戦地強姦防止

 1937年、中支那方面軍が、上海から南京に侵攻することを参謀本部が禁止していた、急ごしらえの寄せ集めの部隊編成で、兵站上補給が困難であったからだ。それを無視して、各司令官が功を競い、弾薬・食料の補給無しで進軍した。ナチス装備とナチス軍事顧問団指導の国民党軍は日本軍より装備が優れていたが、精神力において負けていた。上海の日本租界地を3万の国民党軍が包囲し、数千の守備隊では持ちこたえられないと日本国内の予備兵力をかき集め、上海に送り込んだ。退役し、病気がちの松井石根大将を中支那方面軍司令官に任命し、上海に司令部を置いた。


 日本軍は、国民党の包囲を破り、撤退させていく。国民党軍は、清野戦術(撤退時、あらゆる食糧・資材を焼き尽くす)をとり、首都南京に向かう。その背後を杭州から上陸した第10軍が国民党軍を襲い、南京に追い詰めていく。国民党軍の約30万の精鋭部隊が消滅する。このとき第10軍の不法行為は司令官が指示したとされ、後に戦争犯罪として裁かれる。

 上海、天津、そして満州は、日本軍の駐留・支配の期間が長く、慰安施設は民間と共用していたため、慰安所への軍の関与が表だってなかった。これらの地域では民間の女郎屋は、経営が日本人、中国人と混在していた。

 それまで中華民国の首都であった南京に入城した中支那方面軍は、いわば敵中に入ったようなもので、殺伐とした日本軍兵士(強姦など不法行為)を落ち着かせる安心できる慰安所が必要になった。もちろん南京には中国人相手の女郎屋はいたのだが、敵の諜報活動を防ぐため、日本人あるいは朝鮮人の酌婦がいる慰安所が必要になった。

 日本軍の南下により、南京と同じように急ごしらえの慰安所が用意される。輸送や補給を軍に依存することにもなり、軍の関与が目立つようになる。これを「強制連行」だと左派やコリアンが指摘する。かなりグレーなのだが、軍が女郎屋や女衒の便宜をはかったことは事実だろうと思うが、娼妓・酌婦を軍が強制連行したとは、女郎屋や女衒の仕事ぶりから考えられない。


 占領下における進駐軍(米軍)の強姦、強奪、殺人は、目に余るものがあった。ソ連軍の欧州、満州での不法行為も多くの方が被害者になっている。古来、戦勝者には生殺与奪の権利があるとされている。日本軍だけを非難しても始まらない。下記に紹介する文献を追って行くと、GHQ統治下での米兵の不法行為が記録されている。


戦争と性

 日本軍は、中国大陸に長期的に出兵し、兵士へ休養を与え、内地とのローテーションする余裕もなかった。ある意味では、業者(女衒)と軍の暗黙の了解で、中国大陸各地の駐留地周辺の町に、その区画が設けられた。従軍といえばそうなのだが、業者が選んだ市場だと考えられる。終戦時、外地から日本に引き揚げた売春婦は10万人を超えていたという説もある。
 米軍は、4年の戦争の間、豊富な物量と休息のためのローテーションを行っていたと言われている。また米国内では、キリスト教のモラルが売春を制限していた。しかし、米軍兵士達は、日本軍の周囲を知っていた。


連合軍占領下の慰安婦(売春)について

恵泉女学院大学平和文化研究所編「占領と性」 インパクト出版会 (2007/05)より


 敗戦により、米兵を中心とする連合軍兵士43万289人(1945年12月4日)が日本に駐屯した。沖縄を除いても700個所を超える米軍基地があった。

 ポツダム宣言受諾、天皇陛下の玉音放送後の8月18日に内務省警保局長名で「外国軍駐屯地に於ける慰安施設について」を各府県長官あてに打電された。「日本人の保護を趣旨とし、外国駐屯軍に対する営業行為は一定の区域に限定し、その区域は警察署長が設定し、日本人の利用を禁ずるものとする。警察署長は、性的慰安施設、飲食施設、娯楽場の営業指導を行い設備を急速に充実させること。営業に必要なる婦女子は、芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密淫売犯者などを優先的に充足させる。」
これは、マニラ、沖縄に駐留していた米軍兵士の期待(日本に遊郭、私娼街があること)を連合軍従軍記者から伝えられたこと、日本の婦女子を守るため、各地で疎開が始まっていたことなどを先取りして、警察官僚が実行した。

 これが「特殊慰安施設協会;RAA(Recreation and Amusement Association)」の発足である。多くの米軍兵士が通い、瞬く間に性病が広まった。最盛期7万人の女性がいた。米国国内の宗教団体の抗議もマッカーサーに届き、1946年3月に全て閉鎖された。ところが、私娼いわゆるパンパンが急増、管理されない売春によりさらに性病が増加、米軍のMPと日本の警察が狩り込みと言った私娼狩りを行い、強制的に病院に送り、検査、治療をした。

 GHQも表向きは本国の宗教団体の抗議を聞いて、RAAの閉鎖をしたが、事実上放任し、罹病した兵士を本国に帰還させると問題が発生するから性病管理を強化していった。世界中の米軍基地の周囲も似たような状況と思う。


 この顛末を良く知っているアメリカ人は、GHQのPHWのCrawford F.Sams准将(医師)である。国会図書館の「日本占領関係資料」に米国のNARAからコピーした資料があり、Sams准将の記録もある。現在日本の医療・衛生の基礎をつくった医師。DDTの持ち込みも。
http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/

(このサイトにアクセスしてみたが、ダウンロードできないようだ。多く残っている日本側の資料を利用する方が近道かも知れない。)


調べていたら、神戸大学の博士論文に
「Occupation and sexuality--GHQ's policy-making on prostitution 占領と性 GHQの買売春政策」 CRUZ, CLAIRE BLOSSOM
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d1/D1004782.pdf

がありました。巻末に多くの信頼出来る文献リストがありました。
Cruzさんの身元はわかりませんが、かなり冷静に書かれています。
RAAの記載は41頁以降、まとめは99頁以降に書かれています。結論的には「GHQは、日本の売春に対して曖昧な態度をとった。彼らの意識は、米軍兵士の性病感染とその低減であった。」と。


GHQのPHWの記録(週刊)は下記に、リタイプされている。
http://www.rekishow.org/GHQ-PHW/material.html
赴任した最初の1945年10月14日の週から、VD(Venereal Disease)が書かれている。
1946年1月20日の週には、公設施設を閉鎖するよう命令を出している。


欧州戦線でも
第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵」を、米ウィスコンシン大学のメアリー・ルイーズ・ロバーツ教授が2013年6月に出版。
「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」
http://www.afpbb.com/articles/-/2946474?pid=10810152