私は石巻市の湊町3丁目で育ちました。
両親も湊町出身、私がまだ幼い昭和40年代、
両親の身内もほぼ湊町に住んでおりました。
ですから、私の幼少期=石巻市湊町なのです。
思い出がいっぱいです。
その湊町を被災直後から今でも支援して下さっている
チーム町田のLomiさん
という方がおられます。
先日、被災地の観光地化の記事について
Lomiさんから以下のメールを頂きました。
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先日このブログで伝えた
を転載したいというお申出と、
さらに以下のことが書かれておりました。
大川小学校、湊地区、女川のボランティア活動を
現地の方達とさせていただく中
私もこの様な場面に幾度となく遭遇し
耳をふさぎたくなるときもしばしばあり
私のブログでも少し辛口かな?と思いながらも
「被災地バスツアー」とタイトルをつけ他県からお越しになった
方達のことや光景を先月アップしたところでした。
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私はLomiさんのこの記事を読んで共感したため
転載を申し出て、快諾して頂きましたので
Lomiさんの記事を転載させて頂きます。
■以下Lomiさんの記事より~
タイトル:「被災地 バスツアー 」
タイトルの通り震災から一年を境にでしょうか
週末と重なったこともあってか
今回の活動場所に
はるばる他県から何台もの観光バスがやって来ていました。
今回の活動は2班に分かれていたのですが
そのどちらの場所にも観光バスの姿がありました。
自分の目で見て、感じて
他人事ではないということ
日本と言う小さな私達の国で起きた事
東北の方達だけの問題では決してないことを
痛感して頂く為には現地に立つことも
必要な事かもしれません。
大型バスは以前も見かけたりした事はあったのですが
少し今までとは雰囲気が違うのです。
ピンク色のボディに“旅”と大きくペイントされた
観光バス
“被災地行き”と書かれていたバス
観光バスが停車すると
バスガイドさんが降りて右手をあげ
乗客を降ろします。
ビデオカメラを回しながらバスから降りて来る人
カメラばかりいじっている人
写真を黙々と取り続ける人
この地に立ち大きな声で話す人
都内観光にでも行けそうな服装の方
ハイヒール、ミニスカート
もちろん全ての方がと言うわけではありません
東北応援の気持ちでいらしている方も
多くいらっしゃると思います。
きっとそのツアーの企画に
東北の美味しいものを食べたり
再建した市場や商店街にも
行く企画が盛り込まれているのだと思います。
ただ・・
その延長線上で
その内の一箇所となり
多くの方が命を亡くされた場へ来てしまうと
どうしても
私達の目から見ても
温度差を感じてしまうのです。
言葉が悪いかも知れませんが
観光名所になってしまったかの様にも
見えてしまうのです。
1年過ぎても東北の地は
未だ多くの悲しみが至る所で残っています。
泣いてばかりいられないと
笑顔で乗り越えていらっしゃる方が
多くいらっしゃいます。
涙を笑顔に変えて進んでいる方が多いのです。
一年を過ぎて区切りを付け
解体が始ったお家の傍から行方不明となっていらした方が
発見される時も日常の中であります。
今もそういう事があるということを念頭において頂ければと
思います。
初めて現地を訪れた方が
初めて目の当たりにする景色は
衝撃的に思うのも当然だと思います。
そして思いのほか
現地の方達がお元気でいる為
どこかで勘違いをされ
あれこれと
出来れば耳にしたくない感想を
現地の方に言ってしまったり
テンションが高くなるのも仕方がないことかもしれませんが
どうか、せめて
その地に足を下ろした時は
カメラやビデオは後回しにして
手を合わすことを先にして頂けませんか?
唐突に
関係者なのかボランティアなのかを尋ねて来られる前に
ボランティアか現地の方か見分けが付かなくても
先ずは、軽くでも会釈から始めませんか?
何故なら
ご遺族の方が私達と同じように
作業着を着ていらっしゃる場合もあり
長靴も履いていらっしゃいます
ご遺族の方はかけがえのないご家族を亡くされた場所で
毎回、聞かれる度に
「遺族です」
「遺族です」
と答えなければならないのです。
もし、何かをお渡ししたいなら
「○○を持ってきましたがお渡しするにはどうすれば良いですか?」
と普通に尋ねて頂ければと思います。
受け付けられる品物なら
きっと現地の方は受け入れて下さるでしょうし
受け付けられないものであったとしたら
ちゃんと理由をいって下さると思います。
どうか旅行会社の方達も含め企画を立てる時にも
そう言った点を
もっと、もっと考慮していただけませんか?
“被災地行き”と書かずに
“東北行き”でも
“宮城行き”でも良いのではないでしょうか?
むしろ私には
わざわざ“被災地”と書く意味が理解できませんでした。
被災地とか被災者とか
確かに被災地と言えば
ツアーに参加される方には分かり易く、
他県から見ると東北は被災地と
今も写っているのかもしれません
とは言え
被災を受けていない私でさえ
この一年間、呼び続けられる
「被災地」や
「被災者」と
一括りの言葉や活字でまとめられてしまうと
切ない気持ちになってしまいます。
細かい事かも知れませんが
受身の立場で考えれば分かるのではないかと
思います。
観光することが良くないのではなく
バスからビデオやカメラを動かしながらゾロゾロ降りてくる様子は
ただでさえ目立ってしまうのです。
大きく被害を受けた所は
未だ景色の中に色がありません
コンクリートの灰色と土の色がほとんどです。
観光バスが立ち寄る被害の大きかった所には
必ず
現地の方がいらっしゃいます。
家を失された方
ご自分の会社が今もそのままの姿で
横たわっていたり
同僚を亡くされた方
そう言った経験をされた方が
いらして当然なのです。
普段着で
花を手向けにだって来られています。
皆さんが話していることも
皆さんの立ち振る舞いも
伝わってきてしまいます。
悪気がないことは
現地の方達は分かっているのですが
やはり胸に突き刺さる事も多々あると思いました。
「わざわざこうして、遠くからきてくれているから」と言う理由で
皆さん普通のお顔で受け答えされていましたが
心が痛くないわけがないはずです。
以前から交流を重ねている方は
「複雑と言うのが本音です」とも
今回の訪問の2日間は
2班ともそんな思いを抱えて帰路に着きました。
私達も気が付かないところで現地の方に対して
そのような事がないとは言いきれません。
こちらに帰って来てから
意見交換と反省会をしながら
今後の活動を考えて行こうと思います。
東北の方達の広く深い心の暖かさに
ついつい甘んじてしまいがちですが
本当の意味で
現地の方達のお手伝いが出来たらと思います。
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転載~ここまで。
この件について・・
私もよく目にします。
観光気分の方々を・・
例えば・・(一例ですが)
ニコニコ談笑しながら、パーキングから
たくさんの方々が亡くなった門脇・南浜町が一望できる
日和山へ歩いて向かう人々・・
実際目の当たりにすると当然、ムカッとします。
そして、仕方ないよな・・と、苛立ちを抑える自分がいます。
そんなことの繰り返しです。
でも・・仕方ないんです。これも大変難しい問題です。
実際は、見て見ぬふりをするしかありません。