文玉珠(ムン オクス)さんの「戦時郵便貯金」は、熊本貯金事務センターの原簿に残っていたことが確認されています。少なくとも熊本貯金事務センターの原簿は、円表示であり、内地(日本国)で認証された金額であり、日本軍が外地で発行した軍票ではないと理解するのが自然です。文さんがどのような方法で稼いだのか分かりませんが、終戦時26,145円が通帳に残っていました。それを1992年に日本の郵便局に返還要求を行いました。
http://f.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20071112123533


 また、本人の話として、預金以外に兄に5,000円を送金したことを語っています。日本軍から軍票をもらったとしても、内地での円への換金は禁止されている以上、通帳には記入されないはずです。

なお、戦時郵便貯金の払い戻しは、下記昭和29年の法律により実施されています。(文さんはこの法律を知らず、後日1992年に返還要求を行います。)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO108.html

 軍票については、1945年9月6日のGHQの命令により、大蔵省が無効宣言を声明、1951年のサンフランシスコ平和条約において、連合国側の賠償請求を放棄することにより確定しました。


 戦中の文さんの預金額を、戦後のある時期の換算表で比較し、わずかな金額であると言う方がいますが、これも事後法の考え方。文さんは、人力車で買い物に出かけた、兄に送った5,000円について、当時(戦中)1,000円もあれば立派な一戸建の家が買えたと証言しています。つまり、お金の価値は、その時代で比較しなければなりません。


注;預金と送金方法について

 2013年夏、「朝鮮人慰安所管理人の日記」を、安秉直ソウル大名誉教授が発見したと、毎日新聞、週刊ポストが報道しました。
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2589.html


その日記の日本語訳は下記。(元のデータはPDFです。Acrobat Readerで開いてください)
「ビルマ・シンガポールの従軍慰安所」(神戸大学木村幹教授、京都大学堀和生教授翻訳)
http://www.naksung.re.kr/xe/index.php?mid=sepdate&document_srl=181713&ckattempt=1

 管理人は、野戦郵便局、横浜正金銀行、南方開発銀行などの窓口に行き、慰安婦の貯金や送金を行っています。慰安婦それぞれの500円、1000円などの貯金・預金、まとめて3万2千円の貯金、3万9千円の送金などの業務を行っています。現在の価値に計算しますと約200倍ですから、管理人も慰安婦も相当裕福であったことが分かります。

(注:横浜正金銀行→東京銀行→三菱東京UFJ銀行)


慰安婦の収入は、女郎屋(慰安所)の管理人に委託され、郵便局や銀行に「円」を預けられていることが分かります。