合格実績と塾・教師の指導力 | 中学生の勉強法と親の心得 ~塾長直伝! 高校受験対策と反抗期の対応法~

中学生の勉強法と親の心得 ~塾長直伝! 高校受験対策と反抗期の対応法~

勉強の「困った」を解決する、小中学生とその親のための教育相談サイト。
公立小中学校からの高校進学を目指す人へ、高校受験の正しい勉強法、家庭学習や独学の方法、
親の心得や役割、反抗期の中学生の接し方や指導法、岐阜県の入試情報や塾の選び方などを紹介。

 塾と言うと、どうしても合格実績が話題になります。もちろん私も、この業界に携わる前までは「合格実績の良い塾のほうが優れている」と思っていました(笑)

 しかし、実際にこの業界に携わってみると、全く関係ないことがよく分かりました。


 以前、「合格実績は、生徒数が多いほど増えるため、大規模化した企業塾のほうが有利で、それを狙って規模を大きくしようとする塾もある」といった内容で記事を書いたと思いますが、これはやはり事実です。

 それに、もともとレベルの高い生徒がたくさん集まれば、実績は高くて当たり前です。

 学力下位の生徒が10人来て、そのうち5人を1つ上の高校に受からせる指導力のある塾と、各学校のトップ層ばかり50人が来て、別に何もしなくても50人全員がそのままトップ校に受かる塾とでは、合格実績も合格率もインパクトも全て後者のほうが勝ります。

 いかに塾の価値が指導力では無く、ブランドイメージで決まるかがよく分かると思います(苦笑)

 「合格実績=上位の生徒数=ブランドイメージ=営業力」「合格実績≠指導力」と言う具合ですね。
 困ったものです。


 それはさておき、この合格実績が「塾の力量」だけでなく「教師の力量」の評価にも使われる面もあります。例えば、「ある先生は東大に進んだ教え子がいるくらい指導力がある」などです。

 はたしてこれが参考になるでしょうか?

 実は、こちらは塾の合格実績以上に参考にならないです。

 テレビやネットでカリスマ教師が何年かおきに登場して、「その教え子たちの進路が・・・」などとやるのは恒例ですが、あれもまた「関わった生徒の質の良さ」に甚だしく影響されるもので、そのまま教師の力量とは言えません。

 もちろん、ああして紹介される教師の中には、優れた力量を持っている方もいるのは事実です。そういった人たちの指導実践や書籍などを見ても、誇張で飾り立てたひどいものもありますが、実際に素晴らしいものも多いですしね。ただ、そこにはマスコミによって作られた虚像を多く含んでおり、現実と全くのイコールではありません。

 そして、そういった嘘や誇張が入り込むという以外にも、合格実績がそのまま教師の力量に直結しないと言い切れる理由があります。



 まず、高校入試の結果や生徒の学力は、5教科の総合点で決まります。(大学入試だともう少し教科は絞れてしまいますが、難関校であれば1教科だけということはほとんどありません)

 ところが大抵の教師は1教科の専任です。つまり、指導の貢献はたった5分の1なのですね。しかも通知表は9教科ですから、さらに貢献分は薄まります。

 さらに、中学の3年間を漏れなくずっと教える先生はほとんどいません。例えば自分が中3の時に担当したとしても、中1・中2の時は別の人が教えてくれていたわけで、その人の指導の貢献分を考えなければなりません。また、小学校の指導の積み重ねの上に中学校があるわけですから、当然小学校の先生の指導成果も考慮に入れる必要があります。

 また、塾だけで受験勉強するわけではなく、学校でもかなりの勉強をしています。時間数だけで言えば、学校のほうが多いくらいですから、学校の先生にも一定の貢献分はあるはずです。たとえ学校の授業が全く分からなくてついていけていないとしても、技術的に言えば、分からないなりに知識が蓄積されて後の理解を助けることもあります。それに学校だって悲惨な授業ばかりではないですから、そこそこ役に立つ内容であるなら、やはり貢献分には含めなければなりません。

