携帯電話の着歴に、珍しく「チャーリー多勢」とあった。
マーボーが、復帰するまで、みんなで盛り上げて欲しい!
東京から打ち合わせに来ていた、ダイバーシティメディア東京オフィスの新井絵里子チーフと七日町方面に向かっていた車中であった。
1970年代、チャーリー多勢氏は、ガリバーズのボーカルとして、グループサウンズ時代に東京で大活躍。
その後、伝説のライブ&ロックンロールの「ヒットパレード」をオープンした。
満席で、座れない日もあったくらい、盛況だった時もあった。
しかし、この10年くらいは、経営も大変だったようだ。
数年前、ヒットパレードを閉じ、ベティちゃんが近くの地下にペペルモコをオープンする。
自分も、4、5回くらいは行っただろうか?
その後、足が遠のいてしまい、約2年…。
そんな状況時、留守電に、マーボーこと、チャーリー多勢氏の名前が残っていた。
掛けてみると…出たのはベティちゃん。
シンガーソングライターであり、マーボーの事業パートナーであり、雇用主。
電話で概略だけ聞き、ペペルモコにいるとのことで、伺ったのである。
半年くらい前から、マーボーは、歌詞が出てこなくなったり、前奏を間違えたりしていたらしい。
朝、体調がおかしいと、ベティちゃんを呼び、病院へ行ったら、血管が詰まる脳梗塞だったらしいが、薬で溶かし、次第に回復に向かっているとのこと。
ここ10年くらいは、かなり無理をしていたので、心配はしていたが…。
しかし、一命は取り留めたとのことで、安心した。
ペペルモコには、ベティちゃんの他に、当時のダンシングクイーンのユミちゃんもいた。
ベットで、マーボーは、八文字屋の五十嵐社長、ブルボンのマスター、そして自分に連絡をし、状況を伝えて欲しいとのことだったようだ。
しばらくは、マーボーは出てこれないので、自分が頑張るからと、ベティちゃんは言う。
ユミちゃんも手伝いに来てくれるとのこと。
まずは、命に別状は内容であり、安堵。
ユミちゃんから、一緒に踊ってと言われ、少しだけ踊るが、やはりすぐ堪える歳となってしまった。
マーボーが、復帰するまで、みんなで盛り上げて欲しい!
そんな強い気持ちがベティちゃんにはある!
昔のヒットパレードファンの皆さん、是非、時々顔を出してくれるとありがたい。
そして、またチャーリー多勢の「青い目のステラ」を聞きたいと思う。