最近の情報の量の多さは、ビッグデーターを含めて、凄いものがある。
ジャーナリズムなのか?
アジテーションなのか?
自己顕示なのか?
デマなのか?
あるいは、何か恣意的なものなのか?
そのボーダーは、分からなくなってきているようだ。
新聞と週刊誌。
報道番組とワイドショー。
その境界は、本来は超えてはいけない線なのに、いとも簡単に超えてしまう。
たった1人の記者の判断で、その新聞社やテレビ局の全ての評価に繋がる。
民意にすら迎合できていないポピュリズムか、真実をしっかり捉える報道なのか、情報を伝える側にも責任がある。
いや、情報を伝える側だけに、全て責任がある。
受け取る方々、つまり読者や視聴者は、一方的な報道だけしか知ることができないからだ。
実は、ここにこそ、SNSの登場やケーブルテレビの存在意義がある。
読者の自由選択性を醸し出し、作り上げてしまうのだ。
明日の朝、全ての新聞の見出しの違いに、また、テレビ欄の見出しの違いに、その新聞社やテレビ局の立ち位置を、思想的背景を、皆さんから是非読み解いていただきたい。
それが正しいか否か、あるいは、民意が必要としているかは、明確な数字に現れてしまう現代。
読者数や視聴者数は、可視化される。
特に、SNSのアカウント数は顕著である。
今、ケーブルテレビの視聴者は、全国で2955万世帯で、国民の52.3%である。
東北でも約60万世帯まで広がっている。
お陰様で、今でも伸長しているのだ。
何故なのか?
地域肯定感の醸成である。
「小さいけれど、されど尊い物語」
「地域再発見」
「市民の息吹を感じてもらう」
一方で、大きな意味での東北やコミュニティの守護である。
「何故、福島第一原子力発電の数値を、日々公表しないのか?」
「健康への影響はどうなのか?」
「実際、どこまで廃炉作業が進んでいるのか?」
「復興の後の東北をどうするのか?」
…そんな東北の実情を、しっかり見つめて議論しているメデイアがどれだけあるだろう。
まさに、今、ジャーナリズムの「何の為に、誰の為に」という本質論が問われている。
今、ダイバーシティメディアの視聴者は、約30000世帯、120000人。
ムービーオン通信の読者は50000人。
メルマガ会員は200000人
そして、この自分のブログは、1日約6000人の方々が読んでくださる。
先月は読者数が、150000人。
ありがたいことに、多くの皆さんが読んでくださるのだ。
自己満足の押し付けではなく、地域肯定感や地域有用感を感じるもの、出会いによって創られる物語、頑張っている人の発信、東北や山形の宝物、そこから導き出す郷土愛や地球愛の醸成こそ、我々の使命である。
その為には、感性と取材力。
想像や決めつけではなく、取材力を高めることで、真実を高めようと、今日の会議の中で、制作部のメンバーと語り合ったのであった。
たまには、制作会議への出席も、皆んなが言うように必要なのかもしれない。