元東南建設社長であり、山形二中(山形二高→山形南高校)の一期生、元祖会の中心であられた故鈴木政雄氏の奥様であり、自分の兄貴分の鈴木哲雄氏、親友の鈴木雄二氏のご母堂である、鈴木比佐子様が、7月12日(水)の夜、85歳で天に召された。

その時、たまたま「イタリアン・ボーノ」で、哲雄さんが友人と会食されており、自分も同所で別のメンバーとディナーを取っていたのだ。

いつの間にか、哲雄さんがいなくなられて、不思議に思ったが、実はこの時に、ご母堂様が急変し、呼び出されたそうである。



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本日7月15日(土)、セレモニーホール山形にて、鈴木比佐子様のご葬儀が執り行われた。


とにかく、哲雄さんと雄二くんのお父様の政雄様とお母様の比佐子さんからは、我が家族は、父の代から大変お世話になっている。

政雄氏を、父は山形南高校の後輩でもあった為に、「大っきいあんつぁん!」と呼んでいた。

山形ゴルフの社長の千歳貞治郎氏など、父の同級生たちは、みんなそう読んでいた。

山形一の映画館「シネマ旭」や、神社仏閣など、山形の大きな建築は、ほとんど東南建設がやっていた。

自分の父が、何度も山形市長選挙へ立候補して敗れても、正月には必ず自宅に来て、みんなにお年玉をくれた。
父が県議に一度復帰する10年の無職時代の間、続けてくださったのだ。

「昔の味がする筋子」も、時々持って来てくださった。
とても美味しかったのを覚えている。


高齢で、母は葬儀に参列できなかったが、何度も自分に、「喪主の哲雄くんや遺族の皆さんへ、よろしく言ってきて欲しい」と言っていた。

父が32年ぶりの保守系市長として、山形市長に当選した時、1番喜んでくださった1人は、間違いなく鈴木政雄さんだった。


その、山形一の大親分の故鈴木政雄さんの後ろには、必ず比佐子さんがいた。

全てを夫婦で共有なさっていたと、亡き父は生前言っていた。



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鹿野道彦元農林水産大臣も、会場にいらしていたが、親戚ということで、後ろの親戚席に座られていた。

自分と弟は、1番前の席に通され並んで座った。


哲雄さんとは、高校時代からの長い付き合いであり、次男の雄二くんとは、中学時代からのとても長い付き合いである。



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鈴木家4兄弟が揃うのも、政雄さんの葬儀以来かもしれない。



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東南建設が町のど真ん中にあり、街がひとつになっていた時代。


あの頃は、東南建設の勢いは凄かった。
街にも活気があった。
今は、愛和建設と名前を変えた。
横山氏が社長である。

また、当時の山下工務店も、山形南高校出身の山下社長と小松専務が中心に隆盛を誇っていた。
その後、当時の佐藤常務が「たくみ」を起こした。
山下工務店の最後の経理担当の工藤さんは、今の自分の秘書室次長の工藤貢一のお母さんである。

さらに、山形建設の後藤会長の妹の夫が千歳貞治郎氏である。

あの頃の山形南高校の大先輩の皆様は、まとまっていて、意気軒昂だったような気がする。
当然、今も、各所で頑張っていらっしゃるが…。


時が経ち、鈴木家は、もともと自宅があった、今のフォーラム山形の場所から、飯田温泉に移った。


波乱万丈な人生を、比佐子様は、動揺せず、しっかり地に足をつけて歩まれたような気がした。

そんな素晴らしいご母堂様を誇りに思い、哲雄さんや雄二くんは、鈴木家をさらに発展させて欲しいと願う。


長い間賜ったご恩に対し、心から感謝をするとともに、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。