんな情景を見ながらレッド・スチュワートが「テネシー・ワルツ」にあの歌詞をつけたということなのです。ダンス・パーティで流れていた「テネシー・ワルツ」は演奏のみで、今歌われている歌とは曲は一緒だけど別物だということです。あんまり、すっきりとはしませんがこれで一応つじつまは合います。

Pee Wee King & Golden West Cowboys / 'Tennesse Waltz' & 'You Belong to Me'


ようく聴いていただけば分りますが歌いだしの部分が”I was dancing with my darling"ではなく"I was waltzing with my darlin'"と歌われています。「ケンタッキー・ワルツ」の歌いだしが"We were waltzin' that night in Kentucky"ですから「テネシー・ワルツ」が「ケンタッキー・ワルツ」を下敷きにしていることがこの一節からも分るかと思います。

Emmylou Harris & Bill Monroe / Kentucky Waltz


美しき中秋の名月の輝くケンタッキーの夜 僕たちはワルツを踊った
僕は幸運な少年だったけど 終わりはすぐにやってきた
月光の下一人佇み 君の笑顔を想う
もう一度君をこの腕に抱き 美しきケンタッキー・ワルツで踊りたいと願う


まぁ同じカントリー・ワルツだということもあるのでしょうけど曲の雰囲気もなんとなく似ている気がいたします。歌詞の”僕は幸運な少年だったけど 終わりはすぐにやってきた”の部分のことを具体的に歌にしたのが”テネシー・ワルツ”だといっても良いかもしれないですね。

パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」はアメリカで600万枚という驚異的なヒットとなりましたので、当然日本にも輸入されます。1952年(昭和27年)和田壽三が訳詞を手掛け当時中学生だった江利チエミがカヴァーいたします。

江利チエミ / テネシー・ワルツ
-$鳥肌音楽 Chicken Skin Music-えc
決定版 江利チエミ

訳詞と言っても日本語で歌われるのは2番と4番の歌詞のみです、これだけの訳で大ヒットとなったのですが、和田さんいくらの印税を手にしたんでしょうね。江利のこのバージョンでは興味深い点が二つあります。ひとつは出だしの部分がパティ盤の”I was dancing"ではなくオリジナルの”I was Waltzin'"と歌われているということ。もう一点は訳された歌詞が”去りにし夢 あのテネシー・ワルツ なつかし愛の唄 面影しのんで今宵も歌う うるわしテネシー・ワルツ” ”想い出なつかし あのテネシー・ワルツ 今宵も流れくる 別れたあの娘よ 今はいずこ 呼べど帰らない”とほとんど原詞の面影をとどめていないことです。二つ目に関しては恋人の目の前で他人と踊り恋に堕ちてしまうなんていう歌詞は52年という時代の倫理観を想うととても直訳は出来なかったということではないでしょうか。それにしてもこの訳詞はむしろ「ケンタッキー・ワルツ」に近いのが面白いです。

ついでに言うと歌っているのが江利チエミ=女性なので英語詞では”I introduced her to my loved one"と女性の視点から歌っているのですが4番の日本語詞では”別れたあの娘よ 今はいずこ”と男性の視点で歌っちゃっていますね、和田さんのミスなんでしょうか。

82年だと想われますがミュージック・フェアで柳ジョージと「テネシー・ワルツ」を歌う江利チエミの映像があったのでアップいたします。英語詞は歌わず日本語詞だけを4番→2番の順で歌ったものちょっと珍しいバージョンです。後半は柳がロックにアレンジしたものを歌っているのですが堂々とした歌いっぷりは流石です。

江利チエミ&柳ジョージ / テネシー・ワルツ

(残念ながらこの素晴らしいバージョン、リンク切れになってるみたいですね)

さて最後になります。「テネシー・ワルツ」は本当に多くの人にカヴァーされていますが、この人のカヴァーは本当に意外でした。

Leonard Cohen /Tennessee Waltz


コーエン爺、何か気の抜けたようなカヴァーに聴こえます。まぁどっちかっていうとこの人は恋人を盗まれるというよりは盗む方の人って気がしますもんね。


PS.僕らの世代で「テネシー・ワルツ」といえばこちらの方を思い出す方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

Jesse Winchester / Brand New Tennessee Waltz
-$鳥肌音楽 Chicken Skin Music-jw
Learn to Love It

(ここだけの話ですが、1stよりこっちのアルバムの方が好きです。)

以上が「テネシー・ワルツ」について書いたものですが、他にもビーチ・ボーイズの「ディズニー・ガール」について取り上げたときにもパティ・ペイジが登場していました。以下要約です。



パティ・ペイジと夏の一日
懐かしきコッド岬
ガレージでワインを作った 幸福な日々
田舎の日陰 レモネード

そうさ ゆっくり生きるとしよう
自分の世界を変えるんだ
ちっちゃな町の
隣近所の女の子と


歌詞の中に

パティ・ペイジと夏の一日
懐かしきコッド岬

という一節がでてきます、懐かしきコッド岬=Old Cape Codという歌をパティ・ペイジが歌っており、実際の地名と曲名をかけているのですね。アメリカ人にとってパティ・ペイジの歌は古き良き時代を思い出させるものだったということなんでしょうね。

Patti Page -- Old Cape Cod



やすらかにお眠りください。