「サイレント・サンドアート・ライブ」徹底アフターリポート | サンドアート集団SILT船本恵太のアメブロ

「サイレント・サンドアート・ライブ」徹底アフターリポート

「茨木市聴力障害者協会50周年・茨木手話サークルのばら40周年記念大会~つむいでゆこう手話を~ 」

 

2017年2月25日

茨木市福祉文化会館

アフターリポート

 

 

 

昨年、このイベントの出演依頼を受け、お打合せをしました。
その時、某TVCMの撮影でSILTのスタジオに、メンバーである横田沙夜がきていました。

せっかくですので、大阪からいらしてくださった皆様のために、二人でサンドアートパフォーマンスを目の前で披露させていただき、さらに体験もしていただいたのですが、そうしたやりとりの中で、横田がすぐに3つの手話を使いまして、「手話ができるのか?」と驚かれたほどでした。

みんなで記念撮影をしましょうということになり、横田が撮影をしてくれたのですが、そのときも指で、3.2.1と合図をする機転をきかせ、先方が感動していました。

そうしたこともあって、聴力障害者協会の副会長に横田が大変気に入られまして、一緒に記念撮影を求められ、握手も求められ、「きてください」とまで言われました。

この案件は社会貢献活動のボランティアのため、普段よりもかなりギャラが少ないのですが、それでも横田が喜んで引き受けてくれることになりました。

SILTのメンバーの多くのメンバーがこうした社会貢献活動に積極的に参加をしてくれていて、本当に心強いです。





どんなサンドアートライブにするか?

企画を練りました。
私がステージの演出をしています。

 

録音スタジオ「音のメルヘン屋」に生まれ育った私が、

音楽の仕事を最も大切にしているSILTが、

あえて音楽のない、

「音のない世界」

題して「サイレント・サンドアート・ライブ」

に挑戦をしてみようと思い至ったのです。

 

サンドアートパフォーマンスを行う上で、音楽は必須です。

音楽がない中でパフォーマンスをするというのは、

大きな冒険、大きな挑戦です。

大失敗する可能性も考えられました。

 

しかし、「常に新しいことに挑戦をし続ける」という、

父から譲り受けたイノベーティブな精神を大切にしている私は、

この新しいサンドアートパフォーマンスのスタイルに、

挑むことを決心いたしました。


 

「音のない世界で 砂が 心にささやきかける」


告知がはじまると、もう去年の時点でチケットは完売。何人もお断りをしなければならないほどの状態となったのです。席数は300席でした。

もちろん私達の力だけでなく、サンドアートの他に、パントマイムや、手話落語や、チアリーディングのステージもありましたし、協会とサークルの50年と40年の歴史の積み重ねというスタッフの皆様のご努力の賜物でしょう。




「音がない」という音があることを教えてくれたのは、現代音楽家のジョン・ケージです。
実験音楽の第一人者であるジョン・ケージをご存じでしょうか?
その代表曲「4'33"」という曲は、休止符のみで構成された曲です。
そう、すなわち完全に無音の曲です。
音がない、という音符である休止符。
音がない、という音もあることに、気がつかせてくれる名曲です。

 

 

 

 

私達は、今回のための新作を作ることにしました。

音がないということを、演出や脚本に取り入れた作品の必要性を感じたからです。

 

その作品が、こちらです。

 

横田沙夜 初ソロ作品
「指先の音」


監督・原案/船本恵太
絵コンテ・サンドアート/横田沙夜
協力・友情出演/青月泰山

 

横田沙夜が、はじめて絵コンテ作りに挑戦をしました。

大きな期待を寄せていたのですが、そのイマジネーションの豊かさ、想像をさらに超える高い能力を発揮し、素晴らしい才能を開花してくれました。

 

image

 

昨年の知恩院さまの国宝である三門の前での、伊藤若冲生誕三百周年記念サンドアートパフォーマンスライブで、生コラボで、チェロを演奏してくださった、チェロ奏者の青月泰山さんがご協力くださり、友情出演もしてくださることになったのです。

 

 

 

 

 

 

茨木市での、はじめてのサンドアートのライブです。

私が20歳くらいの頃に、とても影響を受けた、

 井上直久さんのイバラードが生まれたところです^ ^

 

 

谷川賢作さんのライブも、ここで行われるようです^ ^

以前に音のメルヘン屋で収録をされ、CDを作られているんです^ ^

お父様の谷川俊太郎さんも、いらしたことがございます^ ^

 