 そして最後に、家庭の教育力や生徒のもともとの頭の良さも考慮に入れなければなりません。難関大に入るような生徒は、やはり小さい頃からずっと頭の良い生徒が多く、塾に行っていなくても同じ結果になっていただろうと考えられるケースがとても多いです。塾に行くことでよりスムーズに受かったのはあるとしても、行かなくても受かる力があったのならば、それは本当の意味での合格実績とは言えませんよね。むしろ生徒自身の力ですし、あえて誰かのおかげと言うならば、「過去の教育全ての積み重ね」「親の教育の賜物」と言ったほうが近いと思います。


 こういった点について考えていくと、たかだか1教科しか教えていない教科担当の貢献分は、ものすごく少ないものだというのが分かると思います。

 もちろん生徒にとっては「その先生のおかげで」と感じることはありますが、それはあくまでも「感じ方」や「影響の大きさ」の問題であって、合格実績と直接結びつくものではありません。

 「先生のおかげで、小学校にも通っていない自分が東大に合格しました」ならともかく、「塾の授業がとても充実していて、偏差値が上がりました」くらいでは、合格の直接の原因とはとても呼べないのです。(堂々と呼ぶ人が多いのですが・・・)

 強いて言えば、「すごく分かりやすくて、大の苦手で全くできなかった教科ができるようになりました」くらいなら、その先生のお陰で受かったと言える比率も大きくなりますが、それでもやはり他の教科ができるようになったのは別の要因で、合格実績とは少し違うものですよね。


 そういうふうに考えていくと、教師の合格実績がいかにアテにならないか分かると思います。

 私が教えたことがある生徒の進学先の追跡調査は全然していないため正確な記録は残っていませんが、過去に聞いた話を思い返すと・・・東大、京大、阪大、名大等の国公立大学(医学部含む)はもちろん、早慶上智、関関同立、MARCH、日東駒専などの私立大など、主要どころは取り揃えています(笑)

 私立中も、指導したことがあるというだけなら、東海、滝、南山、淑徳、椙山、金城などの近隣有名中学は制覇(?)していることになりますし、高校も地区トップ校などへ大量に合格しています。

 普通ならこれらが私の指導実績、合格実績になるわけですが、正直こんなものは何の意味もないデータです。

 何年間も見ていた生徒もいますが、たった数回しか見ていない生徒もいます。5教科全てで関わっていた生徒もいますが、1教科しか関わっていない生徒もいます。

 *教科以上に関わって、*年以上教えた生徒に限ると、**大と**大と・・・という具合に考えることにも意味を感じません。どこで区切っても、結局は教師側の主観に過ぎませんからね。

 小学校から高校まで、5教科など受験に必要な科目を全て教えて、しかもずっと不登校で塾だけに来ていた生徒で、もともと勉強が大の苦手・・・という生徒がいれば「私の指導実績です」と胸を張って言えますが、教科も期間も一部分しか関わっていない生徒を取り上げて指導実績だとは、恥ずかしくてとても言えないのですね。

(正常な感覚の人なら、同じ事を思うと思いますが・・・どうでしょう?)


 そもそも、合格したのはあくまでも「生徒の頑張り」です。

 それを自分のことのように喜ぶことはあっても、自分の成したことのように誇る感覚は、今の私にはありません。「先生のおかげ」と言われると昔は嬉しかったですが、今は「そんなに全部教えてないだろう」「他にも感謝すべき人はたくさんいるだろう」とあまのじゃくに返したくなります(笑)

 実際、まずはここまで育ててくれた親に感謝してほしいですしね。塾に通えたのも親のおかげなのですから。


 教師たるもの、「生徒の人生の一部を預っている」という意識を持って、真剣に取り組むことがとても大切だと思います。

 一方で、指導が終わった後は、「自分が影響を与えたのは、生徒の人生のたった一部に過ぎず、自分の成したことを過大評価すべきでない」という意識も大切だと思います。そうでない人ほど、増長して尊大になってしまうものですから、私も常に自戒していきたいと思います。


 皆さんも、ぜひ惑わされない目を持ってくださいね。


 「本ブログが初めての方への注意事項」へ戻る