門司印刷 広島市内ゆき 初期制度券 | 菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

特定都区市内制度の「広島市内」は昭和47年9月1日に制定されたものですが、当初は市内エリアが現在とは異なっており、可部線の中島~小河内間の各駅は広島市所在であったにもかかわらず、横川~中島間に広島市以外の自治体に所在する駅が含まれていたため、当初は「広島市内」のエリアから除外されておりました。


門司印刷の特定都区市内着となる乗車券は、特定都区市内の除外駅等を券の表面に括弧書きで表示しておりましたが、「広島市内ゆき」の初期制度の時代は、この括弧書きの部分に差異が見られます。



図示しましたのは、いずれも「北九州市内から広島市内ゆき」の常備片道券です。


   
小倉駅発行で、(中島・小河内間の各駅を除く。)の部分が非常に小さい活字で組版されております。



   
こちらは黒崎駅発行で、(中島・小河内間の各駅を除く。)の部分は「特活」のような活字が使われております。

いずれの券も発行日と券番号から見て、「北九州市内」と「広島市内」の制度開始に合わせて調製された券と思われ、制度開始当初から(中島・小河内間の各駅を除く。)の部分の文字の大きさが異なる2つのタイプの券が存在した事になりますが、あるいは印刷場で「特活」の作成が間に合わず、初期に調製された券は(中島・小河内間の各駅を除く。)の部分を小さい活字で組版したのかも知れません。なお、黒崎駅発行の券は「広島市内下車前途無効」の注意事項の印刷が漏れており、この部分に関してはエラー券となります。


(中島・小河内間の各駅を除く。)と表示された「広島市内」の初期制度の期間は短く、昭和48年3月20日に安佐郡安古市町(古市橋)、安佐郡佐東町(緑井~上八木)、安佐郡瀬野川町(安芸中野、瀬野)が広島市に合併し、これを受けて昭和48年5月1日に「広島市内」のエリアが変更され、山陽本線の向洋~瀬野間と可部線の古市橋~上八木間が新たにエリアに含まれるようになり、表示も(中島・小河内間の各駅を除く。)から(海田市・向洋駅を含む。)に変更されましたので、(中島・小河内間の各駅を除く。)と表示されたのは、規程上は僅か8ヶ月間に過ぎませんでした。


なお、昭和47年9月1日に「広島市内」の制度が開始される5日前の昭和47年8月27日に、安佐郡祇園町(安芸長束~下祇園)が広島市に合併されておりますので、制度開始時点では広島市所在であるのに「広島市内」の制度が適用されない駅は中島~小河内間の各駅では無く、実際には安芸長束~小河内間の各駅であったのですが、合併が制度開始の5日前と直前であったためか、制度開始時には間に合わなかったものと推察されます。