 

 

 

 

こちらの画像をご覧ください。

 

 

 

会場には、このように、要約筆記用のスクリーンがありました。

トークをすると、その場でライブでタイピングをされて、スクリーンに文字が映し出されます。

 

 

こちらが、要約筆記の方々です。

 

 

 

 

 

 

 

手話の同時通訳も入ります。

リハーサルで、その伝達速度の速さに驚きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

90分間の無音の世界。

サイレント・サンドアート・ライブがいよいよはじまりました。

 

最初に、以下のお話しをさせていただきました。

 

 

 

手話を1つおぼえてきました。

「こんにちは」という手話です。

とても緊張しています。

もし、間違ってしまったらごめんなさい。

それでは、「こんにちは」という手話をやってみたいと思います。

 

「こんにちは」

 

 

いかがですか?

あっていますか?

 

(あたたかい笑顔と笑いと拍手をたくさんいただきました。)

 

ありがとうございます。

 

 

第一声として、皆さんに伝えたいことがあります。
 
私は身体障害者です。生まれ持って、首が曲がっている「斜頸」という障害があります。
 
障害者、私は生まれ持って害を及ぼす存在なのでしょうか?
たしかに両親は苦労をしたことでしょう。幼い頃の手術、リハビリ、手術の失敗、学校ではからかわれ悩んでいる私の心のケア。
 
さらにいうと、私は生まれ持って心臓に疾患があり、それは今の医療技術では治すことはできず、いつ死んでもおかしくないという、ブルがダ症候群という、数万人に一人の疾患です。
 
だから、私は何もいらないんです。残しても仕方がないから、あとは人のために尽くすだけなんです。そして今、ここに立っています。
  
私は、障害は、1つの個性だと、今は思っています。首が曲がっているという個性、心臓に疾患があるという個性、耳が聴こえないという個性です。
 
サンドアートは、砂しか必要ない。あとは手があれば描けます。余計なことを考える必要はないんです。悩む必要もありません。
 
だって、世界中のどこにでも砂はあるし、私の手は、ここにあるのですから。
 
でも、私達には、音楽が必要です。音楽と共に、砂絵を描き、物語を紡いでいくという、一つのエンターテインメントショーだからです。
 
ですが、今日は、耳が聴こえないという個性をお持ちの皆様が主なお客様です。

だから、あえて、音楽を一切使わない、「サイレント・サンドアート・ライブ」という、私達にとって新たな挑戦となる、エンターテイメントショーを行うことにいたしました。
 
このことをインターネットで告知したら、他のどのイベントよりも、たくさんの人が関心を持ってくれたんです。
 
私自身も、今年一番やりがいを感じています。
 
それと同時に、私達は少し不安でもあります。無音の中で、大勢の人たちに見られて、芸を披露することは勇気がいるんです。
 
観る側、観られる側という、心の壁、
耳が聴こえる者と、耳が聴こえない者という、心の壁、
私達はその壁をとりはらいたいと思っています。
 
どうか、一緒に、この新しい挑戦であるエンターテイメントショーを行ってください。共に、楽しみましょう。

 

 

 

 

話をすると、皆さん優しい笑顔で、何度もゆっくりと頷き、あたたかく迎え入れてくださいました。

 

手話通訳と、要筆記が入りますので、できるだけ、ゆっくりと喋りました。

想定よりも、時間が必要となりました。

しかし、それはとても大事な、必要な時間でした。

 

 

 

お話しを終え、いよいよ最初の作品「日本」の上演です。

音楽がない、どこでどうリズムをとればいいのか?

どれくらい時間が経過したんだ?

いつもと同じ動きじゃだめだ。

いつもと同じ速度じゃだめだ。

動きをいつもより大きく、

速度はいつもよりゆっくり。

・・・これが、音のない世界のリズムなのか。

無音という音にも、リズムがあったのか・・・

 

ライブ後に横田沙夜に聞いたら、同じことを言っていて、

いつもよりゆっくりのほうがいいと、彼女もパフォーマンスをしていました。

 

 

床にこぼれた砂を、自分の靴が擦っている音が会場に鳴り響く。

激しい動きの連続の後の荒い呼吸が聞こえる。

自分の呼吸が聞こえるライブ・・・

全ての指の爪先でガラスを叩いて砂絵を描く音が会場に鳴り響く。

とてもつもない緊張感。

とてもつもない緊迫感。

長い長い無音の中で、300人に注目され続ける。

寿命が縮む思い、いつもの何倍、何十倍もの集中力、精神力がいる。

まるで、心を全て、見透かされているようだ・・・

 

