「芸術と商売」twitterより | スッタカの歌うたいBlog

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ストウタカシのブログ

Sep 15, 5:46pm

音楽家を含め、芸術家は古来から王宮、貴族など一部の特権階級の囲われ者だった。日本でも歌舞伎の創始者とされる出雲の阿国ら、所謂芸人は低い階級とされてきた。芸能人=スターの図式は近代のものだ。

それは商業として芸能界が成功。巨大化し莫大なカネが表立って動くようになったからだろう。手の届かない憧れの世界。しかし、同時に残る過去の「芸人」への侮蔑。韓国芸能界で自殺が多いのはそのことに因る部分が大きいのではないか?

最近、コンサートでファンに暴言を吐いて話題になったA全地帯のTさんは、観客の一人に「お客は神様だろう!」と言われブチ切れたらしい。ひどいパフォーマンスにブーイングするのは愛があるが、Tさんが切れるのも理解できる。

汚いヤジだか、そこにある客=神のクレーマー精神の中に、芸人への蔑みを感じてしまうのは勘繰りすぎだろうか?しかし、ここに芸術と商売を止揚するヒントがあると思っている。

以前テレビで、世界的に著名なバイオリニストに、ボロを着せて、ニューヨークの地下鉄でストリートミュージシャンのように演奏したら何人足を止めるか?という実験をやったのを見た。

1ステージ何百万とかの一流ミュージシャンが、数時間演奏したが、足を止めた人は一人もいなかった。時給数百万円の彼がここでは無給だったのだ。

当然、彼の芸術的価値が下がったわけではない。ではなぜそうなったか?時間帯のせい?聞く耳がなかった観客のせい?衣装、音響、照明、ステージがなかったから?誰も足を止めてなかったから?

美術館に展示された油絵と、ボロボロの家の片すみに立て掛けられたそれ。これも同じ結果になるのではないか?わかる人にだけわかるものと、多くの人にわかるもの。商売にするなら後者の道を疎かにしないことだ。

商業音楽に魂がないと言う人もいるが、それは浅いと思う。作品に込められたアーティスト性を感じられるかどうかは、作品と受け手の関係の上に成り立つ。感じられなかったのは双方の責任になろう。だから居丈高に作品を批判するのを僕はしない。

分かってもらいたいなら、アーティストは精進しろ!と、自分に言い聞かせて、芸術と商売についてのツイートを終わります。