軍の関与について調べて行くと、京都大学の永井和教授のブログに詳しい調査資料がありました。(強制性があったと主張される先生)


日本軍の慰安所政策について
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html

この資料は、上海派遣軍慰安所(中支那方面軍)の従業婦募集に関わる全貌を調べたもので、かなりの分量です。上記永井先生のブログの中段に、「酌婦契約条件」に従業婦の雇用条件と報酬が書かれています。


(永井先生ブログよりコピペします。)

最後に、大内が勧誘にあたって周旋業者や応募した女性に提示した契約条件を紹介しておこう。

     条  件
 一、契約年限     満二ヶ年
 一、前借金      五百円ヨリ千円迄
  但シ、前借金ノ内二割ヲ控除シ、身付金及乗込費ニ充当ス
 一、年齢        満十六才ヨリ三十才迄
 一、身体壮健ニシテ親権者ノ承諾ヲ要ス。但シ養女籍ニ在ル者ハ実家ノ承諾ナキモ差支ナシ
 一、前借金返済方法ハ年限完了ト同時ニ消滅ス
  即チ年期中仮令病気休養スルトモ年期満了ト同時前借金ハ完済ス

 一、利息ハ年期中ナシ。途中廃棄ノ場合ハ残金ニ対シ月壱歩
 一、違約金ハ一ヶ年内前借金ノ一割
 一、年期途中廃棄ノ場合ハ日割計算トス
 一、年期満了帰国ノ際ハ、帰還旅費ハ抱主負担トス
 一、精算ハ稼高ノ一割ヲ本人所得トシ毎月支給ス
 一、年期無事満了ノ場合ハ本人稼高ニ応ジ、応分ノ慰労金ヲ支給ス
 一、衣類、寝具食料入浴料医薬費ハ抱主負担トス35)


 このような条件でなされる娼妓稼業契約は「身売り」とよばれ、これが人身売買として認定されておれば、大内の行為は「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」するものにほかならず、刑法第226条の人身売買罪に該当する。しかし、当時の法解釈では、このような条件での娼妓契約は「公序良俗」に違反する民法上無効な契約とはされても、少なくとも日本帝国内にとどまるかぎりは、刑法上の犯罪を構成する「人身売買」とはみなされなかった。


 この契約を結べば、前借金(借金額は500円から1000円だが、そのうち2割は周旋業者や抱主が差し引くので、実際の手取りは400円から800円までである)を受け取る代わりに、向こう2年間陸軍慰安所で売春に従事しなければならない。衣類、寝具、食料、医薬費は抱主の負担とされているが、給与は毎月稼高の1割だから、かりに毎日兵士5人の相手をしたとして(日本国内の娼婦稼業の平均人数)、実働25日としても、月25円にしかならぬ。50円を稼ごうとすれば、毎日10人の兵士を相手にしないといけない。しかも契約書では、所得の半分は強制的に貯金することになっている36)。いっぽう抱主は1人の慰安婦の稼ぎから平均月225円の収入を得ることができ(1日5人の兵士を相手にするとして)、2年間では総額5400円にのぼるのである。


 問題なのは年齢条項である。16才から30才という条件は、「18歳未満は娼妓たることを得ず」と定めた娼妓取締規則に完全に違反し、満17才未満の娼妓稼業を禁じた朝鮮や台湾の「貸座敷娼妓取締規則」にも抵触する。さらに、満21才未満の女性に売春をさせることを禁じた「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1925年批准)ともまったく相容れない。大内の活動は明らかに違法な募集活動と言わざるをえない。その点は警察もよく認識していたと見え、群馬県警が入手し、内務省に送付した上記契約条件の年齢条項には、警察側がつけたと思われる傍線が付されている。この契約条件が、上海での軍・総領事館協議において承認されたものなのかどうか、そこが議論のポイントの一つとなろう。私見では、この契約条件がまったく大内の独断で作成されたとはとても思えない。何らかの形で軍ないし総領事館との間で契約条件について協議がなされていたと思われる。たとえそれが契約条件は業者に任せるとの諒解だったとしても、である。