 

パフォーマンス中に、何度も拍手が起こりました。

手話の拍手は、音がでない方法だと聞いていました。

しかし、パチパチパチと拍手の音が会場中に何度も鳴り響いたのです。

 

 

 

「日本」の次に、体験コーナーを行いました。

手話による同時通訳付きの体験コーナーという、はじめての試みです。

 

リハーサルでも、照明のあて具合の問題も起りました。

暗い中では、当たり前のことですが、手話は見えないので、明るくする必要があったわけです。

 

サンドアートのパフォーマンス中、会場を真っ暗にすることも、OKかどうかの、やりとりがあったほどでした。普段は当たり前のことが、当たり前じゃないんです。思ったよりも、やりとりにも時間がかかったり、想定外のことが色々と起きて、その1つ1つに時間がかかっていきます。

 

話を戻しますと、体験コーナーでも、笑いが起きて、会場の皆様との心の距離が一挙に縮まっていくのを感じました。

 

 

 

ここで、あらためて、横田沙夜の紹介です。

なんと、手話で、自己紹介を行い、たくさんの拍手をいただきました!

 

 

 

 

続いて「父と娘」という作品のサンドアートをパフォーマンス。

 

 

 

 

そして、私の講談を行いました。

こちらがその内容です。

 

 

今回のイベントにあたって、はじめて、耳が聴こえないという個性をお持ちの方と接した時のお話しです。
 
2つの手話を教えていただきました。
 
そうしたら、横田沙夜がすぐにその手話を使って、くったくもなくコミュニケーションをとっていったんですね。
 
私にはそれができなかったんです。勇気がなかったんです。恥ずかしい。失敗したらという不安です。

それから数か月後のことです。
東京のとある駅、たくさんの人が行き交う人気の駅です。
そのホームにある売店で、私は買い物をしようとしました。
定員さんはとても若い女性一人だけでした。
その女性は無言で、私に看板を差し出して、看板を指を差したんです。
その看板にはこう書かれていました。
「私は耳が聴こえません。購入したいものを指さしてください。」
女性は、最後まで、笑顔はなく、目を合わせることもわずかで、私には心をおしころしているように感じられました。
こんなに賑やかな駅で、一人きりで、色々な苦労があることだろうと思いました。
私は教えていただいた手話を用いたいと思いました。
しかし、思い出すことができませんでした。
ごめんなさい。嘘をつきました。
「ありがとう」
私はおぼろげに思い出したのに、手話を使う勇気がわかなかったのです。恥ずかしい。失敗したらという不安。余計なことをして、彼女を傷つけてしまうのではないか。ただ買い物をするだけのやりとりで、なんて自意識過剰なんだという自己嫌悪。色々な想いが交錯しました。
 
お話しを、最初の日に戻します。
教えていただいた手話を使うことができなかったあの日。
 
でも、そのとき、二人っきりでコミュニケーションをした場面があったんです。私は手話はできません。いったいどうやってコミュニケーションをとったのか?
 
それは、身振り手振りでのコミュニケーションだったんですね。私はそのとき、ものすごくホッとしたんです。心が軽くなりました。心が通じ合えたように、私には感じられたんです。
 
私は、2005年の記憶を思い出しました。フランス人の友人に招かれ、パリ近郊の彼の家に一か月間滞在していた、ある日のことです。

彼のお父さんが、リヨンからやってきました。お父さんはまるっきり英語が話せません。私はフランス語がまるっきり話せません。だから、彼が間に通訳に入り、会話をしていたのです。

しかし、彼が仕事で出かけることになり、お父さんと二人っきりで朝食をとることになりました。極めて簡単な英語で話しかけても、通じません。本当に一切会話ができない中で、はじめて出会った人と二人っきりで朝食をとるというシチュエーションは、おそらく一生に一度のことじゃないかなと思います。とても、気まずい状況でした。
 
それでも、お互い、一生懸命、コミュニケーションを取り合いました。紙に文字を書いても伝わりませんでした。紙に絵を描いたり、身振り手振りで、コミュニケーションを取ったのです。
 
最後には、フランス式のテーブルマナーまで教わりました。それはまるで、とても幼い子供が、親にしつけられるかのような光景で、私はそれがおかしくて、楽しくて仕方がなかったのです。
 
この2つの経験から分かったこと。
それは、本当に大切なことはとてもシンプルで、
それはお互いに心を開くこと、
お互いを知りたいという気持ちだけです。
 
言葉巧みな詐欺師も世の中にはいます。
むしろ言葉がないことで、より深いところで、心を通い合わせることができるのではないでしょうか?
 
