朝起きた時は、今日はゆっくり、溜め込んでいた本やマンガ本、録画してある映画やドラマ、そんな自分の時間に1日を使おうと思っていた。

午前中、友人の横山博美くんが、しばらくぶりに遊びに来る。

昼食は、秋葉昭一ご夫妻から頂いた「伊勢屋」のソバを、納豆やトロロで食べる。


いつもは、絶対そんな事を言うはずがない妻が、「山寺に行くべ!」と言う?

「ハァ?なんで? ドラマを見たり、マンガ本を読むからいい!」と一度は断ったが、身内のことで「祈願したい事」を思い出し、てっぺんの「奥の院」までは行かなくても、入り口の「根本中堂」で「お札」を頂ければと考えたのである。

また、この頃ずっと思っていたこと。
「3月のライオン」のラストのシーンの山寺に行き、大友監督と神木くんが見た風景を見たいと思っていた。


軽い気持ちで、「やっぱり行こう!」と、車で山寺のふもとに着いたのは、午後2時40分頃。



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結局、想定外の、「山寺・汗びっしょりの修験の1日」になったのであった。


根本中堂までは何度か来たが、考えてみると、階段登りは30年ぶりである。



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山寺のふもとで、一番最初に聞こえるのは、川のせせらぎの音。

水も澄み切って美しい。



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天を仰げば、とても綺麗な空が広がっている。

雨も降っていないし、暑すぎる日照りもない。

まさに、「風靡の山寺」である。
とても良い日に当たったようだ。



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そもそも山寺は、860年に清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いた天台宗のお山である。

重要文化財の根本中堂は、山形城主斯波兼頼が1356年に再建した。

先ずは、根本中堂にお参りをする。



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山門まで歩く間に、茶屋が何件かある。



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日枝神社では、山寺山王祭が5月17日に毎年行われる。
神仏混合の名残がある場所であり、後方の大銀杏は、山形市で一番太いという天然記念物。
慈覚大師お手植えと伝えられ、樹齢1000年。



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松尾芭蕉がこの地を訪れて327年。
「でん六」の伝六翁が造られた芭蕉像。

俳諧の要諦は「不易と流行」と、芭蕉は言う。
五七五の字数の中に、森羅万象の世界を表現する松尾芭蕉。
「奥の細道」は、まさに芭蕉の生きた軌跡である。



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閑かさや  岩にしみ入る  蝉の声

せみ塚は、芭蕉が俳句を詠み、それを書いた短冊を埋めた場所。



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まだまだ、上を目指すが、この辺りから、心臓がバクバクいう。

「スポーツジムで鍛えているんじゃないの?」と妻は言うが、それとこれとは、まるで違う。

重力と体重が、階段を登る力と拮抗している。



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仁王門。

もうすぐである。
昔は、この辺で戻ろうなどと、よく思っていた。

しかし、今回は、ゆっくりでも、奥の院まで行きたいと思った。
汗は溢れ流れ、衣服は水分で3倍くらいの重さであったが…。



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山寺の町が、山々の間から垣間見える。
美しい。



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やっと五大堂に着いた。

やはり見事な景色である。

そして、ケーブルテレビ山形のインフォマーシャルのロケに、「ここに来たな!」と、思い出したのだ。

そう考えると、五大堂まで来たのは、20年ぶりくらいかな…。
その辺の記憶は曖昧である。

若い頃は、仲間たちと集団で行動していたが、あれからは間違いなく30年は絶つ。



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風がきもちがいい。

結局、ここまで来た。
というか、来れたのである。

素直に、なぜか嬉しい。



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大仏殿と奥の院。

お札を二枚。
自分と弟の名前を入れてもらう。

そして、目的のお守りを買い、下山の途に着く。



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不思議なもので、登る時は、ただ必死だったが、下りる時は、いろんな物も見えるし、すれ違う人々の話し声も聞こえる。

畑を耕している場所もあった。



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バケツ一杯をかぶったような汗。

高校時代、山形市営球場で、夏の高校野球を、応援団を率いて、学生服から塩が吹いてまで応援していた時と、同じような汗だった。

1070段の登り下り。

往き交う人は、「最後の30代、これまでの悪縁を絶つ!」「自分の足で登れて良かった。」「山ひとつがお寺なんだ!」ナドナドと語りながら登っていた。

自分は、登りは心臓が辛く、下りは膝がきつい…と、率直な気持ち。



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帰りに、山寺の主、友人のマチャアキこと遠藤正明氏の店により、遠藤ご夫妻と話をする。

玉コンニャクと、パインサイダーをご馳走になる。



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帰宅して風呂に入り、体重を測ったら、行く前より1キロ減っていた。

毎日、通うかな…そんな事を、マジで考えた。



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改めて、山寺を調べると、知っているようで知らないことが沢山ある。

まだまだ、知りたい事もある。

次は、様々な場所の背景や物語をしっかり把握し、1000年の時間の旅をしてみたいと感じた。

天台宗の本山、比叡山延暦寺が織田信長から焼き討ちにあった時、「法灯」を分けて山寺の立石寺に守ってきた。

「不滅の法灯」と、呼ばれる。

父である故吉村和夫山形市長が、2000年に、山形市が永遠の平和都市であり続ける為に、平和の鐘「千年和鐘」を山形鋳物で造った。

その時の最初の火が、「不滅の法灯」を、山寺の立石寺から山寺小中学校の生徒が受け取り、様々な方々が聖火リレーをして、山形市役所前に運んだ事を思い出した。

山形市は、平和都市であり、平和都市宣言もしている。

今、世界が不穏な状況だけに、山寺の不滅の法灯に込められた思いを、再認識すべき時なのかもしれない。


想定外の山寺立石寺行きだったが、沢山のことに気がつき、考えさせられた。

また、体力面でも、自分の再トレーニングの部位も分かった。


すぐそこにある価値を、もっともっと見直して行きたいと感じる夜である。