 しかし誤解を恐れずに言うと、この年齢条件をのぞけば、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、公娼制度の現実を前提に、さらに陸軍慰安所が実在し、軍と総領事館がこれを公認しているとの条件のもとでは、就業地が国外である点を除くと、この大内の活動は当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」 とは言い難い。まして、これを「強制連行」や「強制徴集」とみなすのはかなりの無理がある。警察は要注意人物として大内に監視の目を光らせ、彼の勧誘を受けた周旋業者に説諭して、慰安婦の募集を断念させたが(山形県の例)、しかし和歌山のように婦女誘拐容疑で検挙することはしなかった。


 ただし、念のために言っておくが、自由主義史観派の言うように、慰安所が軍と関係のない民間業者の売春施設であるならば、田辺事件の例と同様、この大内の募集活動も、軍の名を騙って、女性に売春を勧誘するものであるから、婦女誘拐ないし国外移送拐取の容疑濃厚であり、警察としては放置すべきではなかったことになる。
(以上、永井先生ブログより)


 永井先生が確認された主な文書は下記であり、特に1.の副官通牒と2.8-2の内務省警保局長通牒が軍と政府の関与があった文書として取り上げています。


1.陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)

2.警察資料

1.外務次官発警視総監・各地方長官他宛「不良分子ノ渡支ニ関スル件」(1938年8月31日付)
2.群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年1月19日付)
3.山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)
4.高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年1月25日付)
5..和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)
6.茨城県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月14日付)
7.宮城県知事発内務大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月15日付)
8.-1.内務省警保局長通牒案「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年2月18日付)
 -2.内務省警保局長発各地方長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 (1938年2月23日付)
9.「醜業婦渡支ニ関スル経緯」(内務省の内偵メモ、日付不明)

この調査資料を読み解くのは時間がかかりますので、永井先生が要約された下記ブログをご覧ください。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20140901


永井先生の要約
①慰安所は所属将兵の性欲を処理させるために日本軍が設置した兵站付属施設であり、民間業者が経営する一般の公娼施設とは異なる。軍および政府の関与と責任を否定することはできない。

②1937年末に中支那方面軍が軍慰安所を設置し、その指示のもと売春業者達が日本国内および朝鮮に派遣され、軍慰安所で働く女性の募集をはじめた。それを察知した日本内地の一部の地方警察は、軍がまさかそのような施設を作るとは思いもしなかったので、募集活動の取締と慰安婦の中国渡航を禁止しようとした。

③この動きを知った内務省は、慰安所開設は軍の方針であることを地方警察に周知させるため通達を発し、慰安婦の募集と渡航を容認する一方で、軍の威信を保持し、兵士の留守家庭の動揺を防ぐために、軍と慰安所の関係を隠蔽化する方向で募集行為を規制するよう指示した。

④「副官通牒」は、このような内務省の規制方針にそうように、慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けに陸軍省から出された指示文書である。
(以上永井先生の要約)


整理
 永井先生の調査は、残された中支那方面軍の副官通牒と警察資料(内務省)の分析で、軍と政府の関与があったとされています。いわゆる慰安所の運営実態については調査されていません。軍により敵から守られた区域でいわゆる女郎屋が経営していた形態(今様に言えばテナントの店子)もあったとも推定できます。また慰安婦の募集・供給も調査報告にあるように女衒が活動していました。その女衒の活動に手心を加える通牒を警察に送付するというかなりグレーな活動であったと思われます。
 軍の関与と女郎屋の経営、慰安婦の実態については、その当時の関係者に確認しなければ正確には分かりませんが、信頼できる情報は少ない。


2013年、朝鮮人の「慰安所管理人の日記」が発見・公表されます。生活の実態が分かるようになります。(後述)