そんなことを踏まえながら、この後半のサイレント・サンドアート・ライブで、皆さんと共に楽しめたらと思います。
 
後半は、今日の日のために作ってきた新作です。
横田沙夜の初ソロ作品です。

私が監督し、原案を考え、

横田が絵コンテを作りました。

 

タイトルは「指先の音」、

それでは、どうぞお楽しみください。

 

 

 

 

 

 

演出として、青月泰山さんのチェロをお借りし、ご使用させていただきました。

 

 

 

 

 

最後は、暗闇の中で、

チェロだけにスポットライトがあたり、

そこに横田沙夜がゆっくりと近づいていき、

そっとチェロに触れ、

 

 

チェロの弦を、指で弾き、

 

 

一音だけ、

静まり返った会場に鳴り響きました。

90分のライブを通して、唯一の楽器の音です。

 

その後、暗転し・・・

そして・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指先の音」の後には、

再び、船本と横田が2人で、

10分間の、即興リレーでのサンドアートパフォーマンスを披露。

 

 

 

 

 

 

そして、最後のご挨拶では、青月泰山さんにも再びご登場をいただきまして、

なんと青月さんも手話で、自己紹介をされました!

歓声や拍手が沸き起こりました。

 

 

 

友情出演し、社会貢献活動にご協力くださった青月泰山さんに、感謝の限りです。 

 

 

 

 

ゆっくりとお話しをしたり、

ゆっくりとパフォーマンスをしたり、

手話通訳の時間があったり、

音楽がないためどれくらい時間が経過したかが身体で感じられないという状況の中で、

ストップウォッチの時間だけを頼りに、

なんとか無事、

予定通り90分でライブを終えることができ、

安堵しました。

 

 

 

 

ライブを観てくださった方々の感想をまとめます。

 

 

聾者の方の感想。

鳥肌がたった。 感動した。 音が聞こえるようだった。

 隣にいた聾者の方も、強く頷いていました。

 

 

健常者の方の感想。

心臓の音が聞こえるかと思った。

砂を擦る音は、一番後ろの席でも聞こえた。

音が聞こえない世界とはこういうものかと、体験することができた。

 

 

「音が聞こえない世界とはこういうものかと、体験することができた。」

という感想は、何名かの方にいただきました。

 

聾者によく接している、手話もできる方々が、そう言われていました。

 

リハーサルでチアリーディングをチラッとみたら、音楽もあり、声も出して、踊っていました。 音のないライブが、とても珍しいものだったんだということが分かりました。

 

 

他にも、すごかった、感動したなど、たくさんの嬉しい感想をいただきました。

 

 「爪先でガラスを叩く音に癒された。」 という健常者の方がおりました。

音楽がないことで、逆に癒されるということがあったわけです。

 

 

 

大勢のご来場をいただき、本当にありがとうございました。

満員で観れなかった皆様、ごめんなさい。

大勢のスタッフの皆様、本当におつかれさまでした。

このような大変貴重な経験をさせていただき、心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

これからも、サイレント・サンドアート・ライブを、行っていきたいなと、思っております。

 

 

パラリンピックの開会式で、
サイレント・サンドアート・ライブができたらいいな。
静寂って、とても日本らしいと思う。

 

 

 

 

こちらが、今回のサイレント・サンドアート・ライブの全記録映像です!

ぜひぜひご覧くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

そして・・・

はやくも、横田沙夜初ソロ作品「指先の音」の再演が決定いたしました!

 

8月5日、

神戸の、

葺合文化センターにて、

SILTの90分間の単独公演ライブが開催されます!

 

その中で、「指先の音」も、再演をいたします。

 

さらに!

この神戸での対独講演ライブにて、

青月泰山さんにもゲスト出演していただき、

チェロの演奏との生コラボでのサンドアートライブを再び行わせていただけることとなりました!

 

詳細情報は、またおって、お知らせをさせていただきます。

好ご期待!!