ハマのパルテノン | 横浜の建築家 住宅メモランダム 令和六年

ハマのパルテノン

コロナ自粛で運動不足になり、昨年の春から、ランニングコースを開拓してきましたが、ようやく片倉を起点に、六角橋から横浜市場へ抜け、橋を渡ってみなとみらい、高島町から三ッ沢公園を経由して戻る、という10キロコースができつつあります。

 

年明け早々、3キロも体重が増えていたので、普段より少し足を延ばし、山下公園まで行ったのですが、その帰途、7世紀初頭につくられたといわれる軽井沢古墳跡の石碑を発見しました。子供の頃からよく通る坂道なのに、崖の上なので、55年間、まったく気づきませんでした。昭和40年の発掘調査のあと、関東自動車学校になったので、もはや墳墓はありませんが、仁徳天皇陵と同じ前方後円墳だったようです。

 

ふだんは一気に駆け上がるのに、この日は、いつもより長い距離に疲れて、ふと、地霊に引き寄せられるように断崖の石段を登ってみたら、古墳跡に遭遇したというわけです。往時の形態を知る術が看板の写真だけとはいえ、人工的な遺構がなくなっているからこそ、逆に、地霊を感じることができたようにも思えます。

 

断崖の真下には、神奈川宿と保土ヶ谷宿を結ぶ旧東海道が通っていて、かつては、そのすぐ前まで海がせまっていたそうです。

 

建築というのは、土地の特性を読み取って、その可能性を引き出すための知恵があってこそのものだと思います。そしてそれを感じとることは、建築家にとって大切な職能のひとつです。アテネのパルテノンも三徳山の投入堂も、地霊を読んだ達人がいたからこそ、普遍の空間性を生み出したといえるでしょう。

 

スケールは異なりますが、近所のよしみで、ハマのパルテノンと呼びたいですね。