いつもの様に「癌番組」としては全く見るべき点は無かった。

ただ、番組に登場した福岡在住の内山さんの亡くなり方が少し気になった。
調べてみると御本人のホームページが存在した。個人の経過をこのブログで取り上げるのは
初めてであるし、不謹慎かも知れないが、重大な示唆に富んでいる。思い切って紹介する。
http://ucchi-skio.cocolog-nifty.com/blog/

2007年1月:九州がんセンターで確定診断。右下葉に2cm大腫瘤+肺門部リンパ節転移疑い。
     ステージIIaと判断、即手術。右肺全摘。リンパ郭清。術後の痛みに苦しむ。
   2月:縦隔リンパ節への転移も「あった」との事。ステージIIIa「だった」との説明。
     化学療法UFTもしくはS-1を検討。後日、
     「下葉は腺癌、肺門部は大細胞癌」との説明を受ける。候補のレジメンは
     「シスプラチン+イリノテカン」を提示される。
   3月:化学療法スタート「シスプラチン+イリノテカン」。吐き気に苦しむ。
     途中「ベッドが空かない」との理由で度々間延び。
   5月:抗癌剤治療4コース終了。

2008年2月:郭清したリンパ節に転移疑い。PET検査後「転移あり」との診断。
   4月:肺門部への60Gy照射とシスプラチン+エトポシドによる放射線化学療法スタート。
   6月:放射線化学療法4コース終了
   7月:左肺、全身の骨にも転移疑い。疼痛に苦しむ。
   8月:カルセドとゾメタ投与開始。
   9月:ボルタレンを諦め、MSコンチンによる疼痛制御。
   10月:カルセドに左肺はレスポンスせず。ドセタキセルに変更。
   11月:脳転移7個。30Gy全脳照射実施。
   12月:右胸にポート設置。ジェムザールに変更。

2009年1月:24時間モルヒネからオキシコンチンに変更。退院。
   2月2日永眠。

個々の局面に対し具体的な疑問や批判は山の様にあるが、あえて伏せたいと思う。
ただ、もしも私だったら、「何ひとつagreeしない」事だけは述べておきたい。

九州がんセンターの担当医とそれを指導する立場にあった者には猛省を御願いしたい。
診断、外科、緩和、抗癌剤、放射線、看護、、全てにおいて人事とシステムの
抜本的な改善が必要だと、内山さんの事例は教えてくれていると考える。

番組に登場した内山さんは体力も気力も充実した方であったと思う。
もしも同じ様な目に遭ったら、私だったら1年も保たなかったと思う。
本当に残念だったと思います。お悔やみの言葉もありません、、、。